みなさんこんにちは!旅狼かいとです!
今回ご紹介するのは、フランスの観光地の中でも群を抜いて人気な「モンサンミッシェル(Mont Saint-Michel)」です。
フランスの観光地ランキングの上位常連組の1つ。
半島の先端に位置する孤島の上に立ち並ぶ修道院を中心とした建物と街は、まさに”陸に浮かぶ孤島”!
満潮時は文字通りの”孤島”となり、まるで海に街が浮かんでいるよう。
その神秘的な風景を一目見ようと、いつ何時も世界中から多くの観光客が集まります。
そんなモン・サン・ミッシェルのついてお届けしていきますよ!
モンサンミッシェル(Mont Saint Michel)の歴史
まずは最初に、モンサンミッシェルの歴史からご紹介していきます。
「モンサンミッシェル(Mont Saint-Michel)」はフランス語で「聖ミカエルの山」という意味で、その名の通り修道院ができるきっかけになったのは大天使ミカエル(フランス語でサン・ミッシェル“Saint-Michel”)だと伝えられています。
そのエピソードはこんなかんじ。
708年、アヴランシュというの町の司教だったオベールの夢に大天使ミカエルが登場し、「あの岩山に聖堂を建てよ」とお告げを命じます。
しかしオベール司教、こんなものはただの夢だとしてお告げを信じません。
ミカエルは再びオベールの夢にでますが、二度目も同じ展開でオベールは一向にお告げを信じようとしません。
そんなオベールに対し、さすがの大天使様も激オコ。三度目の正直と言わんばかりにミカエルは勝負に出るのです!
なんとなんと、ミカエルはオベールの頭に指を突っ込むという荒技を見せるのであります!
朝起きたオベールはびっくり、なんと自分の頭に穴が空いているではありませんかっ!
そうしてお告げは本物だと気付き、現在モンサンミッシェルが立つ地に修道院を建てることを心に決めるのでした。
よかったね、ミカエル。
この時ミカエルが指示した岩山は、オベールの時代よりさらに昔に生きたケルト人が「トンブ山」と呼んで崇拝していた場所でした。
ミカエルはオベールに対し
「天から露が降りた場所を乾かして、そこに聖堂を建てよ」
とお告げを伝えます。
オベールはお告げに従い、指示された場所に小さな聖堂を建てます。
するとびっくり!
それまで陸続きだったその場所は一夜にして海に囲まれる孤島となったのです!
このような歴史を経て、聖地としての「モンサンミッシェル」が始まったのでした。
モンサンミッシェル成立から時代は進み、、
8世紀から9世紀初頭にかけて、現在のフランスを含むフランク王国はカロリング朝のカール大帝(シャルルマーニュ)により最盛期を迎えます。
しかし、フランク王国は9世紀前半から国家の弱体化が進んでいきます。
こうした状況の中、王国の西沿岸に位置するモンサンミッシェルはノルマン族のバイキングの襲撃や略奪の被害に遭うようになります。
他の多くの僧院では、危機が迫ると貴重な聖遺物や聖遺品を持って逃げてしまうのがほとんどでしたが、このときのモンサンミッシェルの修道士たちは島を見捨てることなく、聖ミカエルへの信仰を守り続けたといいます。
その後ノルマン人たちはセーヌ河沿いに住み着くようになり、カトリックへの改宗を条件にバイキングの首領ロロはフランス王から「ノルマンディー公」として認められ、正式に領土が与えられました。
以降この地域は「ノルマンディー」と呼ばれるようになり、この地名が今なお使われているというわけなのです!
11世紀に入ると、ノルマンディー公ギヨームがイングランドを征服してノルマン朝を開きます。
ギヨームは、イングランドでは「ウィリアム1世」と名乗ります(今日では「ウィリアム征服王」の名でも知られていますね)。
この時代以降、モンサンミッシェルはイングランドとフランスの対立や小競り合いに巻き込まれるようになります。
そして、フランスとイングランドの長きにわたる戦いとして歴史に名を刻む「百年戦争」が、14世紀に勃発します。
戦争の開始とともに、モンサンミッシェルは修道院としての機能を停止し、要塞としてのはたらきを持つようになります。
海から数多くのイングランド軍がモンサンミッシェルに攻め込んできましたが、干満の差と潮流の激しさが助けとなって、モンサンミッシェルは大きな被害を受けることなく、この戦争を乗り切ったのです。
すると戦後、「モンサンミッシェルの活躍は祀られている聖ミカエルの御加護によるものだ」と崇められるようになり、モンサンミッシェルと聖ミカエルへの信仰が盛んになります。
この“ブーム”によって、モンサンミッシェルへの参拝者は増加するのですが、、
この時代、現代ほど気軽にモンサンミッシェルへ足を運ぶことはできませんでした。
モンサンミッシェルが立つノルマンディー地方のサン・マロ湾は、ヨーロッパの中でも随一で、干満の差が激しいことで知られており、さらに当時は、島への陸続きの道などなく、移動中に潮の満ち引きに巻き込まれてしまう人も多かったようです。
モンサンミッシェルへの巡礼は、まさに命懸けだったわけですね。。
そんな信仰が長く続けばよいのですが、、
16世紀の宗教戦争の際はカトリック側の拠点に使われため、プロテスタント側と激しい戦闘が行われたり、
18世紀のフランス革命後は「海のバスティーユ」として監獄として使われたりと、
モンサンミッシェルはその後も時代の波・戦いの渦に呑まれてしまいます。
それでも、幾たびの戦火を乗り越え、現在のモンサンミッシェルの姿に辿り着いたのです…!
以上のような激動の歴史を持つモンサンミッシェル 、観光地化が進められたことで以前は島と陸とを結ぶ堤防がつくられていたのですが、この堤防よって潮の流れがせき止められ、島の周囲の急速な陸地化が問題となってしまいました。
そのため現在は、環境への配慮から橋が架けられており、この橋を渡ることで島へ行くことができますよ!
モンサンミッシェルの見どころ
ではでは、ここからは実際に僕たちが歩いた道に沿って、モンサンミッシェルの見どころをご紹介していきます!
まずは、モンサンミッシェル用の道の駅のようなところからシャトルバスに乗ります。
そして、降車したところがここ!
モンサンミッシェルに入ると最初に出迎えてくれるのは、「プラールおばさんのオムレツ屋(La Mère Poulard)」です!
モンサンミッシェルの名物は「オムレツ」と「バタークッキー」なのですが、その発祥となったのがこのプラールおばさん。
精進料理しか食べることができない修道女たちに、食材が十分に届かないモンサンミッシェル内でも取れる卵とチーズ、そしてバターを使ってつくったオムレツを振舞っていたそうです。
ちなみに、かつては修道女の”まかない”のような立ち位置だったオムレツですが、現在では高級料理さながらの地位にまで登りつめています。笑
食べておきたい一品ですが、もしかしたらお財布と相談…となってしまうかも!笑
頂上の修道院へは、大きな一本道を辿っていけば行けますよ!
一応この道が、メインストリートということになっています。
最後の階段を登って修道院へ入っていきます!
修道院に入って最初に見えるのは、「修道院付属教会(Eglise Abbatiale)」です!
大聖堂をあとにして、再び建物内部を進んでいきます。
続いて入るのが「サン・マルタン礼拝堂(Chapells St-Martin)」。
上に立つ教会を支える役割を担うとともに、完成した11世紀からの姿をとどめている歴史的にも非常に重要な場所です。
こちらもモンサンミッシェルでは有名な見どころ、水車「大車輪(Grande Roue)」ですね!
この水車の働きによって、高いところにものを運んでいたそうですよ!
大車輪を横目に、さらに進みます!
外に出てきました。修道院はここまでです!
再びメインストリートを登ります!
ここで昼食ブレイク!
多くのお店は、ネットに繋げばメニューを多言語で見ることができます。
もちろん日本語も含まれていますので、フランス語がわからなくても大丈夫!
ちなみに、名物「オムレツ」はフランス語でも”Omelette”とそのまま書きますので、すぐにわかると思いますよ!
お腹がふくれ休憩もできたところで、お土産を購入し、城外へ戻ってきました。
このまま帰ってもレンヌでTGVを待つことになるしもったいない。
ということで、周りを散策することに。
ということで、今回の訪問の様子をここまで書いてきました!
時間の関係でライトアップまでいることができなかったのがちょっと悔しいですね〜
夜までいたいという方は、モンサンミッシェルの敷地内か、近くのホテルに一泊するのもアリですよ!!
モンサンミッシェルへの行き方(アクセス)
歴史は理解した、見所もわかった!
ということで、最後にパリからモンサンミッシェルへの行き方をご紹介します!
まずは、パリ(Paris)からレンヌ(Rennes)、あるいはドル・ド・ブルターニュ(Dol-de-Bretagne)へ向かいます。
(パリからじゃなくても、レンヌかドル・ド・ブルターニュへ行くのが基本です!)
この際、時間重視の方はTGV(フランス版新幹線)、金額重視という方はバスを使うことになると思います!
それぞれの都市に着いたら、モンサンミッシェル行きのバスに乗り換えます。
一応レンヌとドル・ド・ブルターニュ以外からもバスは出ているみたいですが、この2都市以外からの情報は日本語だとかなり少ないです。
そして、ネットや旅行本の解説や紹介では、レンヌからの紹介が一番多い印象ですね!
モンサンミッシェルへ向かうバスも、ドル・ド・ブルターニュ発よりもレンヌ発着の方が本数が多いので、前後の予定との兼ね合いなど特別な理由がなければレンヌを利用することをおすすめします!
レンヌの街そのものも1つの観光地ですから、ついでに見てまわるのもありですよ!!
モンサンミッシェルへのバス券は、当日取ることになります。
レンヌからの場合は、北口の東側にチケット販売所があるのでそこを利用します。
入ったら目的地ごとに整理券を取る必要がありますので、”Mont-Saint-Michel”と書かれたボタンを押し、券を発行します。
窓口では、英語が全然問題なく通じましたので安心してくださいね!
夏のハイシーズンなどお客さんが多い時期は増便されるそうですが、不安な方は前の日はレンヌに泊まり、朝一の便で向かうことをおすすめしますよ!
途中の道
モンサンミッシェルのまとめ
以上、ここまでモンサンミッシェルをご紹介してきました!
本当に島の上に街があって、「これが浮いたら…」とか「これが海を移動したら…」とか考えるとなんかすごくワクワクしました!
島の上には多くのおみやげ屋さんやレストランが並んでおり、名物のオムレツは”インスタ映え”はもちろんのこと味も素晴らしかったです!
「フランスといえばここ!」と言っても過言ではない、期待を裏切らない圧巻の佇まい。
フランスとイギリス、さらには宗教の歴史が詰まった魅惑の孤島「モン・サン・ミッシェル」へ、みなさんもぜひ足を運んでみてくださいね!!
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