フィラエ神殿、そこは、島の上に建てられた神殿。。
ということで、今回ご紹介するのは別名「イシス神殿」こと「フィラエ神殿」になります!
「イシス」というと、ゲームやマンガなどにも登場することが多い女神ですからね~!
そんな女神イシスを祀った神殿を中心にすえるフィラエ神殿とは、一体どんな神殿なのでしょうか??
見ていきましょう!!
島の上に立つ神殿、フィラエ神殿
「フィラエ神殿(Temple of Philae)」は、もともとフィラエ島という島の上に建てられていたことから名付けられた神殿です。
一つの神殿、というよりは、ルクソールのカルナック神殿のように増築が行われたことによって複数の神殿が一つの敷地内にまとまっている神殿で、その中心に位置するのが「イシス神殿(Temple of Isis)」になります。
現在フィラエ神殿が立つ島はアギルギア島という名前で、これはもともと神殿が建てられていたフィラエ島が、アスワンハイダムの建設によって水没してしまう恐れがあったことから移設されたため。
もとのフィラエ島は、ヌビアにおけるイシス信仰の中心地であり、フィラエ神殿はプトレマイオス朝時代に建てられたとされています。
その後ローマ帝国に支配されてからは、後述するイシス女神の神話や権能の影響からキリスト教会として再利用された歴史をもち、アウグストゥスやトラヤヌス帝に関わる建物が増築されています。
イシス女神とは??
次に、フィラエ神殿における信仰対象の中心となったイシス女神についてご紹介します。
イシスは古代エジプト神話における女神で、古代エジプトでは「アセト」と呼ばれた女神です。(実は「イシス」はギリシア語呼びなのですよ!)
古代エジプトの創世神話であるヘリオポリス神話において、イシスはオシリスの妹であり妻、セトとネフティスの姉(あるいはセトの妹)、ホルスの母とされ、「ヘリオポリス九柱神(エニアド、Ennead)」と呼ばれる神話における中心的存在の一神です。
神話における細かなエピソードはここでは割愛しますが、イシスは、トトとアヌビスの協力のもとではありますが、バラバラとなったオシリスを復活させるほどの生と死を操る強大な魔力をもち、息子ホルスに権力を与えるために陰謀を巡らす一面も持っているという、さながら”魔女”のような役割を担っています。
一方、夫であるオシリスに対しては献身的な妻であり、息子ホルスを想う母としても描かれているという二面性を持ち合わせています。
そんなイシスは、オシリスを復活させたエピソードから「再生と復活」の象徴となり、そこから「枯れた植物・作物が種を落とし、再び目を出す」ことに結びつけられ、「豊穣の女神」や「穀物の神」としての性格を持つようになりました。
イシス信仰の根源は、この「再生と復活の象徴」や「豊穣の女神」としてのイシスへの信仰と考えられています。
ちなみに復活したオシリスは冥界の王となっており、古代エジプトの「生と死」に関わる倫理観も相まって、さらにイシス信仰が盛んとなったことも想像できますね!
イシスについて加えておくと、イシスの古代エジプト語呼びである「アセト」は「椅子」を意味しており、ここから「玉座を神格化した女神」という属性も持ち合わせています。
このことから、男性王権のエジプトにおいては珍しく、イシスは女神でありながら王権の守護神が持つ「権力と支配」を意味するウアス杖や、「生命」の象徴であるアンクを持った姿で描かれていることが多いです。
イシス信仰はエジプトのみならず地中海を越えてギリシアにも広まっており、ギリシアでは人間に穀物の栽培を教えた”豊穣の女神”デメテルや、愛と美と性を司る女神アプロディーテと同一視されました。
アプロディーテはもともと小アジアの豊穣の植物神や植物を司る精霊、ないしは地母神であったとされますから、このあたりはイシスと似ていますね!
エジプトがローマ帝国に支配されてからは、イシス信仰はローマにも広まっており、「アレクサンドリア港の守護女神」とされていたことから「航海の守護女神」になったり、イシスは永遠の処女であったことから「天上の聖母」や「星の母」、はたまた「海の母」といった、実に多くの役割や二つ名を与えられました。
その後、キリスト教が盛んになるとマリア信仰に取って代わられていきますが、このマリア信仰が、「息子ホルスを想うイシス」が原型となったという説があるのです。
そのためエジプト国内のイシス神殿は、エジプトにコプト派のキリスト教が広まると聖母マリアを祀る教会として使用されたのです。
フィラエ神殿・イシス神殿をご紹介!
ではでは、実際にフィラエ神殿に行ってきた際の様子をご紹介しましょう!
フィラエ神殿がたつアギルギア島(現在ではフィラエ島と呼ぶ人もいます)へは、近くの船着場からボートに乗って向かいます。
もちろん、ボートはフィラエ神殿へのチケット代とは別で有料。
詳しくは下のアクセスのところに書いていますが、このボートに乗るのに結構苦戦した…。
ボート代では苦い思いをしましたが(笑)、その分神殿はまさかの貸切!!
ロウシーズンだとこういうことが起こるのですね。。!
島の中心的神殿が女神イシスを祀った「イシス神殿」です!
ルクソール東岸のカルナック神殿でいう、アメン大神殿のような立ち位置ですね。
塔門を通り、至聖所に入ります。
外のレリーフ以上にこちらはかなり良い保存状態で、詳細に様子をうかがい知ることができました!
至聖所をあとにして、島内を散策します!
こちらがローマ帝国時代に建てられた「トラヤヌス帝のキオスク」です。
「キオスク」とはペルシア語の「クシュク(kušk)」に由来する言葉で、元々の意味は「日陰をつくるもの」。そこから転じて「休憩所」を意味するようになったとされています。
フィラエ神殿のこのキオスクは、船着場の休息所だったそう。
ちなみに「トラヤヌス」は、ローマ帝国が史上最大の版図を獲得した時代の皇帝で、「パックス・ロマーナ」と呼ばれるローマ帝国最盛期を支えた5人の皇帝の総称である「五賢帝」の一人にも数えられる優れた皇帝です。
政治の文武両面どちらでも優れた政策を打ち出し、民衆からの支持も高かったみたいですね!
また、トラヤヌスは「初の属州出身の皇帝」としても有名です!
(属州ヒスパニアに移住したローマ人家系なだけで、血筋自体は純粋なローマ人であるとされています。)
島の東側を巡ったので、一度塔門の前を通って今度は西側を散策します。
フィラエ神殿の基本情報
開場時間
7:00~16:00
入場料
60£E(学生は30£E)
アクセス
問題のアクセスです。笑
アギルギア島へのボートは、近くの船着場から向かいます。
ただ、このボートは個人によるものになっている様子で、「一人〇〇£E」ではなく「一隻〇〇£E」で請求されます。
つまり、個人で行くとものすごく損になるのです!笑
そして公定料金は一隻50£Eだそうですが、まぁそんなものは名ばかりで結構足元見てきます。笑
向こうも自分たちのボートを使わないとフィラエ神殿に行けないことがわかってますからね。。悪い奴らです、まったく。笑
ハイシーズンなら人がたくさんいるでしょうから乗合させてもらえば問題ないのですが、今回の僕のようにロウシーズンに行こうものなら…。
結局僕は、15€という相場からしたらかなり法外な値段を払い、フィラエ神殿に向かうこととなりました。。
(ぽろっと「ユーロなら払える」と言ってしまったのが大きな失敗でした…!)
結果としてフィラエ神殿はとても興奮する場所でしたし、遺跡はまさかの僕の貸切状態でしたので、まぁ今となっては良しと思っていますが、皆さんは僕のようなヘマはしないでくださいね!笑
支払いは必ずエジプトポンドで!
財布の中には最低限しか入れず、多く持っていることを悟らせない!
まずはこの状況でぎりぎりの交渉を進めるところからですね!
👇ルクソールの遺跡についてはこちらをご覧ください!
フィラエ神殿のまとめ
ということで、今回はアスワンの中でも随一の見どころであるフィラエ神殿についてご紹介してきました!
島の上にイシスを祀ったイシス神殿や、ローマ帝国の版図がここまで広がっていたことを示すトラヤヌス帝のキオスクがあったりと、歴史や文化を知る上でも重要な遺跡となっています。
もちろん、塔門や至聖所のレリーフや壁画も圧巻ですし、そこから古代エジプトの宗教観・神話の一端を感じることもできますよ!
アスワンといえば「アブ・シンベル大神殿」がとにかく有名ですが、せっかくなら他の観光地も見てみましょう!
そしてこのフィラエ神殿こそ、一度は見ておくべき世界遺産であることは間違いありませんよ!!
👇その他アスワンの見どころについてはこちらの記事をご覧くださいね!
この記事へのコメントはこちらから!