【京都観光】千本鳥居だけじゃない!伏見稲荷大社の見どころ・歴史・所要時間・アクセス情報

千本鳥居だけじゃない!観光前に知るべき伏見稲荷大社の魅力|見どころ・歴史・狐の由来

みなさんこんにちは!観光情報サイト「旅狼どっとこむ」の旅狼かいとです!

今回は、京都随一の大人気観光名所伏見稲荷大社についてご紹介します!

地元の方々からは「お稲荷さん」の愛称で親しまれる伏見稲荷大社は、全国に約3万社あるといわれる稲荷神社の総本社。そんな伏見稲荷といえば「千本鳥居」がとても有名ですよね! 朱塗りの鳥居が並び立つ風景は圧巻の一言。

しかし伏見稲荷には、他にも見どころが盛りだくさんなのです! そんな伏見稲荷大社について、見どころや歴史、ご利益や狐の由来といった旅行前に知るともっと観光が面白くなること間違いなしの知識はもちろん、所要時間の目安や拝観時間、拝観料、アクセス・駐車場情報といった便利な情報までわかりやすくお届けします!2ページ目には、写真も盛りだくさんで実際にパワースポット巡りとなるお山巡りをしてきた様子も載せていますので、ぜひ最後までお楽しみください!


目次

伏見稲荷大社の歴史

まずは伏見稲荷大社の歴史をお話ししていきます。歴史を知れば、見どころやご利益をより深く知れますよ!

創建と「イナリ」の名について

伏見稲荷大社の歴史_創建と「イナリ」の名について

まずは、伏見稲荷大社の稲荷(イナリ)という名前の由来をみていきましょう。「イナリ」の名については、『山城国風土記』にある秦伊侶具はたのいろぐのお話が有名です。

風土記によれば、イナリと称する所以はこうである。秦氏族の「秦伊侶具はたのいろぐ」は、稲作で裕福だった。ある日、餅を的にして矢を射ると、餅が白鳥に代わって飛び立ちこの山に降りて稲が成った。この出来事から「イナリ」を社名とした。後になると、子孫はその過ちを悔いて社の木を抜き家に植えて祭った。いまでは、木を植えて根付けば福が来て、根付かなければ福が来ないという。

風土記によると、「イナリ」と呼ぶようになった理由はこうである。
秦氏族の「秦伊侶具はたのいろぐ」は、稲作で裕福だった。ある日、餅を的にして矢を射ると、餅が白鳥に代わって飛び立ち、この山(稲荷山)に降り、稲が育った。この出来事からこの地を「イナリ」と呼ぶようになった。構成になると、秦伊侶具の子孫は彼の過ちを悔い、社の木を抜いて家に植えて祀った。いまでは、木を植えて根付けば福が来て、根付かなければ福が来ないという。

ちょっと現代っぽくアレンジするとこんなかんじでしょうか。とはいえこの伝承は「イナリ」という言葉の由来については語っていますが、伏見稲荷大社の創建そのものについては特に述べていません。

そうなのです、実は稲荷社の創祀についてははっきりしていない点が多いのです。

ただ社伝では、「秦氏が和銅年間に稲荷社の社家となった」というお話や、「全国的な天候不順によって作物の不作が続いていたため、勅使を名山大川に派遣して祈請し、さらには山背国の稲荷山に大神を祀ると、五穀が稔って国が富んだ」という歴史が伝えられています。また、「和銅4年(711年)2月の初午はつうまの日に、稲荷大社の祭神である稲荷大神が稲荷山に降臨した」とされており、和銅4年2月壬午を記念日として「初午大祭」を行うようになったといいます。合わせて「稲荷祭」も始まったとされているため、この和銅4年(711年)が伏見稲荷大社創建の年と考えられているようですね。

伏見稲荷大社の歴史_創建と「イナリ」の名について_稲穂を加えた白狐

なお、「イナリ」の表記はもともと「伊奈利」という漢字を使っていました。しかし、天長4年(827年)に淳和天皇の詔において「稲荷」という字が使われたことで、以降の公式の記述でも「稲荷」表記が定着していったとされています。「稲荷」という文字の由来は、「稲がなり、その稲を荷っているところから」というのが一番オーソドックスな説となっているようですね!

平安時代の隆盛

伏見稲荷大社の歴史_平安時代 ~伏見稲荷大社の隆盛~

天長4年(827年)、淳和天皇が病に倒れてしまいます。そして、天皇が病に罹った理由が「東寺の塔を建てるために稲荷山の樹を伐ったことの祟り」であることが占いによって明らかとなったのです。これをきっかけにして、それまで秦氏の私社であった稲荷大神に、従五位下の神階が下賜されました

この出来事を契機に、神社の立地から「東南方向の福の神」という意味のたつみの福神」として、伏見稲荷大社は京都の人々から信仰を集めるようになったといいます。そして、延喜8年(908年)に藤原時平の寄進により社殿が造営され、天慶5年(942年)には神階の最高位である正一位が授けられました。

伏見稲荷大社の歴史_平安時代の人気

神社の最高位であった伊勢神宮には天皇以外の参拝が禁止されていたこと、平安京中心部から近いという立地、当時の京中の約3分の1にあたる地域が稲荷大社の産土地とされていたことなども後押しし、伏見稲荷大社は次第に平安京でも随一の参詣者を集めるようになっていきます。その様子は、平安末期の説話集『今昔物語』や清少納言の『枕草子』、藤原道綱母の『蜻蛉日記』といった文学作品にも記されており、特に、遠方から初午に稲荷詣をする女性の様子が多く描かれているのが伏見稲荷の特徴です。

参詣者が増えていったことで稲荷大社の祭りである「稲荷祭」も規模も増していき、賀茂神社の葵祭や八坂神社の祇園祭とならぶ人気を博したといいます。

鎌倉時代の神仏習合

伏見稲荷大社の歴史_鎌倉時代の神仏習合

鎌倉時代に入ると、全国的に進んだ神仏習合の流れを稲荷大社も受けることとなり、神社の祭神にも「本地仏」が解釈されるようになります。「本地仏」とは「本地垂迹ほんじすいじゃく」とも言われるもので、「日本古来の八百万の神は、実は仏や菩薩が化身として日本の地に現れた姿なのだ」と考ることを指します。つまり、「日本古来の”神”道と外国から入ってきた”仏”教とを融合(=”習合”)させよう」と考えたわけです。

この神仏習合の影響によって、それまで宇迦之御魂大神うかのみたまのおおかみ・「佐田彦大神さたひこのおおかみ」・「大宮能売大神おおみやのめのおおかみの三柱だった伏見稲荷神社の祭神に、四大神しのおおかみ」と「田中大神たなかのおおかみが加わり、伏見稲荷大社の祭神が現在の五柱となったのでした。加えて、稲荷大社のシンボルともいえる「眷属の狐」についての伝承もこの時期に現れ始めたと言われています。

応仁の乱による焼失

伏見稲荷大社の歴史_室町時代の隆盛と応仁の乱

伏見稲荷大社の産土地域である下京一帯は、時代を追うごとに商業地域として京都の経済流通の中心的役割を担うようになっていました。その豊かな経済力をもとに稲荷祭に参加する鉾や山もその数を増やし、意匠もより豪華に趣向をこらしたものが多く出てきていたようです。

祭りが華やかになれば当然集まる人も増えるわけで、「年に一度の稲荷祭の時には、老若男女の雑踏で演者の声や音曲がかき消されるほどであった」というエピソードまで残されています。伏見稲荷大社の隆盛ぶりを表していますね!

しかし、日本史上の転換点ともいわれる「応仁の乱」が起こると、伏見稲荷の状況は一変します。当時の日本の中心地であった京都はこの内戦で壊滅的な被害を受けることになるのですが、伏見稲荷大社も例外ではなかったのです。

伏見稲荷大社の歴史_応仁の乱による焼失

伏見稲荷大社の神山である稲荷山は、京都の南部地域を見下ろすには絶好の場所でした。そのため応仁の乱が勃発した際、東軍である細川勝元側の足軽大将「骨皮道賢」が伏見稲荷に陣を置いたのでした。骨皮道賢は西軍である山名軍の糧道を絶ち、さらにはゲリラ戦を展開していました。

そんな戦局の中にあった応仁2年(1468年)3月、西軍は稲荷山に畠山義就の軍を差し向けます。すると道賢軍はあっけなく攻め込まれ、陣形は崩壊。骨皮道賢は逃走を試みますが、敗走中に討ち取られます。

結果、伏見稲荷に陣取っていた東軍は大敗。この合戦の際に、伏見稲荷大社は山中に建てられていた建物を含めすべてが焼き尽くされてしまうのです。

桃山時代から江戸時代の復興

伏見稲荷大社の歴史_桃山時代から江戸時代の復興

応仁の乱によって境内が焼き払われてしまった伏見稲荷大社。終戦後は稲荷祭を行うことさえままならない状況だったそうですが、人々の稲荷神への信仰は廃ることはなく、寄進を募ることで社殿の再建を進めていきました。

寄進の中でも有名なのは、豊臣秀吉からのものですね! 伏見稲荷大社に近いところに伏見城を築城した秀吉は、実はかねてから伏見稲荷大社を信仰していたと伝えられているのです。というのも、天正16年(1588年)に、病気にかかってしまった母の大政所おおまんどころの平癒を伏見稲荷に祈願すると、これが成就したという逸話が残っているのです。

こうした信仰心から秀吉は稲荷大社へ大規模な寄進を行い、伏見稲荷大社の社殿造築はさらに進んでいきました。現在も社殿に立つ楼門は、秀吉の寄進によって建築された代表例となっています。

伏見稲荷大社の歴史_江戸時代からはじまった千本鳥居の奉納

江戸時代に入ると、幕府が積極的に商業の保護に努めたことで商いが盛んになります。伏見稲荷の祭神である「稲荷神(ウカノミタマ)」は「農業・商工業の神」ですから、稲荷社は多くの町人や商人から信仰を集めるようになります。

そしてこの頃から、「願い事が”通るように”、あるいは願い事が”通った”ことへのお礼を込めて、朱い鳥居を奉納する」という習慣が広まったとされています。つまり、今では伏見稲荷のシンボルとなっている「千本鳥居」の文化は、町人・商人の文化が花開いた江戸時代に始まったものなのです!

日本が誇る観光名所へ

伏見稲荷大社の歴史_日本を代表する観光名所へ

慶応4年(明治元年、1868年)の神仏分離・廃仏毀釈はいぶつきしゃくによって、伏見稲荷大社の本殿内の仏像類は廃され、明治政府によって境内地も4分の1に減らされます。そして第二次世界大戦後に、社名が現在の「伏見稲荷大社」と改称されました。

近年では、狭い間隔で朱い鳥居が並ぶ千本鳥居の”the 日本的な風景”や「お山めぐり」という形で欧米人が好む傾向にあるウォーキングを楽しめることから、外国からの観光客が特に増えているという伏見稲荷大社。コロナ禍前の2019年まで、6年連続でトリップアドバイザーの「外国人に人気の日本の観光スポット」で一位となっていることからもわかりますね!

もちろん、日本人の国内旅行でも人気は十分! お正月三ヶ日の参拝者数は、京都の神社の中でNo.1と言われていますよ!


伏見稲荷大社の見どころ

伏見稲荷大社の見どころ

ではいよいよ、伏見稲荷にきたら絶対にチェックしたい見どころをご紹介していきます!

二の鳥居と楼門

伏見稲荷大社の見どころ-二の鳥居と楼門

JR奈良線の稲荷駅から伏見稲荷大社へ向かうと、神社の玄関である「一の鳥居」を経て「二の鳥居」をみることができます。

伏見稲荷大社の社殿の特徴として、表参道から「一の鳥居」「二の鳥居」「楼門」「舞殿(外拝殿)」「内拝殿」「本殿」が一直線に並ぶことが挙げられます。そんな二の鳥居と楼門が並ぶ姿からは、威厳をもって参拝者を出迎えてくれる様子を感じることができます。

伏見稲荷大社の見どころ-豊臣秀吉の楼門

歴史のところでもご紹介しましたが、現在の楼門は日本初の天下統一を果たした「豊臣秀吉」の寄進によって建てられたことでも知られています!

本殿

伏見稲荷大社の見どころ-本殿

重要文化財に登録されている伏見稲荷大社の「本殿」。現在の本殿は、応仁の乱の際に焼失したものを1499年に再建したものになっています。

横から見ると、背面に比べて前面が長く伸びている「稲荷造」という独自の建築技法が用いられているのが特徴で、安土桃山時代へと向かう時代に建てられた、当時の華やかな雰囲気が表現されているのが特徴となっています。

千本鳥居

伏見稲荷大社の見どころ-千本鳥居

伏見稲荷大社一番の見どころといえば、この「千本鳥居」ですよね! 伏見稲荷への鳥居の奉納は江戸時代に始まったとされており、稲荷山山中のものを含めるとその数は1万基にも及ぶといわれています。

実は伏見稲荷大社の境内は、厳密には社殿の後ろに聳える稲荷山全体までを指します。そのため稲荷山山頂への参道にも鳥居は並んでおり、「千本鳥居」はもともと稲荷山の参道全体を表現する言葉だったそう。今では本堂裏に間隔を開けずにギッシリと並び立っている参道を、特に「千本鳥居」と呼称していますね!

伏見稲荷大社の見どころ-フォトスポットな千本鳥居-インスタ映え

いつ行ってもとにかく人がぎっしりで、なかなか思うような写真や動画を撮ることができない千本鳥居。どうしても人がいないところで撮りたい場合は、早朝に観光するのがオススメ!

伏見稲荷大社には門がなく、24時間参拝が可能です。なので何時でも入れるのが伏見稲荷大社の特徴。筆者も7時半ごろに一度行ったことがあるのですが、さすがにその時間はほぼ貸切状態でしたからね!笑

9時近くになってくると次第に人が増えてくるので、人がいない中で撮影したい方は8時半までには着いておくのが良いでしょう。他の観光名所は9時開門というところが多いので、ある意味京都観光の予定に組み込みやすくはなりますよ!

伏見稲荷大社の見どころ-千本鳥居を奉納しよう!
ちなみに、一般の人でも鳥居の奉納は可能です!(伏見稲荷大社公式ホームページより)

奥社奉拝所(奥の院)

伏見稲荷大社の見どころ-奥社奉拝所(奥の院)

「奥社奉拝所」と呼ばれる伏見稲荷大社の「奥の院」は、千本鳥居の先に位置します。この場所自体は「命婦谷」といい、ちょうど稲荷山の麓になります。

おもかる石

伏見稲荷大社の見どころ-奥社奉拝所(奥の院)のおもかる石

奥の院の名物となっているのが、「おもかる石」と呼ばれる試し石です! 心の中で願い事を唱えながら灯篭の上の石をゆっくりと持ちあげ、「石が軽ければ願いが叶い、重ければ難しい」という意味だそう。

「商売繁盛」のパワースポットとして知られる伏見稲荷大社における、ご利益的な名物としても人気ですね!

東丸神社

伏見稲荷大社の見どころ-東丸神社

「東丸」と書いて「あずまま““」という読み方の「東丸神社」。こちらは伏見稲荷大社の境内にある神社になります。東丸神社で祀られているのが稲荷大社社家である荷田かだの氏の先祖である「荷田春満かだのあずままろ」であり、境内に立っていた彼の旧宅の一部を社殿としたことで、神社の境内に別の神社があるという形になっています。

江戸時代の国学の第一人者であった荷田春満は、のちに賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤と共に「国学の四大人」とも称されます。そのため現在は「学問の神様」として高い人気を集めているのですよ! 実際、東丸神社には千羽鶴や絵馬が多数奉納されており、学問にまつわる願いを祈る人々の軌跡を追うことができます。

お山めぐり

伏見稲荷大社の見どころ-お山めぐり

千本鳥居が有名な伏見稲荷大社ですが、「お山めぐり」と呼ばれる参拝もまた伏見稲荷でぜひやっておきたい観光名物です!

千本鳥居のところにも書いた通り、伏見稲荷大社は稲荷山全体を神域として境内の扱いにしています。つまり、”真の伏見稲荷大社参拝”はこの稲荷山を登る「お山めぐり」をしてこそなのです。

稲荷山は標高約233メートル。お山めぐりを完遂するには、一周約4キロという道のりを2~3時間かけて歩く必要があります。もちろん山道を登り降りするため、軽いトレッキングぐらいの気持ちを持っていないと結構大変です。しかも、しっかり休めるのは途中にある「四ツ辻」という山の中腹の休憩所のみ。つまり文字通り”歩きっぱなし”になります。

ですのでお山めぐりに挑戦しようという方は、間違っても浴衣や着物に下駄なんて格好でくることはやめておきましょうね…!笑

伏見稲荷大社の見どころ-お山めぐりに挑戦しよう!

こう言うと気が引けてしまう方もいるかも知れませんが、お山めぐりのゴールである稲荷山山頂「一ノ峰」までにはたくさんの見どころがあります。そしてその一つ一つがパワースポットにもなっているので、京都観光の際は一度はやっておいて損はないですよ!

以下では、そんなお山めぐりで出会える見どころをご紹介します。

熊鷹社と谺ヶ池

伏見稲荷大社の見どころ_お山めぐり-熊鷹社と谺ヶ池

お山めぐりをはじめて20分ほどで最初に見えてくるのが、「熊鷹社」とその背後に広がる谺ヶ池こだまがいけ(新池)」になります。

「行方不明になった人を探している時にこの池のほとりで手を叩き、こだまが返って来た方角に手がかりがあった」という言い伝えから、「谺ヶ池」という名がついたそうです。また、この伝承からは「願いを叶えたいときにここで手を叩いてこだまをきく」という、ある種の占いも生まれています。

叩いた手の音のこだまが帰ってきた方が「幸運の方向」で、早くこだまが帰ってくるほど「早く願い事が叶う」のだそうですよ!

大松社

伏見稲荷大社の見どころ_お山めぐり-大松社

稲荷山中腹の四ツ辻に着く少し前にあるのが「大松社」です。瓢箪型のお塚が非常に特徴的な場所ですね!

瓢箪のイメージからも想像できるように、祀られている大松大神は「お酒の神様」としての側面を持ちます。そして、「良縁のご利益」がいただけるパワースポットとしても実は人気なのです!「酒を酌み交わす仲は良縁の証」ということなのでしょうね!

四ツ辻

伏見稲荷大社の見どころ_お山めぐり-四ツ辻

「四ツ辻」は、山の中腹に軽食店がある休憩所のような場所であり、京都の街並みを一望できる見晴らし台でもあります。四ツ辻からの山中にある「神蹟地」に参詣しながら稲荷山の周囲を一周するのが「お山めぐりの本番」といわれており、ここでやっと登り半分といったところです。

四ツ辻からは3つの道が伸びており、そのうち真ん中の道から右回り(時計回り)にお山めぐりをするのが正式な参拝順路と言われています。ですので一応、四ツ辻から右の道を行っても反時計回りでお山めぐりをすることができます。

伏見稲荷大社の見どころ_お山めぐりと四ツ辻

一番左の道は、七神蹟地の一つである「荒神峰」と「田中社」へと繋がっています。すべての七神蹟地を巡りたいという方は行くべき場所ですが、そうでなければ“寄り道スポット”です。

七神蹟地

伏見稲荷大社の見どころ_お山めぐりと七神蹟地

四ツ辻の先のお山めぐりの途中には、いくつか小さなお社があります。

室町時代あたりまでは稲荷山の山中の至るところにお社があったそうなのですが、そのほとんどが応仁の乱によって焼失してしまいます。そして結局、それらのお社は再建されることがなかったのですが、「神様が鎮まりかつて祠があった場所」ということで「神蹟地」としては残されたのでした。

そんな伏見稲荷の神蹟地でも特に名高い7カ所が「七神蹟地」として選ばれ、親塚が建てられたのです。いわば稲荷山の重要神蹟と呼べる場所で、パワースポットとしても知られていますよ!

一ノ峰(上之社神蹟):末広大神
・二ノ峰(中之社神蹟):青木大神
・三ノ峰(下之社神蹟):白菊大神
・荒神峰(田中社神蹟):権太夫大神
・間ノ峰(荷田社神蹟):伊勢大神
御膳谷遙拝所:往古に三ヶ峰に神供をした所と伝えられている
釼石(長者社神蹟):社殿の後ろに御神体の剱石があり、長者社には賀茂玉依姫かもたまよりひめを祀る

伏見稲荷大社の見どころ_お山めぐりと七神蹟地-御膳谷奉拝所の塚群

ちなみに、それぞれの神蹟で祀られている神様は昔から残る名前や伝承のものを引き継いでいるだけのようで、どんなご利益があるのか、どんな由来があるのかということは定かでない点が多いようです。

日本のパワースポットって理由や由来がはっきりしているものが多いですが、海外のものって案外説があるだけってところが多い気がします。そういう意味では謎めいた長い歴史がありそうで、かえってちゃんとしたパワースポットって感じがする気がしますね!

薬力社

伏見稲荷大社の見どころ_お山めぐり-薬力社

「薬力社」は、七神蹟地には含まれていないものの稲荷山山中にあるパワースポットとして非常に有名なお社の一つです。

その名の通り「薬」に関わる御利益をいただける場所で、薬効や薬害防止のご利益はもちろんのこと、そこから広がった無病息災医学技術向上健康長寿安産家内安全、薬関係の職業や薬局・製薬会社などの商売繁盛まで、実に様々な権能を有しています。

伏見稲荷大社の見どころ_お山めぐり-薬力社とねがいかけ草鞋

加えて「ねがいかけ草鞋」を奉納することで、腰痛・身体健康・病気平癒・旅行安全を祈願するという慣わしもあるそう。一番奥の竹筒から流れ落ちる湧き水が、特に健康長寿につながる霊水といわれていますよ!

御膳谷奉拝所

伏見稲荷大社の見どころ_お山めぐり-御膳谷奉拝所と力松大神

「御膳谷」は稲荷山の三つの峰の渓谷が集まっている場所で、神蹟地の一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰を拝する聖地とされています。毎年1月5日に「大山祭・山上の儀」が行われる場所になりますね!

奉拝所の奥には「力松大神」を大神を祀っているお社もあり、その背後にはお塚郡も広がっています。とても厳かな雰囲気がある不思議な空間でした。

眼力社

伏見稲荷大社の見どころ_お山めぐり-眼力社

口から竹筒を伸ばして水を流す狐がシンボルとなっているのが「眼力社」です。この眼力社も七神蹟地には含まれていないながらも、パワースポットとして非常に人気なお社となっています。

「眼力」の名の通り「目の病」への効用はちろんのこと、「商売の目利き」や「先見の明」、さらには”がんりき”繋がりで「願力(入試、就職、結婚)」といったご利益もあるといわれています!

伏見稲荷大社の見どころ_お山めぐり-眼力社のご利益

狐そのものが一つのフォトスポットにもなりますし、なんだか心が澄むような独特な雰囲気も感じられましたよ!

御劔社(長者社神蹟)

伏見稲荷大社の見どころ_お山めぐり-御劔社(長者社神蹟)

御劔社みつるぎしゃは、七神蹟地の中でも特に知られているパワースポットになります。「長者社神蹟」の名前から「長者社」とも呼ばれ、社殿の後ろに御神体である「釼石(雷石)」が置かれているのが特徴です。

この御劔社では「玉櫛媛」の名でも知られる賀茂玉依姫かもたまよりひめが祀られています。実は賀茂玉依姫は、賀茂神社をなす「上賀茂神社」と「下鴨神社」で知られる賀茂神社創建に関わる女神。山背国に支配圏をもち伏見稲荷を氏神として創建に関わったとされる「秦氏」は、同じく山背国に支配圏を持っていた賀茂氏と深い関係にあったという説があります。その繋がりで賀茂玉依姫が祀られていると考えられているそうですが、実際のところの真相はいまだに謎が多いそう。

伏見稲荷大社の見どころ_お山めぐりとパワースポット-御劔社(長者社神蹟)

ともあれ賀茂玉依姫は「美麗の神」「女性守護の神」「縁結びの神」として信仰されていますから、そういったご利益を御劔社ではいただけそうですね!

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一ノ峰(上之社神蹟)

伏見稲荷大社の見どころ_お山めぐり-一ノ峰(上之社神蹟)

稲荷山の頂上にあたるのが「一ノ峰」になります!神蹟としては「上之社神蹟」という名前となっており、「末広大神」が祀られています。

一応ここが稲荷山の頂上なのですが、他の神蹟地と同様にお社とお塚があるだけで展望台だったり見晴台みたいなものはないです。パワーを感じることができればよし、何も感じなければ、、それはそれでよし!笑

一ノ峰の末広大神には、商売繁盛のほか、人気・芸能の英知もいただけるというご利益があるそう。願いが“末広に”叶い続けるように、お祈りだけはさせていただきましょう!


伏見稲荷大社 ご利益・祭神・白狐について

伏見稲荷大社の見どころ_ご利益・祭神・白狐

見どころの次は、ご利益ご祭神、さらには稲荷社特有の「白狐」について解説していきます。神仏習合の影響もあり伏見稲荷大社の祭神についてはややこしいところもあるので、チェックしていくとより観光が面白くなるはずです!

ご祭神

伏見稲荷大社の見どころ_ご利益と祭神

宇迦之御魂神うかのみたまのかみ倉稲魂命うかのみたまのみこととも)
佐田彦大神さたひこのおおかみ
大宮能売大神おおみやのめのおおかみ
田中大神たなかのおおかみ
四大神しのおおかみ

古くから伏見稲荷大社をはじめとする稲荷社で信仰されているのは「稲荷神」です。ですが伏見稲荷大社においては、「祀られている五柱は稲荷大神の神徳が顕れたもの」とされており、この五柱をまとめて「稲荷神」あるいは「稲荷大神」と呼んでいます

稲荷神そのものは穀物・農業の神であり、時代を経るごとに、同じく穀物や食物、農業の女神である「宇迦之御魂神(倉稲魂命)」と同一視されていきます。なので、現在の伏見稲荷大社の主祭神は「宇迦之御魂神」ということになっているのですね。

ご利益

伏見稲荷大社の見どころ_ご利益

商売繁昌五穀豊穣・安産・万病平癒・学業成就
その他、芸術上達などの産業全般、家内安全、交通安全なども

稲荷大社と白狐

伏見稲荷大社の見どころ・ご利益・祭神_白狐の由来

皆さんの中には「稲荷大社における”神様”が狐(白狐)である」と考えている方がいるかもしれませんが、それは誤りです。稲荷社における白狐は、稲荷神の「眷属」という立場にあり、「神の使い」として稲荷大社の神域を守る役目を担っているのです。

そんな稲荷大社の眷属に狐が選ばれた理由には、次の3つの説が考えられています。

壱. 言葉の響きから

伏見稲荷大社の見どころ・ご利益・祭神_白狐の由来-御食津神と御狐神

一番有名な説が、言葉の響きから転じていったという説。

稲荷神は「食物の神」であり、食物の神は「御饌神(みけつかみ)」とも表現します。その「みけつ」という言葉がいつの間に「御狐(おけつね)」「三狐(みけつね)」に転じたことから、稲荷神の眷属が狐になった、という説です。

弐. 稲荷神と荼枳尼天の関係から

伏見稲荷大社の見どころ・ご利益・祭神_白狐の由来-稲荷神と荼枳尼天

2つ目は、鎌倉時代に起きた神仏習合の際に、稲荷神が密教の荼枳尼天だきにてんと同一視されたからという説です。

荼枳尼はヒンドゥー教の「ダーキニー」から転じたとされる仏教の天部で、もともとは「半裸で血器や短刀を手にし、屍肉を喰らう」という女鬼として描かれていました。そんな荼枳尼は『九尾の狐』や『玉藻前』といった中国由来の狐に関する寓話と混ざることで、次第に「白狐にまたがる天女」と解釈されるようになり、名前も「荼枳尼“天“」と呼ばれるようになります。

そんな荼枳尼天と稲荷大社の祭神が習合したことで、天女がまたがっている白狐がそのまま稲荷神の眷属とされた、と考えられているのです。稲荷神は女神である宇迦之御魂神と同一視されていましたから、同じく女神である荼枳尼天ともイメージを重ねやすかったのでしょう。

画像出典:Wikipedia荼枳尼天

参. 『稲荷流記』の逸話から

伏見稲荷大社の見どころ・ご利益・祭神_白狐の由来-老狐の物語

3つ目が、『稲荷流記』に記されたちょっとしたお話から生まれた説です。それがこちら。

時は平安初期の弘仁年間のこと。平安京北部の船岡山の麓に、全身に銀の針を並べ立てたような白い毛をもつ年老いた狐の夫婦が棲んでいました。この狐夫婦は心根が善良で、常々世のため人のために尽くしたいと願っていました。とはいえ動物の身であっては、その願いを果たすことはできません。
そこである日、狐夫婦は意を決して五匹の子狐をともなって稲荷山に参拝し、「今日より当社の御眷属となって神威をお借りし、私たちの願いを果たしたいのです」と稲荷大社に祈りました。すると、たちまち神壇が鳴動し、稲荷神のおごそかな託宣がくだりました。
そなたたちの願いを聞き許そう。ならば今より長く当社の仕者となり、参詣の人、信仰の輩を扶(たす)け憐むが良い
こうして狐夫婦は稲荷山に移り棲み、稲荷神の慈悲と付託にこたえるべく日夜精進につとめることになりました。またこのとき、男狐はオススキ、女狐はアコマチという名を稲荷神から授けられたとのことです。

一言でいうと「人々のためになりたいと願っていた美しい白狐の夫婦が、稲荷神によってその願いを叶えられ、眷属となった」という説になりますね!

境内の白狐に注目してみよう!

伏見稲荷大社の見どころ・ご利益・祭神_白狐が咥えているものの意味-鍵

上記3つの伝説から、今では稲荷社になくてはならない存在となった白狐。伏見稲荷大社の境内にも至るところに像が立てられているのですが、実はくわえているものが異なり、それぞれに意味があるのですよ!

食生活の基本となる「稲穂」をくわえている場合は「五穀豊穣」を、「玉」と「鍵」は玉鍵信仰から「万物の創世の理」を、「巻物」「知恵」を表現しているとされているのです。(「玉」は宝玉を表現していることから「金運」を、「鍵」は米などを保存する「蔵の鍵」を表現しているという説もあります。)

伏見稲荷大社の見どころ・ご利益・祭神_白狐が咥えているものの意味-巻物

こうした違いを気にしながら狐像を見てみると、また違った面白さがあること間違いなしですよ!

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伏見稲荷大社の観光地情報

伏見稲荷大社の拝観時間・拝観料・所要時間・アクセス・駐車場

伏見稲荷大社の拝観時間や拝観料、所要時間やアクセスは以下の通りです。

拝観時間

24時間拝観可能

拝観料

自由拝観無料

観光の所要時間

・千本鳥居と奥の院までの場合:30~45分
・お山めぐり:2~3時間

伏見稲荷大社の観光地情報_アクセス・駐車場

観光のオススメ時間

・千本鳥居での撮影を楽しみたい方:早朝
・社殿のライトアップを楽しみたい方:夜(夜間のお山めぐりは足元に十分お気をつけください)

アクセスと駐車場

京都市伏見区深草薮之内町68番地
TEL:075-641-7331
・JR奈良線「稲荷駅」からすぐ(京都駅から5分)
・京阪本線「伏見稲荷駅」から徒歩5分
・市バス南5系統「稲荷大社前」で下車後、徒歩7分
・駐車場は境内南西にあり。ただし神社は公共交通機関の使用をお願いしています。

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千本鳥居だけじゃない!観光前に知るべき伏見稲荷大社の魅力|見どころ・歴史・狐の由来

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