前ページでは、東大寺の見どころをご紹介してきたということで、、
このページでは、
東大寺の歴史と僕が実際に東大寺を観光してきた様子をご紹介していきます!
ご自身の旅行のプランを立てるのにさらにイメージしやすいページとなっていますよ!
東大寺の歴史
東大寺創建と大仏建立
東大寺の正式名称は
「金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)」
といい、前述したとおり、
聖武天皇の皇太子「基親王」を弔うために建てられた金光明寺(金鍾寺)が元になっています。
約40年という歳月をかけて完成した東大寺の伽藍。
聖武天皇が仏教によって国を救わんと願い、
「大仏造顕の詔」を発し日本を挙げて造営されました。
奈良時代に建立された当初は、
南北方向に南大門、中門、金堂(大仏殿)、講堂が一直線に並び、
講堂の北に東・北・西と「コ」の字形に並んだ僧房が、
僧房の東には食堂(じきどう)があり、
南大門と中門の間には、
東西に対となった2基の七重塔(高さは70メートルを超えていたとも)が回廊に囲まれて建っていたとされています。
六宗兼学の寺・八宗兼学の寺として
奈良時代、
平城京では「南都六宗(奈良仏教)」と呼ばれる6つの宗教、
華厳宗・法相宗・律宗・三論宗・成実宗・倶舎宗が栄えていました。
当時の日本における仏教は「宗派」というよりは「学派」に近く、
各寺院では複数の宗派を兼学することが普通のことでした。
そんな平城京の仏教において、
東大寺は中心的存在として「六宗兼学の寺」とされ、
大仏殿内には六宗それぞれの経論を納めた「六宗厨子」があったといいます。
(ちなみに「南都」というのは、平城京があった地を指して後世呼ばれた名前です。
観光の上では、「南都」=「奈良の中心地」と読み換えて問題ないですよ!)
平安時代に入ると、
空海によって寺内に真言院が開かれ、
空海が伝えた真言宗と最澄が伝えた天台宗をも加えた「八宗兼学の寺」とされました。
東大寺は一時期、桓武天皇の南都仏教の抑圧策によって勢力が縮小し、
さらに火災や落雷、暴風雨によって主要建造物の焼失・倒壊が相次ぎますが、
皇族や貴族たちの崇敬を受けることで南都の有力権門として全国的に知れ渡るようになり、
多数の僧兵を抱え、お隣の興福寺などとともに力を持つようになります。
二度の焼失、そして再興
以降度々起こる自然災害や火災によって被害を受けては再建・修理、そして造営を繰り返していた東大寺でしたが、
治承4年12月28日(1181年1月15日)、平清盛の命を受けた平重衡(しげひら)ら平氏軍によって、大仏殿をはじめとする伽藍の大半が焼き討ちにあってしまいます。
これはのちに「南都焼討」と呼ばれることとなる、
当時平氏政権への反発を強めていた東大寺や興福寺などの南都の仏教寺院を、
平氏軍が焼討にするという事件でした。
この時、大きな被害を被った東大寺の大仏や諸堂の再興にあたったのが、
当時61歳だった僧「俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)」でした。
大勧進職に任命された重源の精力的な活動と源頼朝からの強力な支援協力を得て、
文治元年(1185)に後白河法皇を導師として「大仏開眼供養」が、
建久元年(1190年)には上棟式が行われました。
建久6年(1195年)には再建大仏殿が完成し、源頼朝らの列席の下、落慶法要が行われました。
こうして鎌倉時代は幕府からの支援のもと復興が叶い、教学活動も活発になりました。
しかしそんな安泰は長くは続かず、
戦国時代に入ると南都は度々戦場と化し、東大寺も甚大な被害を受けることとなります。
(見どころでご紹介した「三好・松永の乱(東大寺大仏殿の戦い)」ですね。)
さらには暴風雨などの自然災害の被害も受け、
本尊の盧舎那仏は仮修理を受けただけの状態で100年以上もの間、
雨ざらしの状態で放置されてしまいます。
その後江戸幕府の協力のもと、
大仏は元禄4年(1691年)に完成し、
大仏殿は僧侶公慶の尽力や江戸幕府5代目将軍徳川綱吉や母の桂昌院をはじめとする多くの人々の寄進によって、
宝永6年(1709年)に再建されました。
今日の東大寺 〜世界遺産・世界最大の木造建築〜
江戸時代に建てられたこの3代目の大仏殿が今日まで現存するものであり、
高さと奥行きは奈良時代(天平時代)に創建されたものとほぼ同じですが、
東西の幅(間口)は創建時のものから約3分の2に縮小されています。
また、創建時は建てられていた講堂や食堂、東西の2基の七重塔などは、
中世以降は結局再建されることがなく、
現在は各建物跡に礎石や土壇のみが残っているだけの状態となっています。
近代以降は浄土宗に属した時期もあったものの独立し、
現在に至るまで華厳宗の大本山として奈良の地を見守るように立ち続けています。
以上のような歴史や大仏・大仏殿をはじめとする伽藍の歴史的価値から、
東大寺は1998年12月に「古都奈良の文化財」の一部としてユネスコの世界文化遺産に登録されました。
ちなみに、、
東大寺の大仏殿(金堂)は「世界最大の木造建築」とよく表記されていますが、
20世紀以降には、
アメリカ・オレゴン州のティラムーク航空博物館(Tillamook Air Museum)や、スペイン・セビリアのメトロポール・パラソル(Setas de Sevilla)など、
東大寺大仏殿よりも大きな木造建築物は建てられているため、実際はその座を明け渡しているのです。。
しかーーし!!
木造”軸組”建築としては、東大寺大仏殿は現在でも世界最大!!
古代から発達してきた日本の伝統技術である木造軸組構法は、
まだまだ世界に誇れる素晴らしい技術というわけですね!!
東大寺に実際に行ってみた!
では最後に、東大寺に実際に行ってきた様子をご紹介していきましょう!
奈良公園と神鹿と東大寺
せっかくなので奈良公園からの様子をお届けしていきます!
いざ、東大寺大仏殿へ!
東大寺と奈良の鹿
引き続き、東大寺と奈良公園を歩いていきます!
東大寺南大門と奈良公園
奈良公園の紅葉と東大寺
最後に、紅葉に染まる奈良公園と鹿たちの風景をお楽しみください!!
ということで、、
東大寺と奈良の鹿たち、そして紅葉に染まる奈良公園の風景でした!
東大寺のまとめ
ということで今回は、
奈良時代の日本を物語る上で中心となる、東大寺についてご紹介してきました!
今なお世界でも最大規模の木造建築の大仏殿を奈良時代につくったという、
かつての日本の技術力には本当に驚かされます。
これはぜひ一度、あなた自身の目で確かめるべき観光地といえますよ!!
もちろん、
一度行ったことがある人も、
こういった背景知識を身につけ、歳をとって行ってみるとまた違った気づきや見どころを得られるというもの。
自分の成長・変化を感じるためにも、
二度、三度と同じ旅行先を選んでみるのもよいものです。
初めて訪れることを考えているあなたも、
一度訪れたことがあるあなたも、
ぜひこの機会に、東大寺に足を運んでみてはいかがでしょうか…!!
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