ついに!アフリカ大陸に上陸しました!!
ということで、今回からご紹介していくのはアフリカ・イスラム世界の中心地「エジプト」です!!
「アフリカに行くなら絶対にエジプトから」という、今思うとまったくもって謎なこだわりを持っていたために行った国なのですが、その期待・憧れのさらに上をいく国でした!!
そんなエジプト一人旅の様子を、しばらくは書いていこうと思います。
今回は、カイロに入国してから直で向かったギザのピラミッドとスフィンクス、おまけにカイロのナイル川についてお届けしていきますよ!
ちなみにこのひとり旅が、人生初のバックパッカー経験です!!
エジプトの基本情報
アフリカ大陸の北東端に位置するエジプト。
アラビア語の正式名称は جمهورية مصر العربية、通称はمصرと書かれ、「ミスル」と呼ばれます。
(さもアラビア語を読めるかのように書いていますが、まったく謎ですよもちろん。笑)
西はリビア、南はスーダン、北東のシナイ半島ではイスラエルとパレスチナのガザ地区と国境を接しています。
また、北は地中海、東は紅海に面しており、北東部には地中海と紅海を結ぶスエズ運河があります。
首都のカイロは中東からアフリカ北部のイスラム教圏の中でもかなり発展している部類の都市であり、アフリカ地域の中ではNo.1とも言われる都市規模を誇ります。
👇”イスラム圏としてのカイロ”について、詳しくはこちらをチェック!!
Coming soon!!!
エジプト観光の上での情報
言語
エジプトの公用語はアラビア語とされていますが、一般的なアラビア語ではなく「エジプト訛りのアラビア語」となっています。
このエジプト訛りのアラビア語は、日本語の関西弁やスペインのカタルーニャ語レベルの訛りではなく、俗にいう”一般的なアラビア語”と分けてもよいくらい違うらしく、もしエジプト旅行の前にアラビア語に触れていこうと考えているようなら、必ず「エジプトのアラビア語」に触れてください。
じゃないとほとんど意味をなさないみたいです!
、、とは言ったものの、アラビア語、日本人の我々からしたらもはや呪文ですよね。笑
そもそも横書きなのに右から左に読むという時点でかなり難解。
一応僕は出発の2週間前くらいにざっくりとアラビア語に触れたのですが、結局覚えたのは「こんにちは」の「アッサラーム・アレイコム」と「ありがとう」の「ショクラン」、そして「日本人」の「ヤーバーニー」だけでした。笑
(「ショクラン」については初日のタクシードライバーに「”Thank you” は『ショクラン』だよ」教わってです。笑笑)
じゃあ言葉の部分はやばいんじゃないか…。
そう考えたあなた!大丈夫だよ!!
エジプト人の多くは英語が話せます!!
少なくとも、僕たちが行くような大きな観光地や有名なバザール(市場)、ホテルの人間は英語が話せますのでなんとかなります。
ですが、公共交通機関の職員は英語を話せない人が多かったです。
空港にいた警備員(もしかしたら軍人さんかもだけど)、カイロからルクソールへ行く際の寝台列車のチケットの購買窓口、そしてルクソール駅の駅員さんはまったく英語を話してくれず非常に困りました。
結局、空港では迷った挙句タクシーをつかまえ、というかつかまり(笑)、
寝台列車はタクシードライバーにアラビア語で通訳してもらい、専用の窓口に通され無事購入(専用窓口は英語が通じました)、
ルクソール駅では英語が話せるガイドを連れてこられる、
という展開になりました。
食事のお店については、正直かなりビビっていたのと(笑)節約のためにほとんどお店に入らなかったのでなんとも言えないのですが、道沿いに置かれたメニューなどは、アラビア語しか書かれていないお店が多かったです。
特に数字。
アラビア語圏では数字もアラビア数字で書かれているのがほとんどですので、当然値段もアラビア数字で記載されています。
「いざ入ったはいいが数字が読めず、ぼったくられる。」という未来が見えてしまい、僕はチキりましたね、ハイ。笑
確かに英語は通じるからなんとかなる、けど、存分に味わい尽くすなら公用語は話せた方が良いに決まっている。
英語圏外の国では、結局これが大原則ですね。
ガイドブックには「これが美味しい!」とか「おすすめ!」とか書いてありましたが、そもそもメニューが何を指しているのかがわからないのでお話になりません。笑
ということで言語の部分をまとめると、
“ガチ”でエジプトを楽しむならやはりエジプトのアラビア語を身に付けることが一番ですが、英語さえ話せれば一通りエジプトの旅行は可能!!
ということになりますね!
治安
僕がエジプトへ行ったのは2017年9月末でした。
当時はまだ「アラブの春」のほとぼりが収まったばかりで少々危険度が上がっていたと思われますが、日中であればよっぽど変な道を行かない限り危険は感じないと思います。(女性は常に警戒を厳にしてくださいね。)
少なくとも僕は、最低限の人通りがある道を日中に歩き、危険な目には遭わなかったです。(客引きはウザかったけどね笑)
ただ、夜は不用意に出歩かない方が良いと思います。
慣れない国、わからない言葉、そしてエジプト人からすると日本人はおそらく”カモ”ですからね。笑
僕はルクソールからアスワンに到着したのが夜だったのですが、まさかのホテルまでの道に迷い、結局道を聞くために警察まで行くハメになりました。
このときはなかなかドキドキしながら歩いていましたね〜
ちなみに警察へは、とりあえず入ったホテルの受付の人から案内を聞いて行きました。
その場でホテルを予約する旅プランなら、それでOKでしたね。。
警察では、警察官の男の人が「ホテルまで送ってあげる」と言ってくれたのですが、そもそもそこが本物の警察かわからなかったし、なんだか雰囲気が怪しい人が送ってくれると言っていたので、結局断ってGoogle Mapを使って自力で探し出しました。笑
この経験から、何があるかわからない以上用心した方が良いので、できれば日が昇っているうちにホテルにいるよう心がけましょう、ということなわけです。
とは言え、ピラミッドやルクソール神殿では夜間のライトアップやショーを行なっていますし、夜の町の雰囲気も味わいたいものですよね!
もしそういった希望があるのなら、はじめからそれら観光名所の近くのホテルを予約したり、事前にホテルとの往復の経路に目星をつけておく等の工夫をしましょう!
多少お金がかかってもエジプトの物価は安いですし、危険のリスクを少しでも減らせるのなら安いものですからね!
ちなみに、タクシーも信じすぎるのはNGです!
メーターを改造している人や降りる間際になって色々と注文をつけてくるドライバーもいるそうですから。。
タクシーについては後述しますが、ここでも結論だけ書いておきます。
どこへいくにしても、必ず事前に値段を決めておきましょう!!
これがトラブル回避の最初にして最大の一手です!
通貨
エジプトの通貨は「エジプトポンド(Egyptian Pound)」で、補助通貨は「ピアストル」が使われています。
ですので基本的には、現地では「パウンド」と英語で発音されるエジプトポンドで支払うことになります。
ただ、現地ガイドやタクシードライバー、お土産屋などではドルやユーロでも受け取ってくれますし、むしろ、ドルやユーロがあるならそっちで払え、と言ってくる人もいました。
これはおそらく、ドルやユーロの方が通貨としての安定性が高く、信用できるからでしょう。
僕らとしても価値を計りやすいので、ある程度用意しておくことをおすすめしますよ!
物価
エジプトの物価はかなり安め。
質を問わなければ、日本円にして500円前後でシングルのホテルに泊まれますし、ちょっとした食事なら一食100円をきることも可能です。
可能です、、が!
正直エジプトの物価は、たった数年でもかなり変化しているものと思われます。
市販のガイドブックも最新のものとは限らないことが多いので、ネットや本に書かれていることは”あくまでその時点での情報”ということを念頭においてください。
ではどうするか。
実際に自分で確かめる!これが一番です。
空港内で何か買えるお店があればそこの値段を見ておく。
最初にホテルに向かったのならホテル内の食事や飲み物代を確認し、周囲のお店に入ってみる。
などなどですね!
どこの国でも空港やホテルが”最高値”ですから、それ以上の値段での提供はまずぼったくりです。(もちろん高級料亭とかは別ですよ!)
まずは自分でその時のエジプトの物価・相場を確認する。
これは非常に重要です。
次で詳しく書きますが、エジプトでは口頭で値段を伝えられることが非常に多く、値札がついていたとしても一貫性がありません。
同じ水がお隣同士で値段が違う、なんてこともありましたから。笑
僕は空港から直でピラミッドへ向かい、そこで恐らく壮大にボラれています!笑
これは、初一人バックパッカーでビビっていたということもありますが、やはり相場を知らなかったというのが非常に大きかったように思っています。
適正価格を知らないで買い物をするなんて、冷静に考えたら愚か者すぎますからね!
ですので、自身の身をもってその時の相場を知っておくことは非常に重要ですよ!!
客引き・買い物
エジプト旅行において、ここ、一番大事です。
個人旅行、バックパッカーの方々は特に。
エジプトは「世界で一番ウザい客引き」と言われるほどの客引き大国です。笑
空港や駅から一歩出ると、というか、一歩出る前からタクシーの客引きはいるし、観光名所ではラクダだの馬だのに乗らないかと言われるし、街中でもタクシーとガイドの客引きがとにかく多い。
ただ言っておくと、「乗らない?」とか「買わない?」とか「ガイドするよ!」とこちらに”聞いてくる”人たちは全然マシです!!
ホント、マシです、マジで。だって断ればよいだけですから。
基本は一発断れば諦めてくれますが、中にはしつこい人もいます。
「いやいや、安いからさ!」みたいな人ね。
そうなったら無視を決め込んできてください。まるで何もいないかのことごとく。
そうすれば勝手に諦めてくれます。
要は、「あ、こいつはきっと無理だな」と思わせればよいのです!
ですが、特に観光地には”プロ”が多くいます。
「やられた!」と僕が一番思った手口は、
『フレンドリーに話しかけてきて仲良くなり、「写真撮ってあげるよ!」と言って撮ってもらったあとに法外な値段を請求される』というものです。
旅慣れしている方からすると「バカだな〜」と思われるでしょうが、はじめて海外へ行く方なんかは、これ、絶対にひっかかりますよ。人が良い方は特に。
わかるよ。
だってさ、せっかく親しげに声かけてきてくれたのに断りにくいじゃんか!笑
けど、断ってください。無視してください!
“I love Japan!“とか言われても、ホント、聞き流して大丈夫ですから!!
最初は親しげにサービスをしてくれたと思ったら、あとあと「いやいや、これだけサービスしたんだから払ってくれないと困るよ〜」みたいに言ってきます。
こうなるとかなり厄介。
しかも僕の場合は、スフィンクスのところでまんまとこの”罠”にハマったのですが、人が少ないところに連れていかれて割と恐喝じみていました。笑
こうなると、払わないと返してくれない雰囲気になってしまいますので注意してください!
もう一つご紹介する手口は、タクシー運転手とガイドやお土産屋が結託している、というものですね!
これはギザのピラミッドとルクソールの西岸でそれぞれ起きたこと。
ピラミッドでは、空港から向かった際のタクシードライバーが勝手にガイドをつけてきて、「ガイド代はいらない」と言いつつ、結局別途で乗馬代を払わされました。
ルクソールでは「ちょっと休憩だよ」と言いつつ寄った先はお土産屋。
「せっかくだから何か買っていけ」みたいな圧力をかなり受けました。
ピラミッドでも乗馬は楽しかったですし、お土産屋ではいい買い物ができたので、どちらも終わってみればまぁよかったっちゃよかったのですが、まんまと”してやられて”はいますよね。笑
客引きやこういったガイドの一番の撃退法は、完全無視です。
そもそも話さなければぼったくられようがありませんからね!
ですが、それだと味気ない旅になってしまいますし、タクシーやガイド、お土産屋での買い物は時として必要になるかと思います。
その場合は、必ず事前に値段交渉を済ませましょう。
必ず、事前に、値段交渉を済ませましょう!
大事なことだから2回言いましたよ!
タクシーの一日チャーターについては、僕のときは日本円換算で2000円ほどでしたし、あながち的外れな額ではないと思います。
ガイドについても、はじめは”Free”と言ってきても必ず裏があります。
その際は「俺は、私はこの後どこか行っても何も買わないからね」とか一言言っておけばこちら側の保険になります。
まぁどうせ「聞いていない」とか「言ってない」とか言われると思いますが、こちらのメンタル的に強くなれますので、きっと!笑
そしてお土産屋。ここでは値段交渉が必須です!!
いいですか、最初の言い値はかなりの高値です。それこそ、ぼったくりもいいところです。
必ず値段交渉をしてください。
上でも書きましたが、エジプトには”値札”がほとんど存在していません。
ですので、買い物の際はお店側の言い値が基本になり、そこから交渉していくという流れになります。
それこそ、水一本買うにも値切り交渉できるくらいです。
さすがにそんなところでまで気にしていたら疲れてしまいますが、お土産の購入の際は絶対にしましょう。
僕は最大で、最初の言い値の半額以上まで交渉できましたし、その際はそれくらいが妥当な値段でした。
ホントに「は??」みたいな値段を最初に突きつけてくる人もいますからね。笑
もちろん、向こうも商売ですのであまりやりすぎると「じゃあいいよ」となります。
そうなってしまった後に「じゃあやっぱ、、」となるとこちらが不利になりますので、自分がどれくらいその商品が欲しいのかによってある程度は妥協することも必要ですよ!
ちなみに、値段交渉のときに絶対にしてはいけないのは「財布の中身を見せること」です。
一度僕はこれをやってしまいました。
考えてみれば当然のことですが、お金を持っていると思われた瞬間、向こうは基本下げてくれません。
ですので、財布は小分けにする、必要最低限のみを持ち歩く等の対策を怠らないでくださいね!
これは防犯対策にもなりますので!
長くなりましたが、エジプトでの客引き対策とお買い物戦略をまとめます!
交渉に自信がない人、英語力に自信がない人、ツアーなどで来ていて余計な出費はしたくない人などは、とにかく無視!!
タクシーやガイドが必要な場合は、必ず最初に値段交渉を済ませておく。その際「追加の支払いなどはしない」と添えておくとなおよし!
お土産屋さんでは、最初の言い値では絶対に買わない!
相場と妥協のバランスを計ることが大切。
正直言ってしまうと、この辺を「面倒くさい」「絶対に嫌」と感じる方はそもそもエジプト旅行には向いていないと僕は思います。
こういった部分を楽しむくらいじゃないと、多分エジプトの個人旅行はやってられなくなりますよ!笑
もちろん、言い値を全然払える、気にしないという方は問題ありません。
でも、みんながみんな財力に余裕があるわけではありませんからね!
ちなみに僕は、このエジプト一人旅で英語での値段交渉はかなり力がついたように感じています!!笑笑
文化(イスラム教)
最後に軽く、エジプトを観光する上で考慮しておくとよいエジプトの文化、すなわちイスラム教徒としてのエジプト人についてお話しましょう。
唯一神「アッラー」を信仰するイスラム教。
「アッラー」という言葉は「神」という意味の言葉なだけであって、厳密には「アッラー」という神様が存在しているわけではありません。
イスラム教とよく紐付けられる「ムハンマド」は、神ではなく神の使い、すなわち使徒や預言者という立ち位置であり、イスラム教においては最後の使徒とされています。
そんなムハンマドが神の教えとして語った内容をまとめたのが、教典である『クルアーン(コーラン)』です。
ムスリムが取りべき信仰行為として定められた5つの行いを「五行(五柱)」と呼び、それぞれ「シャハーダ(信仰告白)」、「サラート(礼拝)」、「ザカート(喜捨)」、「サウム(断食)」、「ハッジ(巡礼)」と定められています。
この中でも、観光客に密接に関わってくるのが「サラート(礼拝)」と「ザカート(喜捨)」だと僕は感じました。
(時期によっては「サウム(断食)」もですが、今回は省略させていただきますね。)
まずは「礼拝」を意味する「サラート」。
これは、一日5回の礼拝をせよ、という信仰行為で、五行の中でもとりわけ重要な行いになります。
モスク以外の街中でも、礼拝の時間になると「アザーン」と呼ばれる礼拝への呼びかけが流れ、皆が礼拝を行います。
時間にすると数分から数十分だったと思いますが、僕は一度カイロのバザールでこの時間に出くわし、出店の店主たちが接客をほっぽって礼拝に勤しむ姿を目の当たりにしました。
ここまでエジプト人がぼったくってくる危険性を散々書きましたのでわかるかもしれませんが、エジプト人はとにかく”お金お金”な性格をしています。笑
もちろん、そうでない人もいますが、観光客の僕たちが話す人たちは基本そういう人種なんだと考えておいたほうがいいです。
ですので、とにかく”商売をしてくる”人が多いんです。
「これ買え!」「これはどうだ!」みたいな。
そんな人たちが「これ見せてくれませんか?」とこちらから聞いても、礼拝中は「今は黙ってろ!」と言ってくるのです!これは僕のリアルな話で。
やはり礼拝はそれだけ大事なことなのだな、と肌で感じ、イスラムの文化をちょこっと垣間見ることができました。
これは貴重でしたね。
僕たちに関わるイスラムの五行、もう一つは「喜捨」を意味する「ザカート」です。
「ザカート」が意味する「喜捨」は「義務的な喜捨」であり、ある種の「寄付」に近いものだそう。
僕たちに関わるのはこのザカート、喜捨の中に含まれる「バクシーシ」という文化になります。
「バクシーシ」は「自発的な喜捨」を意味する「サダカ」の一つで、「持つ者が持たざる者に与えるのは当然である」という考えからきている習慣だそう。
よく、欧米諸国の「チップ」の感覚が一番近いと紹介されていますね!
このバクシーシ、すなわちチップが結構厄介。
ぼったくりだのなんだのかんだのと上述しましたが、それは基本このバクシーシの考えに基づいているみたい。
「観光客や日本人は俺たちよりお金を持っている(に決まっている)。なら俺たちに与えるのは当然だろ!」みたいな。
確かに”郷に入っては郷に従え”と言いますから、”適正な”バクシーシを支払うのは当然のことになります。
問題は”適正でない”場合なんですね。笑
これが多いから、エジプト人は「世界一ウザい客引き」って言われるのでしょう、多分。笑
皆さんもエジプトを観光中にサービスなどを受けると、「バクシーシ、バクシーシ」と指を擦るジェスチャーとともにねだられることがあるでしょう。
そのときは、最低限は払ってあげることをおすすめします。それが文化ですから。
ただ、「これだけ?」とか「もっとくれよ」なんてことを言ってくる場合は、「これが今回の自分の気持ちだから」とキッパリハッキリ伝えましょう。じゃないとしつこいので。
「エジプト人は言わないとわからない人たちの典型」ぐらいに思っていかないと、日本人はカモられますよ!笑
その他注意点
この章の最後に、ここまでの項目にまたがる注意点を二つご紹介します。
まず一つ目は、「大きなお札は受け取ってくれない」ということです。
日本円をエジプトポンドに換金する際、おそらく大きな額の紙幣を渡されると思います。
しかし、大きな額の紙幣は、たとえピラミッドやルクソールの遺跡の入場券の購入であっても受け付けてくれません。
ですので、大きな額の紙幣はホテルや博物館など、比較的受け取ってくれやすいところで積極的に崩しておくことを強くオススメします。
細かなお金を持っていることは、上述のバクシーシ対策にもなりますからね!
そしてもう一つの注意点は、「お釣りは基本くれない」ということです。
これもバクシーシの考えからくるものだそうで、ホテルや”良さげな”料理屋さん、博物館なんかではくれると思いますが、それ以外では何も言わないとまずお釣りはくれません。
ちょっとくらいの額ならいいかもしれませんが、額が大きかったり納得できないときは、しっかりと”Change!“と言ってお釣りを要求しましょう!
よりエジプト観光を楽しむためには…
ここまで悪者っぽくエジプト人を書いてきましたが(笑)、基本的に”根は悪者ではありません”。。きっと。笑
ですので、こちらが要求したサービスは真摯に行ってくれますし、観光地なんかでも確かによくしてくれます。
渡したバクシーシがちょっと多かったりすると、向こうからサービスを上乗せしてくれることもありましたし!
もちろん、根底には「お金のため」という行動原理があってのサービスかもしれませんが、そこはこちらも変に勘繰ることをせず、「サービスしてくれたからバクシーシね」と素直になれれば、次第にエジプト人にも親しみが持てるようになりました!
いい意味で「気張らずいれる」、「ありのままでいれる」。
そんな国だったと思います!
ですので皆さんも、あまり気張りすぎず、細かいことは気にしすぎない、「こういうことも、こういう国もあるんだなぁ」くらいに思いながら過ごすと、よりエジプトを満喫できるはずですよ!
カイロの基本情報
今回はあくまでカイロ郊外の「ギザ」の記事ですので、カイロについては軽く触れる程度にします。
古代エジプト時代におけるカイロは、南側のメンフィスに首都がおかれ、西側のギザにピラミッドが建てられたものの、未開の地とされ、歴史への登場はおろか、この時代の遺跡さえほとんど見つかっていません。
そんなカイロが歴史に登場するのは、イスラム帝国が西へ支配地域を拡大していった7世紀ごろから。
当時東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の支配下にあったエジプトへの侵攻を進めたイスラム帝国の将軍アムル・イブン・アル=アースが、「フスタート」という名前で現在のカイロに拠点を築いたのが始まりとされ、以降イスラム帝国支配下のエジプトにおける中心都市となっていきます。
時代は進み1258年に、当時のイスラム世界の中心であったバグダードがモンゴル帝国によって支配されたことでイスラム世界の中心は西へ移行していき、カイロに行き着きます。
この頃がカイロの最盛期となり、イスラム世界の中心地として花開きました。
その後、一度は政治的な中心地ではなくなったカイロでしたが交易都市としては栄え続け、金星に入ると再びエジプトの政治の場となります。
以降開発が進められ、現在ではアフリカの、そしてイスラム世界の中心ともいえる都市にまで発展しています。
カイロのついては追々別記事で詳しくまとめますが、「イスラム色が強い地域」、「近代化が進んでいる地域」、「貧民街のような地域」など、各区画、地域で特徴がはっきりしていた印象です。
ただ、町全体の印象として言えるのは、「とにかく異文化!」ということ!!
建物は茶色いし、人はとにかく多いし、車のクラクションはとにかくうるさいし。。
ですが、「これがアフリカ、イスラム圏、エジプトなんだ!」と感じさせてくれる喧騒だったのもまた、間違いありません!
このカルチャーショックは、いまだに塗り替えられていない衝撃だったように感じます。
やはり、実際に行かないと感じないこと、わからないことばかりな世の中ですね〜〜!
いざ、エジプトへ!!
ではでは、ここからは実際の旅の様子をご紹介していきましょう!
今回は飛行機での様子から!
飛行機も楽しい!!
今回はエミレーツ航空を利用して、UAE(アラブ首長国連邦)のドバイを経由してエジプトへ入国しました。
ともあれフライトはそろそろ終着点。カイロに近づいてきました!
ビザを手に入れ、入国!!
エジプトへの入国にはビザが必要ですが、カイロ国際空港に到着後、空港内の銀行で購入できますのでご安心を!!
ただし、ビザ申請には6カ月以上のパスポート残存期間が必要になりますので、この点はご注意を。
また、入国時のビザにより可能な滞在期間は30日ですので、それ以上滞在予定の方は各都市内にあるパスポートセンターで延長する必要があります。
ビザをゲットし無事入国!!したものの、、
僕はこの後空港でギザ行きのバス停を探すのに迷走し、結局客引きのタクシーを使うことに。。
(上の観光情報の英語のくだりで書いたやつです。笑)
そしてこの選択が、この日のすべてを決定することとなったのです…!!
エジプト観光のシンボル!ギザのピラミッド!!
タクシードライバーとともにまず初めにやって来たのは、もちろんここ!
ピラミッドですね!!
エジプトの代名詞とも呼べる遺跡!
いまだ謎も多く、一度は来てみたい観光名所ですよね!
古代エジプトの歴史
せっかくですので、まずはピラミッドに関わる古代エジプトの歴史からご紹介しましょう。
エジプトの歴史は紀元前6000年~5000年頃まで、「人が住んでいた」という意味での歴史なら紀元前7000年頃の新石器時代にまで遡ることができます。
メソポタミア文明、インダス文明、黄河文明と合わせて「四大文明」の一つに数えられる古代エジプト文明の歴史は、古代ギリシアの歴史家ヘロドトスの有名な言葉「エジプトはナイルの賜物」が表すように、ナイル川と共にあると言っても過言ではありません。
他の四大文明と同様に、ここエジプトにもナイル川という巨大な河川が流れており、毎年春に起こるナイル川の増水・氾濫によって農耕や灌漑が可能となった地域に人々が集まったことが始まりとされています。
エジプトは、ナイル川周辺以外は人が住まうには過酷な砂漠が広がっていることから、他の四大文明よりも文明の中心となった河川により近く、集中して文化が興っているのが特徴です。
人が交通の便が良い大河川沿いに集中して暮らしていたことや、エジプトの地そのものが比較的独立した土地であることから、ほかの地域に比べて争いは少なかったと考えられています。
その甲斐あってか、紀元前3300年頃には古代エジプト文字である「ヒエログリフ」の文字体系が確立され、さらに、当時の生活の”すべて”と言っても過言ではないナイル川の氾濫を予測するために、測量技術や天文学が発達し、その結果として紀元前3000年頃には太陽暦(シリウス・ナイル暦)が普及していたというのだから、古代エジプト人の能力には本当に驚きです。
古代エジプトの歴史は、大きく分けて古王国時代(前27世紀―前22世紀)、中王国時代(前21世紀-前18世紀)、新王国時代(前16世紀-前11世紀)という3つの時代に分けられており、各時代では強大な「ファラオ」と呼ばれる神格化された王が国を統べました。
(それぞれの時代の間でも王朝は存在していましたが、王朝の支配力が弱まった混乱期と捉えられています。)
今回ご紹介するギザのピラミッドは、古王国時代のファラオたちの墓と考えられています!
古代エジプト王国の物語は、ナルメル王(メネス王)がそれまで独立していた上エジプト(エジプト南部のナイル川上流を支配していた)と下エジプト(エジプト北部のナイル川下流を支配していた)を統一したところから始まります。
このナルメル王がエジプト第1王朝の王、すなわち、最古のファラオということになります。(もっとも、これは現在確認されている情報では、ですが。)
ナルメル王の第1王朝、続く第2王朝については、資料が少なく不明な点が多いことから、古王国時代はその次の第3王朝からとされています。
古王国時代は古代エジプトの最初の繁栄期とされ、首都をメンフィスに置いた強力な中央集権政府が安定した政治運営をしていたとされています。
そんな中、紀元前2650年頃にファラオに即位したジョセル王の墓が、それまで「マスタバ」と呼ばれる建築形態によってつくられていたものから「ピラミッド型」へと変化しました。
つまりこの時代から、古代エジプトの王墓はピラミッドへと変化していき、経済が安定した第4王朝のスネフェル王、クフ王、カフラー王、そしてメンカウラー王の時代にピラミッド建築は絶頂期となりました。
現在の「ピラミッド」という言葉は、この時代のクフ王・カフラー王・メンカウラー王の3つのピラミッドの総称である「ギザのピラミッド」を表すことが非常に多いですよね!
その後の第5王朝時代から、徐々にではありますが経済の繁栄に陰りが見えてきて、それに伴い中央政府の支配力も弱まりだしました。
そして第6王朝が崩壊した時点をもって、古王国時代の終焉とされ、以降第10王朝までの100年間あまりは、各地で内乱が起こる混迷期となります。
そんな混迷期にあったエジプトを再度統一したのが、テーベ(現在のルクソール)に都を置いたメンチュヘテプ2世の王朝になります。
彼の王朝を第11王朝として中王国時代の幕開けとなります。
中王国時代は古王国時代ほどの繁栄は見られなかったとされていますが、地方の諸侯たちの勢力をうまく削ぐなど、対外遠征による国土拡大よりは国内の安定化を重視した政治運営が目立つ時代となりました。
しかしその国策が仇となったのか、第13王朝の時代に中央政府は急速に求心力を失い、各地の独立を許してしまいます。
そして第14王朝の時代とされる紀元前1663年頃には、パレスチナ方面から侵入してきた異民族「ヒクソス」によって支配を受け、彼らのもとで第15王朝が立てられます。
この古代エジプト二度目の混迷期を統一したのが、ヒクソスが立てた第15王朝から分離し、上エジプトを支配していた第17王朝になります。
この時の第17王朝のファラオであるイアフメス1世(アハメス王)が上下エジプトを再度統一し、第18王朝を成立させた時点が、新王国時代の始まりとされています。
新王国時代は古代エジプトの歴史において最も栄華を極めた時代とされていおり、その理由の一つが「積極的な対外政策」です。
第18王朝では、上述のイアフメス1世はもちろんのこと、その後のトトメス1世やトトメス3世が大規模な軍事政策をとっていますし、続く第19王朝のラムセス2世はヒッタイトとの「カディシュの戦い」を経て、世界史上初の和平条約の締結をしています。
これらのファラオはそれぞれ、トトメス1世が「軍人王」、トトメス3世が「古代のナポレオン」、ラムセス2世が「建築王」や「エジプト史上一の大王」と呼ばれるなど、非常に強大な力を持った王でありました。
また、王が強大な力を持つ、ないしは国力の増大によって経済が繁栄するということは、文化も華開くというのが歴史の常。
新王国時代は古代エジプトの巨大建築の集大成と呼べる時代でもあり、首都であり文化の中心地であったテーベには、ピラミッドに代わる巨大かつ荘厳な葬祭殿や神殿が数多く建築されました。
エジプト全土のみならず北東の西アジアや南のヌビアをも支配し、強力な中央集権制を確固たるものとした新王国時代でしたが、それも永遠ではありません。
絶対的なファラオを中心にすえる国家体制は新王国時代末期で崩れてしまい、新王国時代以降のエジプトは周辺国である西のリビア、南のヌビア(現スーダン)、東のアッシリア、そしてペルシアからの支配を受け続けることとなります。
各国から支配を受けていた時代でもエジプト人がファラオに就いてた時代は存在していましたが、ペルシアからの二度目の支配を受けることとなった際に敗れた第30王朝が、エジプト人がファラオに就いた最後の王朝となってしまいます。
ペルシアがエジプトを支配してすぐに、アレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)がペルシアを滅ぼしたことで、エジプトはアレクサンドロスの帝国に組み込まれます。
しかしアレクサンドロス3世が33歳の若さでこの世を去ると、帝国内で後継者争いが勃発。
その後継者の一人であったプトレマイオスがアレクサンドロス3世の遺体を強奪し、アレクサンドリア、ないしはシーワ・オアシスに埋葬したとされています。
このプトレマイオスの行動は、「先王の遺体を埋葬する」というファラオの伝統行為であり、これによって自らがファラオを継ぐことの正当性を示したと考えられています。
そしてこれ以降、ギリシア系の人物がファラオとなったプトレマイオス朝が首都をアレクサンドリアに置いてエジプトを支配していくこととなります。
ですので、後述の女王クレオパトラを含めたプトレマイオス朝のファラオたちは、ヨーロッパ風の顔立ちや肌の色をしていたとされていますよね!
プトレマイオス朝の初期のファラオたちは、国制を整え学術を振興するなどの善政を敷いていましたが、次第に内政が悪化していき、加えて周辺国との戦争も増えていったことで国力は疲弊していきます。
そんなプトレマイオス朝の最後のファラオとなったのが、「クレオパトラ」として歴史に名を残すクレオパトラ7世です。
男性王権のエジプト王朝ですので厳密には弟との共同統治でしたが、実質的な女王として、当時の世界の中心にあったローマ帝国の支配者、ないしは支配者候補であったガイウス・ユリウス・カエサルやマルクス・アントニウスと通じることで、疲弊していたエジプトの再興を図ります。
しかし、カエサルはローマでブルートゥスらの手によって暗殺され、アントニウスと挑んだアクティウムの海戦ではオクタウィアヌス率いるローマ軍に敗北してしまいます。
そして、アクティウムの海戦の翌年の紀元前30年にクレオパトラ7世は自ら死を選び、以降エジプトはローマの属州として支配されることとなります。
カエサルの暗殺については、「ブルートゥス、お前もか。」のセリフが、クレオパトラの自殺については、「自らをコブラに噛ませた」という逸話が有名ですよね!
現在の歴史では、このクレオパトラ7世の死をもって、約3000年間続いたエジプト王朝時代は終焉したと捉えられています。
これでもかな〜〜〜〜りザックリと、古代エジプトの歴史をご紹介しました!
ガチで書くと軽く一記事書けますからね!笑
そして、ここまで語ってまだ”紀元前”。
ホント、歴史とは奥深いものですね~~
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そもそもピラミッドって??
古代エジプトの歴史の次は、「ピラミッド」そのものについても軽くご紹介しておきましょう。
そもそも「ピラミッド」というのは「四角錐状の巨石建造物」の総称であって、エジプトの四角錐の王墓固有の名称ではありません。
とはいったものの、「ピラミッド」に該当する建造物は古代のエジプトや西アジア(メソポタミア)、中南米の各文明の時代に建てられたものがほとんどになっています。
また、ピラミッドと言うと誰もが想像する「ギザの三大ピラミッド」のような綺麗な形をした四角錐の形状をしたピラミッド(「真正ピラミッド」と呼ばれています)は珍しい部類で、古代エジプト初期のピラミッドやメソポタミアのジッグラト、中南米のメソアメリカ文明(マヤ文明、テオティワカン文明、アステカ帝国など)のピラミッドは階段状に層を積み重ねた最上部が尖っていない「階段ピラミッド」が一般的な形となっています。
こういう中南米を中心に見られるピラミッドが、むしろ”定番の”ピラミッドなのですよ!
ギザの三大ピラミッド(Giza pyramid complex)
ということで、やっとこさ本題の「ギザの三大ピラミッド」の紹介に入ります!
ここまでで書いてきたことを改めてまとめると、ここギザのピラミッドは古代エジプト最初の繁栄期である古王国時代のファラオであるクフ王、カフラー王、メンカウラー王の王墓とされています。
周囲には王妃たちのピラミッドや家臣たちの墓(こちらはマスタバの形状)なども立てられており、王墓であるピラミッドを中心に据えた「ピラミッド・コンプレックス」と呼ばれる王の埋葬形態がとられた場所となっています。
クフ王のピラミッドの中には、一日あたりの時間と人数を制限してですがなんと入ることができちゃいます!!
僕が行ったときは13時からだったようで、あいにくクフ王のピラミッドに入ることは叶いませんでした。。
が!クフ王のピラミッドのすぐ横の建造物には入れてもらうことができました!(何かはよくわからなかったけれど…笑)
その後、タクシードライバーが勝手に連れてきたガイドに案内され、ピラミッドが一望できる”裏手”へ!
このとき、なぜか僕の分以外にも、タクシードライバーとガイドの分の費用も払わされ確実に”ボラれた”のですが(笑)、ピラミッドを自分の手で乗馬しながら眺めるという中々できない体験をすることができました!!
手綱で馬をコントロールするのって難しいんですね。。
ちなみに右はタクシードライバー。
よくよく考えたら結構アブナイことしてます、俺。笑
メンカウラー王のピラミッドの手前にあるのが、メンカウラー王の3人の王妃のピラミッドになります。
ここでピラミッドうんちく。
ピラミッドの建築方法については未だはっきりとしたことがわかっておらず、様々な説が出ていますが、中でも有力なのは、「一定の高さまでは傾斜路をつくって素材となっている石灰石を運搬し建てていき、それ以上はピラミッド内部に通路をつくって運搬し、頂上まで建築した」というものだそう。
そして、「クフ王のピラミッド」は14世紀にイギリスに建てられたリンカン大聖堂に抜かれるまで、世界で一番高い建築物だったのです!
数千年にも渡って世界で最も高い建造物であり続け、現在に至るまで現存するものを建てるって、本当に古代エジプト人って何者なのでしょうか…?!
また、今までは奴隷がピラミッドを建設したという説が有力でしたが、近年ギザのピラミッドの近くに、ピラミッド建設に関わった人たちが暮らしていたと考えられる街の跡が発見されたことで通説が覆されつつあります。
現在では、奴隷ではなく一般市民が、しかも生活の跡から考えるに、それなりに地位のある人や女性も従事していたとされており、その数は数千から数万にものぼる可能性があるそう。
死後の世界にも重きを置いていた古代エジプト人ですから、王の死後に密接に関わるピラミッド建築にもなんらかの意味合いを持たせていた可能性は大いにありますよね!
まさに!浪漫ですねぇ〜〜!!
スフィンクス(Great Sphinx of Giza)
ギザに来たらもう一つ観ておきたい観光名所・建造物、それが「スフィンクス」です!!
「スフィンクス」も「ピラミッド」同様、本来は「エジプトやギリシャ、メソポタミアの神話に登場するライオンの体と人間の顔を持つ神獣・怪物」の総称ですが、一般的にはここギザの大スフィンクスを指しますね!
古代エジプトにおけるスフィンクスは、王、ないしは神を守護する神聖な存在として扱われており、王権・権力の象徴であるライオンと神格化された王ファラオを合わせた姿とも考えられています。
中王国時代以降は、人間の頭ではなく最高神アモンの聖獣である雄羊の頭部をもつスフィンクスが、神殿の守護者として神殿の参道におかれました。
ギザのスフィンクスについてのお話をすると、実はこのスフィンクスは石灰岩を掘り下げることでつくられているのです!
一枚岩からつくられた像としては世界最大となっています。
そして、このスフィンクスはピラミッドと同じか、それ以上の謎に包まれた存在でもあるのです!
というのも、今までは三大ピラミッドの真ん中に眠るカフラー王の命によって参道の守り神として建てられたという説が有力だったそうなのですが、さらなる調査や像の年代測定によって、カフラー王の時代より前、ひいては、最初にギザの地にピラミッドを建てたクフ王の時代よりも前に建てられた可能性が出てきたのです!
今では、真っ当な推論から火星人だのアトランティスだのといったオカルトがらみに至るまで様々な説が出されているのが、このギザの大スフィンクスなのですよ!
ナイル川 in カイロ
ギザのピラミッド、そしてスフィンクスを後にして、僕はカイロの市街地へ出てきました。
というのも、この日はカイロに宿泊せずに寝台列車でルクソールへ向かうという弾丸日程でしたので…!
まずは、カイロ最大の中心駅「ラムセス駅」で寝台列車のチケットを、タクシードライバーの助けもあってなんとか購入しました、、!
無事に寝台列車のチケットを入手し夜まで時間を潰すことになったので、タクシードライバーにオススメの場所に連れていってもらいました。
それがここ!ナイル川とそこに架かるカルス・アン=ニール橋です!(写真の位置情報によると…!笑)
調べてみると地元の人からは人気の橋らしく、状況や橋の様子からしてもカルス・アン=ニール橋であってると思います!
味付けは、、なし。笑
ホントに”無味無臭”だったなぁ。。
ちなみにエジプトのお茶はかなり甘いミルクティーです!
夕陽に彩られるナイル川を眺めながら、タクシードライバーと両者カタコトの英語で色々話しました。
仕事のことや学校のこと、日本のことも話しました。
この日のドライバーはなんだかんだですごくいい人だったように感じます。
拙い英語で何とか伝えようとしてくれましたし、ガイドもほとんどドライバーが突っぱねてくれていましたからね!
そんな彼の話で印象に残っているのは、「日本にはナイルはないのか?」というお話。
ホントに、”Is there Nile in Japan?“みたいに聞いてくるんです。
当然、日本に”ナイル川”はあるわけないので”No!“と答える。
するとかなり驚かれたのです。「えっ!!ないの??!!まじかよ!!」みたいな!
で、話を続けていくと、どうやら彼は「川」という意味で”Nile”という単語を使っていたようなのです!
(riverという単語を言ってもピンときていなかったのですが、water, big..みたいなことを言っていたら伝わったので…!)
確かに、エジプトの川といえばナイル川くらいしか存在していませんよね!
ですので「ナイル=川」「川=ナイル」という認識になっても何ら不思議はない。
ここで僕は、言葉の不思議、文化のおもしろさのようなものを感じることができました!
そして、今でもエジプト人にとって大きな存在であるナイル川の存在も感じることができ、ちょっぴり感慨にも浸ってましたね!笑
(もっとも、ナイル川に本当に魅せられたのはルクソールでのお話なのですが。。!!)←これについてはルクソールの記事でお楽しみください!!
そんなこんなでこんなで列車の出発時間が近づいてきたので、再びラムセス駅へ。
ちなみに、結局一日チャーターしたタクシードライバーはここまで見送りに来てくれました!
まぁきっと、渡した額がよかったから何だけど。。笑
👇さらなる魅力に溢れるルクソールについての記事はこちら!!
ギザのピラミッドのまとめ
今回はエジプト観光の基礎情報と古代エジプトの歴史、そして、ギザのピラミッドとスフィンクスを中心にご紹介してきました!
初アフリカ、初バックパッカーの初日とは思えない濃さだったと今でも思います。
というか、今だからこそ振り返ると、なかなか俺すごくないか、と思います。笑
空港で迷った挙句タクシーに乗るわピラミッドとスフィンクスで客引きにあうわ、だからね。
このメンタル、怖いもの知らずな若さでしたね〜!
ですがある意味、強烈な客引きだの言い値の値段だのを初日に味わえたのはよかったと感じました。
この後のルクソールとアスワンでの振る舞い方や楽しみ方がわかりましたし、ある種の「エジプトの洗礼」だと捉えられましたし!
こちらも今思うとですが、とてもいい経験でしたね!!
ということで、エジプトの様子はまだまだ続きますが、ひとまずピラミッドとはお別れ。
エジプト、ギザのピラミッドへ訪問される方のお役に少しでも立っていれば幸いです。
そして、エジプトやピラミッドに興味があるならぜひとも行きましょう!!
ちなみに僕個人のオススメとしては、エジプトへ行くならほかの国以上にエジプトの歴史を少しでも学んでいった方がよいと感じました。
エジプトでは遺跡や博物館を巡るのがメインとなるでしょうから、そのときに「ここはこういうところだったよな、なるほど!」とか、「この前読んだあれって、これのことだったのね!」みたいになった方が、絶っっっっっっっっ対におもしろいので!!
メモや印刷で準備しておくもよし、デバイスにネット環境がなくても読めるようにしておくもよし、とにかく出発前に一手間だけかけて、行きの飛行機の中でちょろっと読むだけでも全然違うと思いますよ!
ぶっちゃけWikipediaの情報だけでも結構勉強になりますからね!
もちろん、アニメやマンガなど現代の創作物のテーマにもなるのがエジプトの歴史や神話ですから、行く行かないに関わらず触れてみるとおもしろいですよ!!
旅を通じて歴史を知り、歴史を知ってさらに旅を楽しむ。
エジプトひとり旅では、今の僕のこだわり、大切にしていることを見つけることができました。
きっとあなたも、エジプトへ足を踏み入れれば観光以外にも様々な点で、あなただけの気づき、楽しみ、お気に入りが見るかると思いますよ!!
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