今回ご紹介するアスワン(Aswan)は、シエネ(Syene)とも呼ばれるエジプト南部ヌビア地方の中心都市になります。
エジプト旅行の際のアスワンは、首都のカイロやピラミッドと大スフィンクスが立つギザ、北のアレキサンドリアや、テーベと呼ばれた古代エジプト最盛期の遺跡が多く残るルクソールに比べると、足を運ぶ要素は少ないかもしれません。
しかし、アスワンにはアスワンならではの魅力がありますし、何より、エジプト随一の観光地「アブ・シンベル大神殿」への玄関口となります。
そんなアスワンについて、今回のブログではご紹介していきますよ!
アスワンについて
おそらく、「アスワン(Aswan)」と聞いてピンとくる人は日本・世界を見渡してもそう多くないはず。
「エジプト特集!」みたいな機会があっても、基本的にアスワンの町自体について取り上げられることは少ないと思います。
個人的な感覚としては、「ニッチな層にはかなりウケる都市」ですね!
細かく見ていきましょう。
アスワンの気候
まずは気候について。
エジプトの多くの他地域同様、高温・乾燥の気候が特徴。
気温の方は、夏場は40℃に達する日もあり、観光の際は高温・日差しへの対策が必須です。
文化に深く関わるアスワン
アスワンは文化や歴史に度々関わる都市でもあり、この部分が僕が「ニッチな層にはかなりウケる都市」と感じた理由の一つになります。
歴史と人種
まずは歴史とそれに関連して人種について。
ここアスワンの地は、古代エジプトの時代においては「スウェネト(Swenet)」と呼ばれ、エジプト最南端の都市として機能していました。
「スウェネト」という言葉は、古代エジプトの言語で「交易」を意味しており、エジプトの神に由来すると考えられています。
というのも、今日ではアスワンを含めたエジプト南部からスーダンにかけての地域を「ヌビア」と呼んでいますが、当時はエジプトの南に位置する地域・国を「ヌビア」としていました。
そして、古代のヌビアは金の生産地として知られており、当然強国エジプトはヌビアに手を伸ばしていました。
そのためここアスワンは、時に交易の拠点として、時に軍事拠点として機能していたのです。
このヌビアとの関係の名残は現在でも垣間見ることができ、それが人種というわけなのです。
北端のアレクサンドリアや首都のカイロは、褐色系の人種が多いのに対し、エジプト国内を南下していくにつれて肌の色がだんだんと濃くなっていきます。
ルクソールではちらほらと黒人に近い人種の人が見られるようになり、アスワンまでくると黒人に近い人種の人々が多くを占めるようになります。
国内を移動するだけで人種の違いを感じられるというのは、万人ウケする見どころではないと思います。
しかし、歴史や地理に関わる方や興味がある方なら、その面白味を感じられるのではないでしょうか!
加えると、エジプト国内では南に行くほど、つまり、肌の色が黒に近くなっていくほど、気性は穏やかになっていくと言われています。
実際にカイロ・ルクソール・アスワンのそれぞれに行ってみて、ホント、「確かに!」となりました!笑
客引きのしつこさだったり、少しでも多く儲かろうみたいな商売っ気だったりは、アスワンの人々(ヌビア人系)の方々からはほとんど感じませんでした。
もちろん、全員が全員ではありませんし、アスワンにいる”カイロやルクソールにいそうな人種”の人たちは、相変わらず商売っ気が強かったですが…笑
ともあれ、「ゆったりとした気分で観光がしたい」、「余計な気疲れをしたくない」という方は、アスワンはエジプトの他の地域・都市に比べるとピッタリですね!!
ちなみに、古代エジプトにおける名称「スウェネト」は、エジプトがマケドニア(・ギリシア)やローマに占領された後、ギリシアには「エイレイテュイア(Eileithyia)」、ローマには「ルキナ(Lucina)」として伝わっており、どちらも「出産(多産)の女神」とされています。
「交易によって人々が集まり、活気が生まれる。そして人が結ばれる。」という連想なのでしょうかね〜
何れにしても、この辺の”発想力”みたいな部分は、ともすれば古代の人々の方が現代に生きる僕たちよりも優れている節がありますからね。。
レヴィ・ストロースの『野生の思考』や「ブリコラージュ」じゃあないですが、僕らが発展とともに失ったもの、成長によって忘れてしまったこともあるというのは、頭と心の片隅に置いておくべきかもしれませんからね。
古代の天文学にも貢献した都市
アスワンは、「ヘレニズム時代」と呼ばれるアレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)と彼の四人の後継者たちを源流とする国々が世界の趨勢を握っていた時代の、天文学にも関わった都市なのです。
それが、「エラトステネスの史上最初の地球観測」です!
、、かっこよく書くためにだいぶ端折ったので、詳しく説明していきますね!笑
ヘレニズム時代におけるエジプトは、アレクサンドロス3世の後継者の一人プトレマイオスが建てた、アレクサンドリアを中心地とする「プトレマイオス朝エジプト」の時代でした。
そして、アレクサンドリアで活動していたギリシア人学者の一人が、「エラトステネス(Ερατοσθένης, Eratosthenes)」になります。
当時のアレクサンドリアは、世界でも有数の研究施設「ムセイオン」を中心に学問の普及に力を注いでおり、エラトステネスもアレクサンドリアで教育を受けた学者の一人です。
そんなエラトステネスの偉業こそが、「史上初めて地球の大きさを測定した」ことです。
活動の拠点としていたアレクサンドリアとアスワンおけるそれぞれの夏至の正午の太陽高度を比較し、その角度を元に地球の全周を計算しました。
中学・高校の地理で、もしかしたら登場しているかもしれませんよ!
(エラトステネスと彼の発見について記述されている多くの文章では、アスワンは「シエネ」として紹介されています。)
ちなみにエラトステネスは、この地球の全周の計算以外にも「素数の判定法として『エラトステネスの篩(ふるい)』を発明した」ことでも知られており、
「プラトンに次いで世界で2番目に物事をよく知っている人」ということで、「第2のプラトン」や「β」という字名でも呼ばれることがありますね!
小説の舞台となったアスワン
そしてアスワンは、小説の舞台となったこともあるのです!
それが、イギリス人推理小説家アガサ・クリスティの『ナイルに死す』になります。
クリスティは市内の名門ホテルである「オールド・カタラクト」で小説を執筆し、小説の舞台にもこのホテルを選んでいます。
アガサ・クリスティの作品といえば、「灰色の脳細胞」で有名な「エルキュール・ポアロ」が登場する推理小説ですよね!
アーサー・コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」と並び、人気のある推理小説キャラの一人ですね!
『名探偵コナン』シリーズの「アガサ博士」や「喫茶ポアロ」は、この二人の名前から取っていると思われます。
僕はドイルのホームズシリーズも、クリスティの作品(クリスティはポアロが登場しない作品も結構多いです)も何作品か読んでいるのですが、個人的にはクリスティの作品の方が好きですね~
これは感覚的な問題なのでなんとも言えないのですが、推理小説に慣れていない方はクリスティ作品の方が読みやすいのではないかな、と感じますね!
何れにしても、ドイルとクリスティは両者世界的に有名な推理小説かであり、代名詞とも言えるキャラクターを創り出した方々です。
ここはぜひとも、時間があるときにご自身で読み比べてみてほしいところです!
あ、もちろんオールド・カタラクト・ホテルは現在も宿泊可能ですよ!
オールド・カタラクト・ホテルについてはこちら!
アスワンの観光名所
ではでは、ここからアスワンを旅行した際の観光地・見どころをご紹介していきます!
別途個別の記事でご紹介する「フィラエ神殿(イシス神殿)」以外は、説明の中に実際に撮ってきた写真も入れていきます!
街の様子
今回の旅でアスワン全体を取り上げるのはこの記事だけですので、観光地のご紹介の前に、まずはルクソールからの流れと街の様子をザッとご紹介します!
到着直後の様子から書いて行きますね!
ルクソールからアスワンへは電車で2時間ほど。
日本でいう新幹線のような列車で、思ったよりも快適でした。
アスワン訪問の目的は、何と言っても「アブ・シンベル大神殿」への訪問でした!
ラムセス2世が建築した、古代エジプト建築における最高傑作とも言われる遺跡。
これを一目見ようと、はるばるエジプトの南端まで来たのです!
アスワンに到着したのは22時ごろ。
予約していたホテルはメインの通り沿いだったので、すぐに到着できる。。と思っていたのですが、ここでまさかのハプニング。
なんと、Google Mapに出ていた位置にホテルが存在しなかったのです!
おいおいおい。
まさかの事態。さすがにちょっとパニクり、道を右往左往して、、なんとか落ち着きを取り戻す。
その後、馬車タクシーのドライバー(というか騎手)にホテルの場所を聞いたり、他のホテルのレセプションで聞いたり、挙げ句の果てに警察へ行ってホテルの場所を聞きました。笑
馬車タクシーの騎手は、こっちから聞いて案内してくれると行ってくれたのですが、途中から信用できなくなって「やっぱいい」と断り、他のホテルでは警察に行くことを勧められ場所を教えてもらいました。
そして向かった警察署。これがなんとも胡散臭い…!笑
いや、単に僕の懐疑心・猜疑心が臨界点を突破していただけでホントに本物だった可能性の方が高いです。。
が、「ホテルまで送って行くよ」と自家用車に乗せられそうになって、直感的に「そんなにしてくれなくても、今わかったから自分で行くよ!」と断りました。。
今となっては真実はわからずじまいですが、インドへ行った際は「政府の観光局」を堂々と名乗るぼったくり集団に、危うく有り金すべてを持っていかれそうになったこともあるので、このへんは本当に信用できないものなのです…!
結局、Google Mapにホテル名を打ち込むのではなく、予約したHotels.comのサイトからホテルの場所を確認すると。。まさかの全然違う場所でした!
その場所へ行くと予約した通りのホテルが無事見つかり、なんとか宿に宿泊できたという顛末です。。
なんだかんだで、一番最初に声をかけた馬車タクシーの騎手さんが一番信用できたと言えなくもないですね。笑
ともあれこれも良い経験、何もなかった今では笑い話です!
ということで、無事朝を迎えて優雅に朝食をとり、駅の方へ向かった僕。
朝のアスワンは清々しく、なんだか気持ちもとても晴れ晴れしていました!
そんな希望に溢れる気持ちは駅前でアブ・シンベル行きのタクシーを探し始めた際に打ち砕かれました…!
なんと!アブ・シンベルへは早朝以外は入場できないとのことだったのです!!
この事実を、僕は知っていました。
相棒『地球の歩き方』や、多くのブログでそう書いてあったからです。
ですが、「なんだかんだ言って入れるだろ!エジプト人ってその辺ルーズだからさ!」とたかをくくっていました。
そして、これがアダとなったわけです。。
最初に聞いたドライバー以外の何人かに聞いてみましたが、結果は同じ。
アスワン滞在はこの日のみの予定で、飛行機の予定はすでに決まっているため滞在を伸ばすことはできない。
結局、今回はアブ・シンベルを断念せざるをえず、アスワン市街地近郊の世界遺産巡りに予定変更となったわけです。。
こういうときに限って大雑把なところが裏目にでるところなんて、ホント俺らしいなぁ…と感じつつ、もう開き直るしかないと意気込み、これから紹介してく観光地を巡ったわけでした。
まぁ、旅にトラブルはつきものですし、何よりこれでまた、エジプトないしはアスワンへ行く理由ができたわけですから、ポジティブに捉えるしかないですね!
加えて、ショックは受けたものの立ち直りの早さには我ながら驚きました。笑
エジプト滞在でだいぶメンタルを鍛えられましたね!笑笑
『可愛い子には旅をさせよ』とはよく言ったものだと、自分が旅をして気付かされました。
やはり、旅、そして”経験”は多くの学びや教訓を得られるものですね!
👇ルクソールについてはこちらから!
ということで、ここからは観光地をご紹介していきますよ!
アスワンハイダム
「アスワン・ハイ・ダム(Aswan High Dam)」は、エジプト南部アスワンのナイル川に作られたダムで、完成は1970年と、エジプト観光の上で訪れる建造物の中ではかなり最近のものとなっています。
「エジプトはナイルの賜物」というヘロドトスの言葉にもあるように、古代よりエジプト人の生活を支えていたのはナイル川の洪水といっても過言ではなく、この洪水の時期を予測することや洪水の周期に意味を見出すことは、古代エジプト人が高度な文明力や文化を形成した一因とも考えられています。
しかし近代に入ると、灌漑用水が形成され農業技術も進歩し、もはやナイル川の洪水は生活を支えてくれるために必ずしも必要なものにはならなくなりました。
そのため、ナイル川の氾濫防止と灌漑用水の確保を目的としてダム建設が進められましたが、もともとは、下流にあるアスワン・ダム(アスワン・ロウ・ダム)がその役目を担うダムでした。
しかし、アスワンロウダムだけではナイル川の洪水を完全にコントロールできないとわかると、新たなダム建設が計画されます。
その結果建設されたのが、アスワンハイダムになります。
アスワンハイダム建設は、政権交代によって国政を掌握した、汎アラブ主義・汎アフリカ主義を掲げた当時の大統領ガマール・アブドゥル・ナセルが、国家事業の一つに位置付けてソビエト連邦の支援を受けて建設しました。
アスワンハイダムが完成したことによって、毎年起こっていたナイル川の氾濫を防止すると同時に、水力発電によって電力の生産・供給も可能となりました。
さらに、アスワンハイダムの建設によって形成された巨大な(琵琶湖8個分だそう)人工湖「ナセル湖」(名前はナセル大統領の名前から)が形成されたことで、不足しがちだった農業用水の供給が安定し、湖での漁業も可能となりました。
反対に、巨大なダム湖(ナセル湖)が形成されたことで約10万人もの人々が移住を余儀なくされ、加えて、古代ヌビア文化の多くの遺跡が水没することとなりました。
この遺跡水没に関してはユネスコの協力のもと移設されたものも多く、後述するラムセス2世が建造した「アブ・シンベル大神殿」や、島の上に建立された珍しい神殿「フィラエ神殿(イシス神殿)」などがその際たる例です。
加えて、ナセル政権がアスワンハイダム建設のための費用を得るためにスエズ運河を国有化しようとし、これがきっかけとなって第二次中東戦争が起こっていたり、ここまで数千年という期間継続してきたナイル川の氾濫がなくなったことで下流の生態系や地形に影響を及ぼしていたりと、必ずしもポジティブな要素だけではないのがアスワンハイダム建設の影響となっています。
まぁ、誰にとってもプラスとなることなんてこの世の中そう多くありませんし、それが国家事業規模となればなおさらではあるのですが…。
ともあれ、そんないろいろなことを考えさせられる観光地でもあるのが、ここアスワンハイダムなのです!
アスワンハイダムの基本情報
開場時間
6:00~17:00
入場料
30£E(学生は15£E)
、、と紹介されているのですが、僕が払ったのは20£Eでした!笑
アクセス
マイクロバスや鉄道などの公共交通機関を使って行けなくもないですが、観光客はタクシー利用一択でしょう。
下述のフィラエ神殿や付近のカラブシャ神殿と合わせて行くと、タクシー代を浮かせつつ多くの観光地を見てまわれますよ!
フィラエ神殿(イシス神殿)
「フィラエ神殿(Temple of Philae)」は島の上に神殿が建っているという世界的にみても珍しい場所になります!
このフィラエ神殿も、アスワンハイダム建設の影響で水没の危機に瀕していた遺跡の一つで、もともと神殿が建っていたフィラエ島から現在のアギルギア島に移設された経緯を持ちます。
(このときアギルギア島の形を、フィラエ島そっくりに削ってしまったというのだから驚きです!)
フィラエ神殿は”一つの神殿”というよりは、ルクソールのカルナック神殿のように、増築が繰り返し行われたことによって複数の神殿が一つの敷地内にまとまっている神殿で、その中心に位置するのが「イシス神殿(Temple of Isis)」になります。
もとのフィラエ島は、ヌビアにおけるイシス信仰の中心地だったと考えられており、神殿が建てられたのはマケドニア・ギリシア系王朝であるプトレマイオス朝時代と考えられています。
イシス女神は、エジプト神話の一つであるヘリオポリス神話のエピソードから「再生と復活の象徴」、そこから転じて「豊穣の女神」として信仰され、これがイシス信仰の源泉となったとされています。
実際に足を運んでみると、ルクソールをはじめとする他の神殿と同様に巨大な建築となっており、棟門に描かれたレリーフは圧巻の一言(見出しの写真!!)でしたし、至聖所に描かれた壁画はかなり細部まで観察することができました!
イシス信仰は女神の信仰ということで、レリーフや壁画には女性的特徴を持った神(のはず)が多く描かれているというのも、男性王権のエジプトでは非常に珍しいと言えるでしょう。
さらに、ローマ帝国に支配された時代では、イシス信仰は聖母マリアの信仰(キリスト教信仰)へと繋がっていったため、ローマ帝国によって増築された建築も見ることができました。
一つの敷地内に別の文化圏の建築が立ち並ぶというのはそうそうあることではないですからね!
これだけでも貴重な遺跡ですし、当時のイシス信仰を垣間見ることもでき、アスワン観光の中では文句なしのNo.1でしたし、ギザのピラミッドやルクソールの遺跡群にも引けを取らない素晴らしい場所でしたね!!
女神の信仰地であり、古代エジプト以外にもローマの建築物も見ることができ、それが島の上にある…!
一体、一粒で何度味わえるのかっ!!
まさに、とても”おいしい”観光ができますよ!!
👇フィラエ神殿やイシスについて、さらに詳しくはこちらをご覧ください!
フィラエ神殿の基本情報
開場時間
7:00~16:00
入場料
60£E(学生は30£E)
アクセス
アギルギア島へのボートは、近くの船着場から向かいます。
ただ、これが個人によるものになっている様子でして、「一人〇〇£E」ではなく「一隻〇〇£E」で請求されます。
つまり、個人で行くとものすごく損になるのです!笑
ハイシーズンなら人がたくさんいるでしょうから、乗合させてもらえば問題ないのですが、今回の僕のようにロウシーズンに行こうものなら…。
しかも、フィラエ神殿へ行くためには彼らの船を使わなければいけないということで、当然彼らはこちらの足元を見てきます。。
結局僕は、15€という相場からしたらかなり法外な値段を払い、フィラエ神殿に向かうこととなりました。。
(ぽろっと「ユーロなら払える」と言ってしまったのが大きな失敗でした…!)
ちなみに、相場は一隻50£Eみたいです。
(2019年9月時点で、50£Eは日本円で約330円、ユーロで約3€です。いかにぼったくられたかお分かりでしょう。。笑)
結果としてフィラエ神殿はとても興奮する場所でしたし、遺跡はまさかの僕の貸切状態でしたので、まぁ今となってはよしと思っていますが、皆さんは僕のようなヘマはしないでくださいね!
支払いは必ずエジプトポンドで!
財布の中には最低限しか入れず、多く持っていることを悟らせない!
まずはこの状況でぎりぎりの交渉を進めるところからですね!
👇複合神殿カルナックについてはこちらをご覧ください!
切りかけのオベリスク
「未完成のオベリスク」とも呼ばれる「切りかけのオベリスク(Unfinished Obelisk)」は、アスワンの中心地から車で10分~15分ほどのところにある世界遺産になります。
古代エジプト、特にテーベを中心地として最盛期を迎えた新王国時代の建築において、太陽神のシンボルとして重要な役割を果たしていたオベリスク。
「オベリスク」の語源は、オベリスクを見た後世のギリシア人が「串」を意味する”obeliskos”と呼んだことからきており、当時の古代エジプト人たちは「保護」や「防御」を意味する「テケン」と呼んでいたそう。
そんなオベリスクをつくるための石切場の一つであったこの場所は、赤色花崗岩の岩山となっており、今なお当時の切り出し作業の様子を垣間見ることができます。
この遺跡の発掘によって、切り口に凹凸をつくることなく石を切り出していた古代エジプト人の技術が明らかとなりました。
ちなみに、現在に至るまでこの地に残されている切りかけのオベリスクについては、”最初で最後の正当なる女性ファラオ”ことハトシェプストがカルナック神殿に立てようとしていたものという説が有力となっており、切り出されていれば全長42m、重さはなんと1168トンという、エジプト最大のオベリスクとなっていたと考えられているのですよ!
ここからの風景を楽しむのが、以外と面白かった!
ちなみにこちらが、アスワン観光をチャーターしたタクシーの車内。
時系列的には、フィラエ神殿から切りかけのオベリスクへと向かう場面。
実は右の助手席に乗っている人は、ドライバーでもガイドでも何でもない、ただのドライバーさんの知り合い(だと思う)。笑
ルクソールでもそうだったのですが、エジプトではこうやって客が乗っている車に平然と乗ってきて、途中下車していく人がいます。笑笑
思わず「えぇー!だれーー!!」っと叫んでしまいそうですが、これもエジプトの文化、ということにしておきました。笑
皆さんは、タクシーをチャーターした際にこういう場面に出くわしても驚かないでくださいね!
切りかけのオベリスクの基本情報
開場時間
9:00~16:00
入場料
40£E(学生は20£E)
アクセス
市内中心部からは車で10~15分ほど。
中心部から歩いていけないこともないですが、アスワンハイダムやフィラエ神殿への訪問を含めて、タクシーをチャーターしてしまうのが一番手っ取り早く、費用も抑えられると思いますよ!
アブ・シンベル神殿
「古代エジプト建築史上最高傑作」とも謳われるのがこの「アブ・シンベル大神殿(Abu Simbel)」になります!
残念ながら、今回は上述のように僕の凡ミスで行けなかったのですが(笑)、アスワンの紹介にアブシンベルは外せないだろう!ということで、最後にちょこっとご紹介です。
建造主は”大王”や”建築王”と呼ばれる「ラムセス2世」。
大人気スマホゲームFGOでは、ギリシア語呼びの「オジマンディアス」という名前で知られていますね!
ラムセス2世の治世は紀元前1200年代であり、発見されたのは1813年。
スイスの探検家ブルクハルトによって発見されたこの神殿は、およそ3300年前のものとは思えないほどの規模・保存状態を誇っています!
そんなアブ・シンベル大神殿は大小二つの神殿からなる岩窟神殿で、大神殿は太陽神ラーを祭神として自らの偉業を讃え、誇示する神殿として、小神殿はハトホル女神を祭神として第一王妃にしてラムセス2世が最も愛したとされる王妃ネフェルタリに捧げられた神殿として建立されました。
大神殿の入り口には、青年期から老年期に至るまでのラムセス2世自身を表しているとされる巨大な坐像が立てられており、内部にもラムセス2世のオシリス柱が多数置かれ、様々なレリーフが描かれています。
レリーフの中では、「カディシュの戦い」の様子を描いたものや上下エジプトの統一を表現したものが有名ですね!
立地は、観光地としてはエジプト最南端の町であるアスワンからさらに南へ行ったところに位置し、スーダンとの国境はすぐ南、という、文字通りエジプト最南端の遺跡です。
最南端にして最高傑作という、なかなかやってくれる遺跡なわけです。笑
ラムセス2世が統治していた当時からしても、この場所は南に接する隣国ヌビアとの国境付近、エジプトからすると辺境の地であったはずですが、ラムセス2世があえてこの地に建設したことにはそれなりの理由があると考えらています。
それは、最愛の妻である王妃ネフェルタリの出身地がヌビアだったとされており、少しでもネフェルタリの故郷の近くに神殿を建てたかったからというもの。
ラムセス2世の時代のヌビア(現スーダン)の遺跡からは、ネフェルタリを表現したとされる像が多数見つかっていることからこのように考えられているとか。
これが本当なら、かなりの愛妻家だったということになりますね!
そして、古代エジプト帝国、並びにラムセス2世の威光を存分に感じられるアブシンベルですが、現代に生きる僕たちにも関わり深くもあるのです。
それは、このアブシンベルが、ユネスコが「世界遺産」を制定するきっかけとなった遺跡でもあるからです!
上述の「アスワンハイダム 」の説明で、ダム建設に際しダム湖であるナセル湖が形成され、多くの地域が水没してしまったとご紹介しました。
このアブシンベルも元はその水没地域に位置しており、何の対策もなさなければ今頃はナセル湖の水底に沈んでいたのです。
そこで立ち上がったのがユネスコだったというわけです。
国際キャンペーンを打ち出し、アブシンベルをはじめとする多くの遺跡を、一度ブロック状に切断することで移設・再建したのです。
このアスワンハイダムでの出来事とキャンペーンをきっかけにして、歴史ある遺跡や守るべき自然などを保護する目的として、「世界遺産」という仕組みが生まれたのです。
古代エジプト時代に建てられ、現代に至るまで影響を残し続けるアブシンベル大神殿。
この建築物もそうですし、何よりラムセス2世という人物は本当に凄まじい人間です。。
まさに、人類の世界遺産たる”英雄”というわけですね~!!
👇ラムセス2世についてはこちらからどうぞ!!
アブ・シンベルの基本情報
開場時間
5:00~18:00(冬季は~17:00)
日没後、音と光のショーを開催していることもある。
入場料
100£E(学生は50£E)
ツアーやタクシーで入場する場合は、別途その移動費がかかると思われます(相場だと100£E前後)。
アクセス
①2kmほど北にアブ・シンベル空港がありますので、カイロやアスワンの空港から空路で向かうことが可能です。
ただ、時期や予約人数によっては運行されないこともあるので、注意が必要です。
②アスワン市内からタクシーやツアーを利用します。
車でのアブシンベルへの入場は時間制限があるようで、基本的には早朝出発となります。
僕はこの事実を知っていながら、はじめの方で語ったように「とか言って、朝タクシー拾えばいけるっしょ!」とたかをくくっていたところ本当にそうらしく、結局行けませんでした……。
多くのホテルがツアーを敢行・斡旋しているようなので、現地でツアーを見つける予定の方は、とりあえず自分のホテルの受付で聞いてみましょう!
アスワン・その他の見どころ
ここまでご紹介してきた観光地以外にも、アスワン周辺では各種の香油・香料や香辛料、置物や飾り物といった工芸品が名物となっており、メインの通りであるコルニーシュ通りから一本入ったところには、コルニーシュ通りに平行して市場(スーク)がのびています。
カイロやルクソールとはまた違った雰囲気のスークで、お土産探しも楽しかったですよ!
また、アスワンはナイル川を利用した観光も盛んで、ナイル川をつたってカイロやアレクサンドリアまで繋ぐクルーズ船の発着港になっているほか、帆を張ったヨットのような船「ファルーカ」が名物となっています。
ルクソールではボートや船でナイル川を渡りましたが、アスワンではファルーカが好んで使われています。
川沿いから眺めていると多くの人がセーリングをしているように見えるので、見ているだけでも楽しく、まるで海にいるかのような開放的な気分になりましたね!
対岸に渡るのはもちろん、ナイル川の中洲であるエレファンティネ島やキッチーナ島を巡るツアーも多く、アスワンならではのナイル川の楽しみ方ができますよ!
僕は電車の時間の関係上体験できなかったのですが、次はもっとゆったりとアスワンを訪れ、ファルーカにも乗ってみたいものです。。
あ、もちろん、このファルーカの客引きはわんさか溢れていますが、アスワンの客引きは”押し”がかなり弱いです。笑
ですので、”No.”と一言言えば基本は撃退できますし、なんだかんだと会話を楽しんだりもできましたよ!
かといって心を完全に許すのはNGですし、ファルーカに乗る際は値段交渉を忘れずに!
ここでせっかくなので、アスワンからカイロに戻るために乗った寝台列車の待ち時間に撮影した写真と、寝台列車からの夕陽を最後にご紹介します!
多分、相当疲れていたのだと思います。笑
一応、駅や空港をはじめとする公共の場での撮影は好ましく思われないようですので、撮影する際は十分まわりの様子に配慮するようにしてくださいね。
👇続くカイロの歴史地区観光についてはこちらをご覧ください!
アスワンのまとめ
今回は、アスワンの中でも一度は行っておきたい観光地や見どころをダイジェスト形式で紹介してきました!
実際に足を運んだからこそわかる文化や人種の違いを体感できましたし、何より僕は、アブ・シンベルにファルーカと、アスワンには忘れ物を多くしてきた気がします。笑
個人的にはこのリベンジをいつか果たしたいものですし、皆さんには、アブ・シンベル大神殿をはじめとしてこのアスワンにもぜひ足を運んでみてほしいです!
カイロやルクソール、あるいはアレクサンドリアとはまた違うエジプトを、きっと感じられますよ!!
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