みなさんこんにちは!旅狼かいとです!
長々とタイトルが書かれていますが、今回はフランス・パリの観光の中心地と言える、凱旋門(エトワール凱旋門)、シャンゼリゼ通り、コンコルド広場、チュイルリー公園のラインを一挙にお届け!
この”ライン”については、後ほど改めて書いていますよ。
加えて、2018年から2019年への年越しカウントダウンを凱旋門で見ることが出来たので、その様子もご紹介していますよ!
「海外で年越し、一度はしてみたい!!」という人は多いはず!
パリへも、毎年日本からたくさんの人が、年越しイベントを一目見よう訪れています。
実際に行ってみると、カウントダウンの時にはちらほら日本人の方がいましたからね!
ということで、、
後半ではパリでの年越しカウントダウンを楽しむための情報も書いていますので、ぜひ最後までお楽しみくださいね!
エトワール凱旋門(Arc de triomphe de l’Étoile)
早速、凱旋門からご紹介していきます!
エトワール凱旋門について
まず、そもそも「凱旋門を建てる」というのは古代ローマの風習で、戦争などの軍事的な勝利を讃え、その勝利をもたらした将軍や皇帝などの国家元首、そして軍隊が、凱旋式を行う際の記念のために造られた門が「凱旋門」なのです。
ですので、パリ市内のみならず世界中に「凱旋門」は存在しています。
とは言え、今日「凱旋門」というと、ナポレオン・ボナパルトとセットで出てくるこの「エトワール凱旋門(Arc de triomphe de l’Étoile)」を指しますよね!
エトワール凱旋門は、ナポレオン1世ことナポレオン・ボナパルトが、ロシアとオーストリアの連合軍を打ち破ったアウステルリッツの戦いの勝利を記念して建設を命じました。
建設開始は1806年で、完成したのは1836年のことでした。
エトワール凱旋門が完成したとき、ナポレオンはすでにセントヘレナ島で息を引き取った後。
ナポレオンが初めてこの門をくぐったのは、1840年にセントヘレナからパリに改葬された時のことで、生きているうちにこの門をくぐることはありませんでした。
「エトワール(étoile)」というのは、この凱旋門が建てられている広場のもともとの名前で、日本語にすると「星」を意味します。
この名前の由来は、広場を上から見たときに、広場から放射状に広がる十数本もの道路が星のように見えることから。
ちなみに、現在は「シャルル・ド・ゴール広場」と、パリで最も大きな空港と同様の名称となっています。
この名称は、第二次世界大戦の際に、ナチスドイツからパリを解放したシャルル・ド・ゴール将軍を讃えてのことだそうです。
エトワール凱旋門の彫刻
お次は打って変わって、凱旋門の彫刻のお話をいたしましょう。
エトワール凱旋門の向かって右側の彫刻は、リュードの「1792年の義勇軍の出陣」という作品で、「ラ・マルセイエーズ」と呼ばれています。
「ラ・マルセイエーズ」は、現在のフランス国歌と同じ名前です。
「マルセイユの歌」とも称されるこの歌は、もともとはフランス革命の時の革命歌で、マルセイユの義勇軍が進軍時に歌ったのがはじまりとされています。
そんな革命歌と同じ名前を冠したこの彫刻は、歌の発祥とされるマルセイユの義勇軍の様子を描いたものなのですよ!
その上の四角い枠の中の彫刻は、「マルソー将軍の葬儀」と呼ばれる彫刻。
オーストリア軍を破ったマルソー将軍の戦死に、たくさんの人が悲しんでいるという様子を描いています。
国民に愛された将軍・軍人の姿を描いているのですね〜
次に、向かって左側。
「ラ・マルセイエーズ」と並ぶ大きな彫刻は、コルトーの「1810年の勝利」という作品で、ウィーン講和条約を称えたもの。
真ん中に剣を持って立つ男性が、エトワール凱旋門を造らせたナポレオン本人で、そんな彼の頭に、右から勝利の女神が月桂樹の冠をのせています。
その上の長方形の枠の中の彫刻は、スール作の「アブキールの戦い」です。ナポレオンがトルコに勝利した場面を描いていると言われています。
そんな素晴らしい彫刻も相まって、まわりから観るだけでも楽しめるこのエトワール凱旋門。
それだけでも十分かもしれませんが、実はこの凱旋門、屋上に登ることも可能です!
上からの景色は本当に圧巻!!
シャンゼリゼをはじめとする「”星”の通り」を一望することができますよ!!
写真で凱旋門!
ではでは、写真とともに凱旋門をご紹介していきましょう。
今回の記事の中では唯一、凱旋門へは大晦日以外の日にも行っているので、個別で写真を載せます。
上に登ります!
上からの写真はこれのみ。
本当はもっと撮ったのですが、この日はとことん写真運、というかカメラ運がなく。。
というのも、まず、この日は日中ヴェルサイユ宮殿に行ったのですが、前日にカメラの充電をし忘れるという一番やってはいけないことをしでかします。笑
カメラは朝から虫の息。
奮闘虚しく、ヴェルサイユ宮殿で力尽きてしまいます。
結局、ここ凱旋門と凱旋門の前に行ったエッフェル塔はスマホのカメラで撮影。
本当ならこれで済むはずだったのですが、、
この後訪問したスペインのマドリードで、なんとスマホをスられてしまいました…!
写真のバックアップは取っておらず、取った写真はサラバイという。。
ですのでここでご紹介している写真、実は一緒に行った弟からもらったもの。笑
だからなんだというわけではないのですが、凱旋門とシャンゼリゼ通りの魅力を伝えきれないのは残念至極…。
一応お伝えしておくと、後半の年越しカウントダウンの方の写真は、僕がカメラで撮影したものですので…!
気を取り直して、凱旋門の紹介に戻りましょう!
途中まではエレベーターも用意されていますが、屋上テラスへ上がるのは階段しかありません。
足腰など体のどこかに不安がある方は留意しておいてくださいね。
エトワール凱旋門の真下中央部には、第一次世界大戦で犠牲になった兵士たちを讃えた「無名戦士の墓」があります。
戦死した150万人以上のフランス将兵を代表して、一人の兵士が実際に埋葬されているそうですよ。
調べてみたら毎日決まった時間に点火しているとも……。
真偽やいかに。。
次の日のカウントダウンに向けての準備でしょう!
👇この日、凱旋門の前に行った2つの観光名所です!👇
エトワール凱旋門のアクセス・開館情報
アクセス
地下鉄①②⑥線・RERのA線ともに、最寄駅はCharles de Gaulle Étoile。
凱旋門の下・屋上への入り口へは、シャンゼリゼ通りから入れる地下通路を通って行く必要があります。
周りの道路を渡って行くことはできないので注意です。
開館時間
4~9月 10:00~23:00
10~3月 10:00~22:30
入場は閉館の45分前まで。
一部祝日が休日となります。
料金
€12
18~25歳 €9
18歳未満 無料
パリ・ヴィジェット提示で25%割引
ミュージアムパス使用可能
シャンゼリゼ通り(Avenue des Champs-Élysées)
凱旋門の後にご紹介するのは、『オ~、シャンゼリゼ~』の歌で有名な「シャンゼリゼ通り(Avenue des Champs-Élysées)」です!
シャンゼリゼ通りの概要
「パリ市内で最も美しい通り」と言われる大通りこそ、このシャンゼリゼ通りになります。
フランスではもはや、「世界で最も美しい通り(la plus belle avenue du monde)」と言う表現が使われているそうですよ!
ですが実際に歩けば、その表現にも頷けます。
東はコンコルド広場、西は凱旋門までを一直線につなぐマロニエ(マロンの木)並木の大通りで、その長さは約3km、幅は70mと数字にしても圧巻。
コンコルド広場をさらに東側へ進むと、チュイルリー公園とカルーゼル凱旋門を通り、ルーヴル美術館に突き当たります。
このルーヴル美術館(ルーヴル宮殿)を起点に、西側へ一直線にルーヴルのピラミッド、カルーゼル凱旋門、チュイルリー庭園、コンコルド広場のオベリスク、凱旋門と通り、そしてラ・デファンス地区の「新凱旋門」ことビル群「グランダルシュ(La Grande Arche)」とへ伸びる道は、「パリの歴史軸(axe historique)」や「凱旋路(voie triomphale)」、「王の道(voie royale)」と呼ばれています。
歴史的建造物やその時代を象徴する建築物が直線上に並び立っていることから、これらの名がつけられたそうですよ!
時間さえ許してくれれば、実際にこの道を歩いてみたいものですね〜!
シャンゼリゼ通りには、
「Jeweller of kings, king of jewellers(王の宝石商であり、宝石商の王)」と謳われる「カルティエ」や、
日本でも大人気のブランド「ルイ・ヴィトン」の本店、
ワニマークで有名な「ラコステ」の旗艦店など、
フランスを代表するブランド店はもちろんのこと、
「フーケ(fr:Fouquet’s)」をはじめとするカフェやレストラン、「リド」などの伝統的なキャバレー、さらにはプジョーやルノーの自動車ショールームに至るまで、あらゆるお店が並んでおり、
“現代”を代表して歴史軸の一端を担っていると言えるでしょう。
シャンゼリゼ通りの歴史と名前の由来
このように、今日では非常に華やかなシャンゼリゼ通りですが、なんと元々は農園と市場でした。
まるで田舎のようなこの場所を豪華な並木道にしたい、と言ったのが、当時の国王ルイ13世の母マリー・ド・メディシス(Marie de Médicis)でした。
ちなみに、マリー・ド・メディシスはイタリア出身で、家名の「メディシス(Médicis)」はイタリア語では「メディチ(Medici)」と呼ばれます。
(歴史に詳しい方ならピンとくるかも!)
マリー・ド・メディシスの「チュイルリー宮殿の庭園の軸を伸ばす」という決定により、ヴェルサイユ宮殿とチュイルリー宮殿の庭園をそれぞれ手がけたル・ノートルによって都市計画がなされ、現在のシャンゼリゼ通りの大本となる並木通りが造られました。
そして、「シャンゼリゼ」という名前について。
「シャンゼリゼ」をフランス語で書くと”Champs-Élysées”と書かれ、実は一つの単語ではないのです。
“Champs”は「野原」や「畑」、”Élysées”は「エリュシオン」を意味し、「エリュシオン」というのはギリシャ神話における死後の楽園、日本語でいうところの「極楽浄土」にあたる場所。
つまり、「シャンゼリゼ」は「楽園の野原」、あるいは「野原の楽園」を表すわけですね!
名前からしても、「世界で最も美しい通り」の称号は相応しかったわけか…!
ということで、そんな素晴らしきシャンゼリゼ、ぜひみなさんもご自身の足で歩いて確かめてみてくださいね!
(以降の観光地の写真は、下でまとめてご紹介しています!!)
コンコルド広場(Place de la Concorde)
「コンコルド広場(Place de la Concorde)」は、1755年にアンジュ=ジャック・ガブリエルによって設計されました。
当初は、広場にルイ15世の騎馬像が置かれていたことから「ルイ15世広場」と呼ばれていたそうです。
そんなルイ15世広場、フランス革命の際は文字通り”血なまぐさい”舞台となってしまいます。
まず、ルイ15世の騎馬像が撤去され、名前が「革命広場」に改められます。
そして、ギロチンによる処刑がこの広場で執り行われることになるのです。
ルイ16世やマリー・アントワネットをはじめとする1000人以上もの人が、当時の死刑執行人ムッシュ・ド・パリ(Monsieur de Paris)のシャルル=アンリ・サンソン(Charles-Henri Sanson)のギロチンによって首をはねられたのが、この場所だったのです。
現在の「コンコルド広場」という名前で呼ばれ始めるようになったのは、その後の1795年。
「コンコルド」は「調和」という意味の言葉であり、歴史や言葉の意味を知るといろいろな想いを感じることができますね…。
また、コンコルド広場の中心には「オベリスク」が立っています。
オベリスクというのは、古代エジプトの葬祭殿や神殿に立てられた記念碑の一種で、基本的には2本が対となって存在しています。
オベリスクには、エジブトの古代文字「ヒエログリフ」によってその時代のファラオ(古代エジプトの王)の偉業や太陽神への賛辞が書かれていることが多く、その威光を示す狙いもあったとされています。
パリのオベリスクは、エジプトのルクソール神殿から運び出されたもので、対となるもう1本は現在もルクソール神殿に残っています。
エジプトについてもおいおい記事を書いていきます!
👆
〜追記〜
エジプトの記事を投稿しました!ぜひご覧ください!!
ちなみにそんなオベリスクですが、エジプトからロンドンとニューヨークにも運び出されており、パリのものと合わせて「クレオパトラの針」と呼ばれています。
しかし、オベリスクはクレオパトラとは何の関係もないもので、英語で書くとただの”Obelisk”。
パリのオベリスクも”Luxor Obelisk”ですので、たまにある“日本語訳になる過程でおかしなことになったシリーズ”です。笑
まあ確かに、「ルクソールのオベリスク」と直訳しても味気ないっちゃ味気ないけども。
(てか、日本人が「ファラオ」と聞くと、「クレオパトラ」と真っ先に答える理由が何となく見えてくるなぁ。。)
さらにオベリスクについて加えると、建設当時の古代エジプトではオベリスクを「テケン(保護・防御)」と呼んでいたそうなのですが、のちにギリシャ人が「串」を意味する”obeliskos”と呼んだことがきっかけで、「オベリスク」という名称が定着したそうです。
日本語の「クレオパトラの針」しかり、名前って意外とテキトーなんだなぁ、と思ったり思わなかったり…笑
そんなオベリスクが目印のコンコルド広場、シャンゼリゼ通りからも遠目に伺えるほどです。
コンコルド広場の悲しき歴史に想いを馳せながら訪れてみると、また違った”何か”を感じられるかもしれませんね。。
チュイルリー公園(Jardin des Tuileries)
ものによっては「テュイルリー」と日本語では書かれますが、ここでは「チュイルリー」でいきますね。
「チュイルリー公園(Jardin des Tuileries)」は、もとはチュイルリー宮殿に付属した庭園でした。
「え?チュイルリー宮殿なんてあったっけ?」と思った方、正解ですよ!
チュイルリー宮殿は、今はなき宮殿になります。
「チュイルリー宮殿(Palais des Tuileries)」は、1563年に当時の王シャルル9世の母であり、摂政として実権を握っていたカトリーヌ・ド・メディシス(Catherine de Médicis)の命令によって建設が始まり、実に100年という歳月をかけて完成に至った宮殿になります。
完成時はルーヴル宮殿(現在のルーブル美術館)と繋がっており、カルーゼル凱旋門が宮殿に四方を囲まれていました。
出典:Wikipedia テュイルリー宮殿
ルイ14世の時代には、ヴェルサイユ宮殿の庭園を手掛けたル・ノートルによってフランス式庭園が作られますが(これが今日のチュイルリー公園にあたります)、王宮はヴェルサイユ宮殿に移ってしまいます。
その後チュイルリー宮殿は、フランス革命中に王宮の機能が戻ったり、ルイ16世が捕らえられたのちに国民公会や公安委員会の拠点として使用されたりします。
さらには、かのナポレオン・ボナパルトも王宮として使用しましたが、いつの時代も短期的な使用で、宮殿としての機能がチュイルリー宮殿に定着することはありませんでした。
そして、ナポレオン三世の第二帝政から第三共和政への転換期にあたる1871年、当時パリを拠点としていた革命派「パリ・コミューン」が自治政府を樹立し、政府側のヴェルサイユ軍と武力衝突。
この際、敗戦濃厚となったパリ・コミューンの兵士たちが、ヴェルサイユ軍が市街を奪取することで拠点をつくるのを防ごうと、パリの主要な建造物に次々を火を放ちました。
もちろんチュイルリー宮殿もその対象となり、この時焼失してしまいます。
ヴェルサイユ軍の市民虐殺や不要な処刑も相次ぎ、「血の週間」と呼ばれるほどの惨状の場と化したパリでしたが、オテル・ド・ヴィル(パリ市庁舎)やルーヴル宮殿の一部など、パリ・コミューンの放火や戦闘によって焼失・崩壊した建物は、残った外壁などを再利用する形で再建されていきます。
ほぼ廃墟となったチュイルリー宮殿も再建可能な状態ではあったそうですが、王政・帝政の遺物として撤去が決まり、そのまま解体されることとなったのです。
このような歴史から、現在では庭園のみが残っており、結果としてルーブル美術館から凱旋門まで直通することになったわけですね。
パリ・コミューンのところについてはものすごく端折った説明ですので、興味のある方はぜひご自身で調べてみてください!
僕は今回、ほぼ初めてフランス革命前後の歴史に触れ他のですが、なかなかに血生臭く、それでいて、それだからこそなかなかにおもしろい歴史でしたよ!
凱旋門&シャンゼリゼの年越しカウントダウン
お待たせしました!
ここからは冒頭でも触れた通り、シャンゼリゼ通り・凱旋門前で行われた2018年から2019年への年越しカウントダウンに参加してきたので、その様子をご紹介します!!
途中途中にカウントダウンまでの過ごし方とその良し悪しを書いていきますので、パリでの年越しを考えている方はそちらも参考にしてみてください!
まずはコンコルド広場へ!
では、実際に歩いた流れでご紹介していきましょう!
この日、2018年の大晦日はパリ市内を観光していました。
ルーヴル美術館、セーヌ川、ノートルダム大聖堂、アンヴァリッド、そしてエッフェル塔と巡っていきました。
マリー・アントワネットが処刑前に投獄されていたことで有名ですね。
お隣には軍事博物館もありますよ。
エッフェル塔から、まずはコンコルド広場へ向かいました!
この時点でまだ17:15。
本来はモンマルトルの「サクレクール聖堂」に行くも予定だったのですが、予定が押し押しで、この時間から行ってもね、となって断念。
そのため、かなり中途半端な時間となってしまいました。
他の記事でも書いているのですが、パリの名所への入場は並ぶことが多いので、余裕を持たせた予定立てを心がけてください!
そして大晦日は、シャンゼリゼ通りや凱旋門に近いホテルを取った方が間違いなく楽です。
もちろんその分、ホテルのお値段は跳ね上がると思いますが(笑)、この時期の観光地は夕方ごろに閉館してしまうところが多く、年越しまで外にいると意外と暇を持て余します。笑
また、カウントダウン後の地下鉄は、東京の通勤ラッシュもびっくりなくらい激混みです。
慣れないパリの地下鉄でぎゅうぎゅうづめは、精神的にも肉体的にも、そして安全面からも避けたいところ。
せめて徒歩圏で帰れるホテルにしておくと、カウントダウン後はかなり気楽だと思いますよ!
チュイルリー公園とカルーゼル凱旋門
ともあれ暇を持て余した僕たち。笑
せっかくだからということで、チュイルリー公園へ向かいます!
逆にこの雰囲気、ちょっと”いぃかんじ”な雰囲気をお求めな方々にはぴったりだと思いますよ〜〜笑
ということで、改めてご紹介。
ルーヴル美術館への入り口にあたるのが「カルーゼル凱旋門(Arc de Triomphe du Carrousel)」です。
「星の凱旋門」ことエトワール凱旋門と同様に、ナポレオンが自身の戦勝を記念して建てた凱旋門になります。
着工はエトワール凱旋門と同年でしたが、こちらは2年足らずで完成しており、ナポレオンも生きている間に完成を見届けています。
カルーゼル凱旋門は、ローマの凱旋門、特に「コンスタンティヌスの凱旋門」や「セプティミウス・セウェルスの凱旋門」をモデルに造られたとされています。
ナポレオンの外交的・軍事的勝利を讃えた彫刻はもちろんのこと、フランス第一帝政とイタリア王国のそれぞれの紋章、さらにはそれぞれの国の象徴を表している像も掘られています。
そして、エトワール凱旋門に無くカルーゼル凱旋門にあるものといえば、門の上に置かれたクアドリガです。
クアドリガは「ローマ帝国時代のチャリオット」のことで、勝利の象徴とされます。
ナポレオンが建設を命じ完成した当時は、ヴェネチアのサン・マルコ大聖堂から持ち帰った「サン・マルコの馬」と呼ばれる、“クアドリガ彫刻の原点”とも言われる彫刻が置かれていました。
その後、1815年のウィーン会議を経てサン・マルコの馬はサン・マルコ大聖堂に返還され、現在のレプリカが置かれました。
ちらっとしか見なかったのですが、こうして調べてみると情報が山盛りでした!
パリって、凱旋門やエッフェル塔といった”有名すぎる”観光スポットが強すぎて、他の国にあったら一級の見どころになり得るところが霞んでしまうんですね…。
まさに、観光における銀河系軍団ですね!!
ちなみに、チュイルリー宮殿がもし再建されていたら、正面には宮殿がドーンと構えていたことになります。
戻りながら、公園から見える「パリの歴史軸」(or「凱旋路」or「王の道」)をとにかくパシャパシャ。
ここからしばらくはギャラリー感覚でお楽しみください!
チュイルリー公園の入り口まで戻ってきました。
入り口付近は小さな土手のようになっており、上から風景を楽しむことができます。
昼の明るい時間にも来てみたいものです。
暗くて見にくいですが、本当に広く、ゆったりとした空気が流れている素敵な公園でしたよ!
チュイルリー公園を出て、正面のコンコルド広場へ。
が、冬季は凍結防止のため水は流していません。
エジプトの時はそうでもないと感じたのですが(笑)、こうして街中に立っていると圧巻の高さです。
大晦日のシャンゼリゼ通りへ…!!
では!いよいよシャンゼリゼ通りへ入ります!!
この時点で、まだ19時前。笑
チュイルリー公園とコンコルド広場で2時間近く時間を潰したことになりますが、これは相当に時間をかけてまわってたからですよ。笑笑
だいたい18時半くらいから、シャンゼリゼ通りではこうして入場規制をしており、歩行者天国となります。
この時期は、「黄色いベスト運動」と呼ばれた政府へのデモ活動が最盛期を迎えており、例年以上に厳戒態勢だったみたい。
入場時にカバンの中を見せたほか、ペットボトルのフタを外されました。爆発物への対応と思われます。
缶など他の容れ物に入った飲料物や食料品への対応はわからないのですが、少なくともペットボトルの飲み物は持ち込めます。
ただしフタを外されるので、2Lの大きなペットボトルでまだほとんど入っている、みたいな状態だとかなり邪魔になります。笑
また、「次の日のために多めに買っておこう♪」みたいなことをした後に入ろうとしたら、そこは地獄です。。
飲み物の持ち込みは最低限、あるいはシャンゼリゼ通りで買う、くらいの気持ちで行きましょう。
これだけでももう十分楽しいのだが!!
ここで、僕たちは夕食にしようと考えます。
しかし、こうしてお腹を空かせて歩いてみると、シャンゼリゼ通りって意外とレストランが見当たらないんです。
いや、あったかもしれない。
けど、あまりに高そうで勝手に脳がスルーしていただけかもしれない。笑
どちらにしてもなかなか決まらず見つからず。。
結局、「今日くらい贅沢しようぜ!」となってかなりお洒落なお店に入りました!
が、メニューを見て衝撃。
下の写真の料理だけで€100超え。。
シャンゼリゼの物価に度肝を抜かれました。。。
さすがに学生の旅行ではお高い夕食、というか、ちょっと想定以上。
デザートを聞かれても渋って注文しなかったのですが、その時のウェイトレスさんの美しいお顔が歪むお姿…。
皆さん、パリのレストランではデザートまでが食事のようですよ。
というか、こういうお洒落なお店ではどこでもそれがマナーですよね。
はい。次からは気をつけます。笑
レストランで1時間ほどの食事を楽しみ、シャンゼリゼ通りに戻りました。
この時点で20時すぎ。
ここまで粘りましたが、ついにネタ切れ。
あとは凱旋門の方へひたすら進むのみ。
ここまで来たのがちょうど20時半ごろ。
この時間に来れば、かなり前の方で見ることができます。
それだけはよかった!
ちなみに、シャンゼリゼ通りの凱旋門近くにケバブ屋さんがありました。
今思うと、早めにシャンゼリゼ通りに入ってそこでケバブを買い、待ちながら食べるというのもアリでした!
なんだかんだで、この時間に来てよかったかも。。
こうして横から入ってくる人が結構います。
日本人として、我々はマナーを守りましょうね。
(ちなみにこのおじさんはすぐにどこかへ行ってしまいました。笑)
正直なところ、今回ばかりは余興みたいな感じになって少しありがたかった。。
凱旋門前で待つこと約3時間…!!
23:20。ついにカウントダウンイベントが始まりました!!
カウントダウンの様子は動画をご覧ください!
狭いところで3時間立ちっぱなし。
足ガクガクでしたが、この演出で一気に疲れが吹き飛びました!!
ということで、ここまで凱旋門・シャンゼリゼ通りでの年越しカウントダウンの様子をご紹介してきました。
イベント自体が始まるのは23:20、本格的な開始は23:40と、結構と年越しギリギリまで始まりません。
ですが、人は文字通り世界中から集まりますので少しでも前で見たいという方は数時間前から待つことをおすすめします。
がその場合、狭い中で長時間立つことも覚悟しなければいけません。
立ちながら暇を潰せること(やっぱスマホとかになるかなぁ。。)は必須です。
道の途中途中に大きなスクリーンも用意されているので、雰囲気だけを楽しみたいという方はもう少しゆっくりして後ろから見ても良いかと思います。
ここばかりは、それぞれのプランや好みによりますので一概には言えませんね。
とりあえず僕が言えることは、
「めちゃくちゃ待って正直かなりしんどかった。けど、それに見合ったものは見せてもらった!」
かな!
パリ・凱旋門での年越しカウントダウン。
人生で一度は、経験することをおすすめしたいです!!
凱旋門とシャンゼリゼ通り周辺のまとめ
今回のブログ記事では、エトワール凱旋門から始まり、シャンゼリゼ通り、コンコルド広場、チュイルリー公園とご紹介し、後半は年越しカウントダウンの様子を書かせていただきました。
パリの中でも”一息に”観光名所を味わい尽くすことができるエリアです。
ルーヴル美術館やさらに先にあるノートルダム大聖堂を含めると、ここ一帯だけでも1日では足りないぐらい見応えがあります。
パリ観光では誰もが訪れるとは思いますが、それぞれの歴史や細かな見どころなんかも頭に入れておくと、さらに楽しめること間違いなしですよ!
加えて、パリでの年越しカウントダウン。
自宅や実家のおこたに入り、年越しそばを食べながらの年越しも風情があって魅力的です。
が、たまには、数年に、数十年に一度は、こうして世界中のみんなと盛大に年を越しというのもまた、素敵なことだと感じました!
一度はこうして、皆さんも海外のカウントダウンに足を運んでみてくださいね!!
経験してみると、意外と病みつきになるかもですよ…!
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