みなさんこんにちは! 観光情報サイト「旅狼どっとこむ」の旅狼かいとです!
今回は、秩父を代表するパワースポットとして「秩父三社」としても有名な「秩父神社」についてご紹介します!
創建の歴史や多くのご利益、そして世界無形遺産にも登録されている例祭「秩父夜祭」の伝統から、まさに秩父の象徴と言える秩父神社。そんなスピリチュアルな名所にも関わらず、秩父駅からわずか徒歩3分というアクセスの良さも旅行先として選びやすいポイント!
そんな秩父のパワースポット巡りにオススメの秩父神社について、ご利益に関わる行ったら絶対に見逃せない見どころやおみくじ、秩父夜祭や神楽といった行事、アクセスや駐車場情報など、観光をもっと面白くする情報をお届けしていきます! 秩父観光をお考えの方はぜひ参考にしてみてくださいね!
秩父神社の歴史
まずは今日のご利益にもつながる、秩父神社の伝説と歴史をご紹介します!
秩父神社の創建伝説
秩父神社のはじまりは、3世紀後半ごろとされる崇神天皇の時代にまで遡ります。
現在の秩父中心地のあたりには、かつては「知知夫国(ちちぶのくに)」と呼ばれる国が広がっていました。知知夫国を支配する官職は「知知夫国造」と呼ばれており、初代としてこの任に就いていたのが「知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)」でした。
この知知夫彦命は、神々の国「高天原」において知恵者と称えられていた知恵の神として「八意思兼命(オモイカネ)」の末裔と言われており、そんな知知夫彦命が先祖であるオモイカネを祀ったのが秩父神社の始まりとされています。
古代〜中世の秩父神社
創建以降、古代より知知夫国の中心的な神社として崇められた秩父神社。延長5年(927年)に編算された律令の補助法令の一つ『延喜式』にもその名が載せられるなど、関東地方でも屈指の古社とされました。
しかし藤原家が政治の地位を確立した頃になると、律令制度の崩壊によって秩父神社を支えていた豪族が衰退し、それに伴って神社も廃れてしまいます。
それでも中世に入ると、平良文の血を引く秩父平氏が信仰する「妙見菩薩」と習合したことで、特に武士階級の人々から崇敬を集めるようになります。この頃に「秩父大宮妙見宮」と名を変えた秩父神社は、以降再び関東有数の神社として栄えていきました。
江戸時代〜現在の秩父神社
関東に政治の中心地が移った江戸時代には、江戸幕府初代将軍の「徳川家康」の命によって、日光東照宮と同じ権現造の社殿が建てられました。この社殿が、今なお秩父神社の本殿となっていますよ!
その後、明治の神仏判然令によって「秩父神社」の旧社名に復し、最初に祀られた八意思兼命(オモイカネ)、八意思兼命を祀った知知夫彦命、神仏分離によって妙見菩薩と分かれた天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、そして昭和天皇の弟宮である秩父宮雍仁親王の四柱を主神とした秩父神社。
2016年(平成28年)12月1日には、「秩父祭の屋台行事と神楽」が「山・鉾・屋台行事」の構成遺産に加えられる形でユネスコの無形文化遺産に登録されました。
秩父神社の見どころ「4つの彫刻」
続いて紹介するのが、秩父神社の見どころとして非常に有名な4つの彫刻についてです。
江戸時代初期に建てられた秩父神社の社殿には、数々の鮮やかな彫刻が彫られています。中でも、江戸時代初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人「左甚五郎(ひだりじんごろう)」の作と伝えられる4つの彫刻が、各々スピリチュアルなご利益や逸話を持つものになっているのです!
お元気三猿
まずご紹介するのは、本殿の西側に彫られた「お元気三猿」と呼ばれる三匹の猿の彫刻です!
徳川家康が祀られている日光東照宮の彫刻として有名な「見ざる・言わざる・聞かざる」と対になる関係とされており、「よく見・よく聞いて・よく話そう」を表現しているといわれています。
そこから、「いつまでも元気にいよう」という解釈に繋がっていき、今では不老長寿のご利益をいただけるパワースポットにもなっていますよ!
子宝・子育ての虎
2つ目は、本殿正面の左手上方に彫られている「子宝・子育ての虎」です!
左甚五郎が、徳川家康の威厳と秩父神社の祭神を守護する神使として創ったと伝えられており、彫刻に向かって左が「虎」、右が「豹」となっているのが特徴です。
ここで疑問に思う方もいるかもしれない。そう、なぜ虎と豹なのでしょうか?
実は日本では長きにわたって、豹は虎のメスだと考えられていた歴史があるのです! 確かに、右の豹が虎模様の子供たちをあやしているように見えますよね!
この秩父神社の彫刻のように、虎と豹が虎のオスとメスのつがいとして描かれている彫刻や絵は日本各地にあるそうですよ! もし現代で虎と豹の雑種が生まれたら、tigerとleopardから”Tipard”みたいなかんじで呼ばれるかもしれませんね!笑
そんな「子宝・子育ての虎」はその名の通り子宝や子育てのご利益があるとされています。主祭神の一柱として祀られている天之御中主神は天地開闢の創造神ですから、まさにピッタリのご利益と言えそうです!
つなぎの龍
3つ目に紹介する彫刻は、本殿の東側にある「つなぎの龍」と呼ばれる青い龍になります。
「東側に彫られた青い龍」ということで、中国神話の「四神」において東方の守護神とされる「青龍」を表現したものと言われています。
ですがこの「つなぎの龍」には、このような名前で呼ばれるようになった伝説もしっかりと存在するのですよ! それがこちら。
昔々秩父には「天ヶ池」という池があり、その池に棲みついた龍が時折暴れまわっていました。
困っていた人々でしたが、天ヶ池の龍が暴れたときには決まってこの龍の彫刻の下に水たまりができていることに気づきます。
「はてさて、天ヶ池の龍と何か関係があるのだろうか…?」
ものは試しとばかりに、人々は彫刻の龍を鎖で繋ぎ止めてみました。
するとなんと、天ヶ池の龍はその後現れなくなったというのです!
彫刻をよくみると、、確かに龍に鎖がつながっていますよね!
龍神との関係も深い秩父神社ですから、もしこの彫刻の鎖が外れたとしたら一体何が起こるのでしょうか。。
北辰の梟
最後にご紹介する彫刻は、本殿正面と真反対の北側に彫られている「北辰の梟」です!
なんとこの梟、体は本殿側を向いているのに対し、顔だけが180度逆のこちら側、つまり北方向を向いているのですよ!
このような風変わりなフクロウが彫られた理由は、「祭神である妙見菩薩を守っているからだ」と言われています。というのも、明治時代の神仏習合より前の時代において秩父神社の祭神だった妙見菩薩は「北辰菩薩」とも呼ばれており、「北辰」は北の空に輝く「北極星」を神格化したものなのです!
北極星は昔から”道しるべ”として利用されてきた星であり、天空の星々が北極星を中心に回っているように見えることから、いつの間にか特別な星として信仰の対象になったと考えられているそうですよ!
そんな北辰菩薩、もとい妙見菩薩が昇る方角を見続けているフクロウは、知恵のシンボルとされる生き物でもあります。そして、秩父神社の創建時からの祭神である「八意思兼命(オモイカネ)」もまた学問を司る神であることから、秩父神社では学業成就のご利益もいただけるのです!
高校受験の際に中学生がうけるのが「北辰テスト」であることも相まって、合格祈願でこの北辰の梟を一眼見ようとする学生さんも多いのだとか!
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秩父神社の見どころ「水おみくじ」
上述の彫刻に加え、秩父神社では「水占い」とも呼ばれる「水おみくじ」も有名ですね! 何も書かれていない占い用紙を選んで手に取り、それを水につけると文字が浮かび上がってくるというもの。
境内にある「柞の禊川(ならのみそぎがわ)」が清らかな水とされているので、この水を使って運勢を占ってみましょう!
ちなみに、「柞の禊川」と呼ばれるきっかけになったのは、鎌倉初期の歌人「藤原家隆」の有名な歌
風そよぐ 楢の小川の夕暮れは 禊ぞ夏の 標なりけり
なんだそう。
京都に佇む「下鴨神社」の境内を流れる「楢の小川」の夏の情景を詠んだ歌で、『小倉百人一首』にも収録されている名歌ですね!
古来の社叢を「柞の杜(ははそのもり)」と呼ぶのにちなんで秩父神社の御手洗川を「柞の禊川」と名付けたそうなのですが、秩父神社はおろか、秩父と藤原家隆を結びつける特別なものは特に見つからず。。笑
ですが、名前が付いているからには何かしらの繋がりがあった可能性があります。実際、下鴨神社の御手洗川は「みたらし団子」の名前の由来となったとされる場所であり、京都屈指のパワースポットでもありますからね! その影響がなんらかの形で秩父神社にも伝わったのではないでしょうか! 多分!笑
秩父神社の祭神とご利益
では、秩父神社のご祭神と気になるご利益をみてみましょう!
主祭神
八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)
「八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)」は、『古事記』では「思金神」や「常世思金神(とこよのおもいかねのかみ)」と書かれ、秩父神社創建のきっかけとなった神様です。
天地開闢の際に現れた「別天津神(ことあまつかみ)」の一柱である「高御産巣日神(たかみむすびのかみ)」の子神であり、神様の国である「高天原」で度々相談役として登場する知恵の神になります。
もっとも有名なエピソードとしては、「岩戸隠れ」の際に天照大神を岩戸の外に出すための策を神たちに授けたものが挙げられますよ!(アメノウズメの踊りがその一つです!)
知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)
「知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)」は、八意思兼命を祀り秩父神社を創建した人物であり初代知知夫国造でもあることから、“秩父地方の祖”とも言える偉人ですね!
ちなみに、秩父神社の社殿と参道はまっすぐに並んでおり、その南側延長線上には武甲山が聳えています。このことから、創建当初の秩父神社は武甲山を神奈備(神霊が宿る依代)として遥拝するための聖地としての役割を担っていたとも言われていますよ!
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」は、日本神話の天地開闢の際に最初に顕現した神様であり、いわば「始まりの神」と呼べる天地万物を司る最高位の神様です!
もともとは「妙見菩薩」として信仰されていましたが、明治時代の神仏分離によって習合しているとされた「天之御中主神」の名で祀られるようになりました。
平安時代中期から江戸時代にかけて、秩父神社における信仰の中心は妙見菩薩でしたから、秩父神社の歴史や伝統を語る上では非常に重要な神様と言えますね!
秩父宮雍仁親王(ちちぶのみややすひとしんのう)
「秩父宮雍仁親王」は、大正天皇の第二皇子であり昭和天皇の弟であった人物です。近世の天皇家の人物を祀ることができるという意味でも、秩父神社の神格の高さを窺い知ることができますね!
ご利益
学業成就、合格祈願、子宝、子孫繁栄、開運
秩父夜祭
秩父神社で忘れてはいけない行事、それが例祭である「秩父夜祭」です! 「よまつり」と読むこのお祭りは毎年12月1日から6日に行われ、1600年代後半から続く非常に歴史ある神事となっています。
秩父夜祭と妙見信仰の歴史
秩父神社でも長きにわたって信仰してきた妙見菩薩を崇拝する妙見信仰は、もともと古代アッシリアやバビロニアにおいて北極星を神格化していたことが始まりとされています。そんな信仰が、インドと中国を経て仏教とともに日本に伝来したのでした。
少なくとも平安時代には、「北辰祭」として京都で妙見信仰が形となっていたと言われており、秩父神社には秩父平氏が招来したと伝えられています。
そんな秩父神社の例祭である秩父夜祭は、もともとは「妙見神事」における夜の神幸祭の「付け祭り」、つまりは「メインの神事を賑やかにするもの」とされていたそう。ですが今では、秩父神社の神体山である武甲山に住まう男神と秩父神社の社殿に祀られている女神の妙見菩薩との「逢瀬の物語」として語られるお祭りにもなっているのですよ!
秩父夜祭と龍神信仰
また、秩父夜祭には「龍神信仰」との関わりもあると考えられています。
というのも、神幸行列の先頭を行く大榊には藁づくりの龍神が巻きつけられているのですが、この龍神は、毎年4月4日に行われる豊穣祈願と雨乞いの神事である「御田植祭」において、秩父今宮神社の「龍神池」から迎える水神のご神体なのです。
秩父今宮神社の龍神池は秩父神社の神体山である武甲山からの湧き水であり、神聖な水であるとともに人々の生活を支える貴重な水源でもありました。
つまり、秋の収穫を終えた季節に行う秩父夜祭には、春先に迎えた武甲山の龍神を初冬に歓送するという意味合いもあると考えられているのです。
秩父に住まう人々の一年の営みを祭りとして垣間見ることができるという意味でも、この秩父夜祭は秩父の伝統を表現しているといえるのですね!
秩父夜祭の見どころ
そんな由来と歴史を持つ秩父夜祭は日本屈指の豪華さを誇るお祭りとして知られており、中でも提灯で飾り付けられた山車の曳き回しや全国的にも珍しい冬に行われる花火大会が有名ですね!
特に、山車の笠鉾や屋台には金色の飾り具に彩り豊かな彫刻、さらには金糸の刺繍までもが施されており、「動く陽明門」の異名を誇ります!
そんな豪華絢爛なお祭りは、京都の「祇園祭」と飛騨の「高山祭」とともに「日本三大美祭」や「日本三大曳山祭」の一つに数えられおり、日本全国に五例しかない「一つの祭礼において重要有形民俗文化財と重要無形民俗文化財の両方に指定されているお祭り」としても知られています。
このような歴史的・文化的価値が日本だけでなく世界にも認められていることは、無形文化遺産に登録されていることからも窺い知ることができます。そして、上述の妙見菩薩の物語や一年を通じた龍神への祈りを祭事としていると思うと、より一層、秩父夜祭の華やかさに想いを馳せることができますよね!
例年、12月2日の宵宮と3日の大祭で神輿が登場したり花火大会が行われますから、この2日間を狙っていきたいですね!
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秩父神社の神楽
秩父神社では、重要無形民俗文化財に指定されている「神代神楽」も代々受け継がれていることで有名ですね!
神代神楽の歴史と特徴
秩父地方には多くの神楽が伝承されており、中でも秩父神社に伝わる神楽は「神代神楽」と呼ばれています。現在の神代神楽は35座の演目となっていますが、もともとは75座で組まれていたそうですよ。
そんな神代神楽の大きな特徴は、関東地方の里神楽では珍しく、高天原神話や出雲神話といった古典神話を題材にしているところだと言われています。日本の神話や神社縁起などを劇のように舞う神楽は「採物神楽」や「出雲流神楽」という種類に分類され、中国地方を中心にみられる神楽となっています。
上述の「柞の禊川」と同様に細かな出自はわかりませんが、秩父神社が西日本の文化と繋がっていることが現れている点の一つといえるかもしれませんね!
神代神楽の開催日程について
国の重要無形民俗文化財に指定され、秩父神社とともにユネスコの無形文化遺産にも登録されている秩父神社の神代神楽。
年始1月2日の「初神楽」をかわきりに、毎年2月3日に行われる「節分追儺祭」や4月4日の「御田植祭」、7月19・20日の「川瀬祭」や12月初週の秩父夜祭などの際に、境内の神楽殿において奉納されます。(秩父夜祭の際は、2日と3日の例祭と6日の「六日町」の際に奉納されますよ!)
秩父神社の観光地情報
最後に、秩父神社の拝観時間や拝観料、アクセスや駐車場の情報です!
拝観時間
境内自由散策
各種参拝・祈願の受付は9:00〜16:30
拝観料
境内自由散策のため無料
アクセス
〒368-0041
埼玉県秩父市番場町1-3
TEL:0494-22-0262
【電車の場合】
・秩父鉄道「秩父駅」から徒歩3分
・「西武秩父駅」から徒歩15分
【車の場合】
・関越自動車道「花園IC」から国道140号線、皆野寄居バイパスを経由する
駐車場
神社近くに参拝者用の無料駐車場が2カ所ある
【境内東側の駐車場(秩父まつり会正面)】
約20台ぶん完備
【西門駐車場】
約30台ぶん完備
秩父神社 まとめ
ということで今回は、秩父地方の中心的神社である「秩父神社」についてご紹介してきました!
歴史や由来、伝説を知ることで、なぜ秩父神社がスピリチュアルなパワースポットとして有名なのかを知ることができたのではないでしょうか?
彫刻やご利益、秩父夜祭についても見どころをお届けしましたから、ぜひ今回の記事を参考にして秩父神社観光をさらに楽しんでくださいね!
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コメント一覧 (3件)
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