意外と知らない!インド・ゴアのおすすめ観光スポット・レストラン・シーズンと日数・空港と行き方まとめ

【インド旅行】ゴアのおすすめ観光スポット・レストラン・ベストシーズンと日数・空港と行き方まとめ_ザビエルだけじゃない!パナジとオールドゴアの見どころ名所・歴史・アクセス・地図_子連れ・家族旅行・カップル・女子旅

みなさんこんにちは! 世界・日本の観光地や旅行情報、歴史や雑学をご紹介している旅狼かいとです。

今回は、インド南西部の海岸沿いに位置する街「ゴア」の見どころやおすすめレストラン、移動方法やアクセス・行き方を一挙にご紹介していきます!

「インドの海観光といえば?」と質問すれば、多くの人が答えるであろうゴア。数々の人気ビーチはもちろん、ポルトガル支配下時代の面影を残す街並みや世界遺産にも登録されてる教会群は、インド旅行の際にはぜひ見ておきたい観光名所です。

子連れの家族、カップルや一人旅など、どんな方でもこの記事だけでゴアのことがわかるよう書いていますので、ゴア観光を予定している方・行こうかどうか考えている方、インド旅行での行き先を検討している方は、ぜひ最後まで参考にしてください!

👉 ゴアのビーチについてのみ、こちらの別記事で紹介しています!


目次

ゴアとは? 歴史と街の概要

まずは、ゴアの歴史と各町の概要を簡単にご紹介していきます。

ゴア州の概要

【インド旅行】ゴアのおすすめ観光スポット・レストラン・シーズンと日数・空港と行き方まとめ_ポルトガルとの歴史と概要

ゴア州は、インド南西部の西海岸アラビア海に面する小さな州です。

単に「ゴア」と呼ばれるため街の名前だと思っている人も多いですが、厳密にはゴアは「州」の名前で、州都は「パナジ Panaji (Panjim)となります。ほかに、ヴァスコ・ダ・ガマ Vasco Da Gama(地元の人々は「ヴァスコ Vasco」と呼ぶ)やオールド・ゴア Old Goaなどの町があり、2024年時点のゴア州の人口は約150万人です。

天然の良港に恵まれており、古くから鉄鉱石やボーキサイトなどの鉱業が盛んだったことから港町として栄えてきました。インドでは「最も裕福な州の一つ」といわれています。

ゴアの繁栄

【インド旅行】ゴアのおすすめ観光スポット・レストラン・シーズンと日数・空港と行き方まとめ_ポルトガルとオールドゴア・パナジの歴史

天然の入江をもつゴアは11世紀初めから貿易港として発展し、14世紀頃からはイスラム系王朝の下で馬や香料の貿易で繁栄しました。

そんなゴアは1510年、ポルトガル王国のインド総督アフォンソ・デ・アルブケルケによって占領されます。ゴアを占領したポルトガル人は、マンドヴィー川のそばにリスボンを模した町を造りました。これが現在のオールド・ゴアです。

1530年、ポルトガル領インドの首府はコーチン(コチ)からゴアへと移され、アジアの全植民地を統治するポルトガルのインド総督、あるいはインド副王が駐在しました。1534年にはローマ教会の大司教座が設置され、ローマ教会において全アジアを管轄する中心地となり、1542年にはフランシスコ・ザビエルに率いられたイエズス会も到着。リスボンとの間に喜望峰経由の定期航路が開かれ、香辛料貿易の中継地点としてゴアは繁栄を極めます。

17世紀初頭のゴアは、モザンビークから長崎に広がるポルトガル海上帝国の中心地として黄金時代を迎えます。人口は一時20万人を超え、本家リスボンをも凌ぐほどの大都市へと発展。東洋のローマと呼ばれました。

ポルトガル支配の衰退

【インド旅行】ゴアのおすすめ観光スポット・レストラン・シーズンと日数・空港と行き方まとめ_ポルトガル植民地の歴史と独立

栄華を極めたゴアにおけるポルトガル支配でしたが、ヒンドゥー教徒のマラーターの侵攻に加え、世界の海上におけるオランダやイギリスの勢力が強まるにつれ、ポルトガル植民地としてのゴアも次第に衰退。1843年にはペストが流行し、首都は新しい町パナジに移されました。

一時的にイギリスに占領された時期はあれど、それでもポルトガルは、イギリスの東インド会社の支配がインド全土に及んだ時期でも、ゴアやディーウなどの領有は保持。第二次世界大戦の時代に至るまで、ポルトガルはゴアを支配し続けたのでした

インドによるゴア併合

【インド旅行】ゴアのおすすめ観光スポット・レストラン・シーズンと日数・空港と行き方まとめ_近代の歴史

第二次世界大戦後の1947年、インドがイギリスから独立すると、インド政府はポルトガルにも領土の返還を要求します。しかし、当時ゴアでは鉄鉱石が新たに発見されており、自由貿易港であること、そして植民地帝国が崩れること恐れたことも相まって、ポルトガルはインドの要求を拒否

そんな中、1955年に非暴力で領土返還を求めるデモ隊にポルトガル警官隊が発砲。これがインドの武力侵攻の引き金となり、1961年、ついにインドはゴアを占領したのでした。

このインドの武力によるゴア併合に対し、アメリカとイギリスは国連安保理で非難決議案を提出したが、ソ連が拒否権を行使したことにより採択されず、他の多くの国も植民地独立運動としてインドを支持。そして1974年、カーネーション革命を経て民主化したポルトガルは、正式にゴアの主権を放棄したのでした。

現在のゴア

【インド旅行】ゴアのおすすめ観光スポット・レストラン・シーズンと日数・空港と行き方まとめ_歴史・ヒッピーの聖地・世界遺産

このような歴史を持つゴアは、今でもポルトガル植民地時代の面影を色濃く残し、西欧的でオープンな雰囲気の町並み、そしてアラビア海を望む美しいビーチが、観光地として非常に人気です。海外からの観光客はもちろん、近年ではインド人の国内観光先としても人気のビーチリゾートとなっています。

1900年代中盤は「ヒッピーの聖地とされ、1986年にはフランシスコ・ザビエルが埋葬されているボン・ジェズス教会や聖フランシス修道院などのポルトガル時代のキリスト教建築が「ゴアの聖堂と修道院」としてユネスコ世界遺産に登録されました。



それではここから、ゴアの観光における見どころを「パナジ」「オールドゴア」の2ゾーンに分けて紹介していきます!

パナジ(パンジム)の見どころ

【インド旅行】ゴアのおすすめ観光スポット・レストラン・シーズンと日数・空港と行き方まとめ_パナジの見どころ名所

マンドヴィー川の河口近くに広がるパナジ(Panaji)は現在のゴア州の州都であり、ゴア観光においては拠点となる街地元の人たちは「パンジム(Panjim)」と呼ぶことが多いので、この呼び方も頭に入れておきましょう。

州都と言っても大きな都市というわけではなく、中心部の見どころだけであれば歩いてまわることもできます。旧ポルトガル植民地の面影が色濃く残っており、ほかのインドの街とはっきり違った姿をとどめているのが特徴です。

パナジ教会

【インド旅行】ゴアのおすすめ観光スポット・レストラン・シーズンと日数・空港と行き方まとめ_パナジの見どころ名所-パナジ教会

パナジ教会(Panaji Church、Immaculate Conception Church)はパナジの町の中心に位置する教会で、街のシンボル的存在です。

この地に最初の教会が建てられたのは1541年。ゴアに無事到着したポルトガルの船乗りたちが、感謝の祈りを捧げるための小さな礼拝堂でした。現在の建物は1619年に改築されたもので、ポルトガル・バロック様式を特徴としています。印象的で美しい外階段は、ポルトガルのブラガにあるボン・ジェズス・ド・モンテ聖域を模したもの。

内部には華やかなシャンデリアが天井から下がり、聖母マリアに捧げられた精巧な主祭壇と、イエスと聖フランシスコ・ザビエルに捧げられた側祭壇が置かれています。

また、パナジ教会の鐘楼はゴア最大級で、これは現在のオールド・ゴアにあったアウスティン修道院のものを移設したものです(アウスティン修道院跡として残っている「アウグスティンの塔」については後述しています)。

多くの住民がポルトガル時代に洗礼を受けた先祖からキリスト教信仰を受け継いでおり、これもゴアの町の特徴的な一面となっています。

パナジ教会の観光地情報

【インド旅行】ゴアのおすすめ観光スポット・レストラン・シーズンと日数・空港と行き方まとめ_オールド・ゴアの見どころ名所-パナジ教会の開館時間・料金・アク

【開館時間】10:00~12:30、15:00~18:00

【休日】日曜日

【入場料】無料

※礼拝(ミサ)が行われているときは入場できない。
※短パン、ミニスカート、タンクトップなどの服装での入場は控えること。
※観光客の受け入れを中止していたり、敷地内・あるいは教会内に入れないこともある。

パナジ教会への行き方・アクセス

カダムバ・バススタンド(パナジ・バススタンド)から徒歩約15分

※Googleマップには”Immaculate Conception Church”という名前で載っていますが、この名前の教会はいくつもあるため間違えないよう注意が必要です。

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