大王ラムセス2世の葬祭殿ラムセウム!古代エジプト最大最強のファラオ|歴史と観光の見どころ

大王」や「建築王」の異名を誇る、長きに渡る古代エジプトの歴史においても傑出したファラオであったラムセス2世

オジマンディアスとも呼ばれるラムセス2世は、戦士として優れた体躯を持ち合わせ、数多の激戦を勝ち抜いただけでなく、多くの、そして巨大な建築事業を次々と推し進めた偉大なる大王だったとされています。

今回ご紹介するのは、そんなラムセス2世の葬祭殿「ラムセウム

古代エジプトのみならず世界史上でも類を見ない大王についての記事、とくとご覧あれ!!

 

目次

ラムセス2世(オジマンディアス)について

大王・ラムセス2世の逸話と偉業

「ラーのマート(正義、真理、宇宙の秩序などの意)は力強い、ラーに選ばれし者」を意味する即位名「ウセルマアトラー・セテプエンラー」のギリシア語訳であるオジマンディアス(Οσυμανδύας、Osymandýas)」とも呼ばれるラムセス2世は、「古代エジプト最大の大王」の異名に相応しい数々の逸話をもつ強大なファラオです。

まずは身体的のお話から。

ラムセス2世は、なんと66年間もの長きに渡ってエジプトを統治し、およそ180cmという体躯でもって90歳まで生きたとされています。

当時の成人男性の平均身長は160cmほど、平均寿命は40歳前後と考えられていることから、いかに優れた体を持っていたかがわかります!(てか、現代の日本にいても長身・長寿だよね。笑)

子にも恵まれすぎというほどに恵まれ、第1王妃ネフェルタリをはじめとする数多くの王妃や側室との間に、111人の息子と69人の娘を設け、娘の中には父親であるラムセス2世と親子婚を行った者もいたともされているのです!(中には養子もいたのでは、という説もあります。)

では本題、ファラオとしての逸話に移りましょう。

ラムセス2世もまた、新王国時代の先代ファラオたちと同じく、大規模な軍事遠征を行っています。

その中でも必ず語られるのが、現在のトルコが位置するアナトリア半島を支配していた、ヒッタイト王国との戦いですね!

ヒッタイト王国は「世界で初めて鉄器文化を持った国」とされており、かつてはメソポタミアにまで支配圏を広げた強国。

ラムセス2世は治世の4~5年目に、ヒッタイト王国の王ムワタリと激しい戦いを繰り広げます。

中でも激戦だったのが、交易の要所だったカディシュでの戦いです。

カディシュの戦いと呼ばれるこの戦い、はじめはムワタリが流した偽の情報によって待ち伏せにあったエジプト軍が劣勢に陥ってしまいましたが、援軍が駆けつけるとともに勢力を取り戻し、結果は痛み分けのような形だったとされています。

その後も小競り合いを繰り返したエジプトとヒッタイトでしたが、ヒッタイト王がハットゥシリ3世(ムワタリの弟)になった時代に、和平条約が結ばれました。

この和平条約が世界史上はじめて結ばれた和平条約とされており、ラムセス2世はその条約を締結した王として、現代に至るまで名が残っているのです。

ラムセス2世は北のヒッタイトのみならず、南にも版図を広げようとエジプト南部のヌビアへの遠征も積極的に行いました。

そしてそれら自らの偉業の数々を残すため、ラムセス2世は建築事業にも非常に大きな力を注ぎました。

テーベ西岸には、今回ご紹介する自身の葬祭殿”永遠の城”「ラムセウムを建設し、ルクソール神殿やカルナック神殿には自らを讃える詩を掘らせたり、棟門や列柱中庭を増築したりしました。

戦勝の際には記念碑を建てており、今日において最も多くの記念碑が残るファラオとされています。

そんなラムセス2世最大の建築事業といえば、「アブ・シンベル神殿」の建設でしょう!

アブ・シンベルは、エジプト南部の都市アスワンからさらに南方へ行ったスーダンとの国境付近に位置しており、砂岩の岩山を掘り抜いて築いた大小二つの神殿からなっています。

大神殿は、アメン、ラーホルアクティー、プタハの神々、そして、神格化したラムセス2世自身に捧げられたものとなっており、カディシュの戦いを描いた巨大なレリーフや、大神殿入り口の4体のラムセス2世像は、教科書やテレビなんかで見たことがあるという方も多いはず!

ちなみに小神殿は、第一王妃ネフェルタリと女神ハトホルに捧げられたものとなっていますよ。
(真偽は定かではないのですが、ラムセス2世はネフェルタリに対してかなりの愛情を持っていた愛妻家としても有名ですね!)

Photo by AussieActive on Unsplash
アブ・シンベルへは、僕の下準備不足で行くことができませんでした。。

他にも、エジプト北部・ナイルデルタの東部に新都ピラメセスを建設したことも、ラムセス2世の偉業の一つに数えられています

未だほとんど発掘が進んでいないため部分的なことしか判明していませんが、非常に大きな都市であったと考えられており、西アジア系からの移住者も多く、中でも和平条約を結んだヒッタイト人は、ピラメセスでエジプト人に彼らが持つ最新鋭の武器の生産方法や戦術を教えていたと考えられています。

 

現代に至るまで”ファラオ”である。

数々の逸話や現在に至るまで残る偉業を立ててきたラムセス2世ですが、現代の20世紀後半でも逸話が残されています。

それは、ラムセス2世のミイラが調査と劣化防止処置を行うためフランスへ出国した際、兵士が捧げ銃を行うという国王への礼をもって迎えられたというもの。

しかもこの時、ミイラであるラムセス2世にパスポートが支給され、職業欄には「ファラオ」と書かれたというエピソードまで残っているのです!

実際のところ、捧げ銃の礼は本当みたいですが、パスポートの「ファラオ」エピソードは単なる俗説みたいです。

それでも、死して数千年経ってなお国王として国に迎えられるというのは、まさにとんでもない”大王”ですねっ!!

 

👇アブ・シンベルへの玄関口アスワンについてはこちら!!

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ラムセウム(Ramesseum)をご紹介!

ではでは、ラムセウムのご紹介に移ります!

ラムセウム(Ramesseum)ことラムセス2世葬祭殿は、ロゼッタ・ストーンを用いてヒエログリフを解読し、ここラムセウムの名付け親でもある“エジプト学の父”シャンポリオンが、「テーベで最も高貴にして典雅な建物」と称した場所でもあります。

建設当初は非常に巨大化つ豪華絢爛な葬祭殿だったとされますが、現在残るのはほんの一部分のみとなってしまっています。

大方の部分は、このように基礎が残るのみとなってしまっていました。。
第1棟門、と思われる壁。
わずかですが、戦さの様子が描かれているのがわかります!
像も足元のみ。。
それでも進みます!
おそらくここが第2中庭。
東部は欠けていましたが、ラムセス2世のオシリス柱が立ち並ぶ姿は圧巻でした!
列柱室へ。
柱と屋根は健在。
少し低い分、ドッシリとした空間の印象を受けました。
至聖所へと続くはずですが、、更地っぽいなぁ。。
振り返ると壁画が。ここは結構くっきり残っていましたね!
う〜ん!更地!
残った葬祭殿を眺める。
戻ります。
民と王、人と神のやりとりを表しているように見えますね。
このポジションがベストショットですね!
横にそれると、人の営みは感じることができる部分も。
お邪魔しました、ラムセウム!
ちなみに隣には緑が…!

 

ラムセウム(ラムセス2世葬祭殿)の入場料

40£E(学生は20£E)

 

 

ルクソール西岸から東岸へ!

今回はおまけとして、ルクソールのナイル川の様子もご紹介!

というのも、ルクソール東岸の観光はここラムセウムが最終地点でしたので!

対岸にルクソール神殿が見えます!
行きはタクシードライバーのプライベートボートでしたが、帰りは”公式”のローカルフェリー。ほぼ貸切状態だったな!
東岸、生者の町に無事帰還!
今度は東岸から西岸を眺める。
あの丘の麓を巡っていたと思うと、なんだか感慨深く、しんみりしてきちゃいます。。
ルクソール神殿は翌日に訪問予定でしたので、この日は道から眺めるのみ。
ルクソールのナイル川は、カイロと比べて静かで穏やかで、とても素敵な場所でした。
『エジプトはナイルの賜物』という言葉、カイロ以上に感じることができました!
看板をよく見ると、クリスティアーノ・ロナウドとメッシに並んでいるのは、エジプトの英雄モハメド・サラー!
当時は「おいおい」と言っていましたが、現在ではこの3人が並んでいてもなんら不自然はないですよね!
(海外サッカーがよくわからない方はスルーしてください。笑)
ナイル川沿いを巡り、無事ホテルへ戻りました!
(ホテルはこの住宅地(?)の一角でした!)

 

👇東岸から西岸へ渡った行きの様子は、メムノンの巨像の記事をご覧くださいね!

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ラムセウムのまとめ

今回のブログでは、ラムセス2世についてと、彼の葬祭殿であるラムセウムについてご紹介してきました!

ラムセス2世の偉業からしたらあまりに寂しい雰囲気の世界遺産・観光地ではありましたが、それでも立ち並ぶラムセス2世像は圧巻でしたし、何より”廃墟感”がたまらなかったですね!

エジプトへ行った時期もあってか(9月末)、この日のラムセウムは僕のみの貸切状態で、一人でラムセス2世、オジマンディアスについての想像を膨らませながらのんびりと観てまわることができました。

実際の史実・歴史に登場し、そこからアニメやゲームに登場するキャラとなった人物にゆかりのある場所を訪ねる。

これはいつどこでやってもワクワクしますよね〜!

足を運んでみてわかることもあるし、歴史を学んでみるとさらに思い入れが深まるのもたまらない!

人気があろうとなかろうと、自分が気に入ればそこはお気に入りの場所になる。

そんなお気に入りが世界中にできるのが、まさに旅の醍醐味と言えますね!!

 

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