密教とはどういう宗教?教え・特徴・歴史・他の仏教宗派との違いを簡単にわかりやすく解説します!

密教とはどういう宗教?秘密の呪術?謎の曼荼羅?教え・特徴・歴史・他の仏教宗派との違いを簡単にわかりやすく解説!

みなさんこんにちは! 旅行観光情報サイト「旅狼どっとこむ」の旅狼かいとです!

今回は、仏教の中の一流派である「密教」についてご紹介していきます。一般的には「秘密仏教」の略と呼ばれる密教、薄暗いお堂の中でお経を唱えながら呪術的な何かをしていたり、謎の”曼荼羅”を使った修行をしているというイメージを持たれている方も多いかもしれません。

日本では真言宗や天台宗に代表され、海外ではチベットやインドのラダック、ネパールやブータンなどで見られる密教。そんな密教がいったいどういう宗教なのか、どのような教えなのか、今回はその歴史と特徴、他の仏教(大乗仏教、顕教)との違いを中心にお話ししていきながら紐解いていこうと思います。ぜひ最後までご覧ください!


目次

密教の定義:密教とはどういう宗教?

密教の定義・特徴・教え:密教とはどういう宗教?

まずは「そもそも密教とはどういう宗教なのですか?」というお話から。

密教」とは、「インドにおいて大乗仏教の最終段階で展開された、神秘主義的・象徴主義的・儀礼主義的な傾向の強い仏教」を指します。仏教という括りの中で、密教か密教ではないかを分ける大きな指標が、神秘主義的・象徴主義的・儀礼主義的な傾向が見られるかどうかとされています。

どういうことかというと、「仏教における神秘である”悟り”を開くための瞑想の修行に、”仏像”や”曼荼羅”といった象徴や、”ヨーガ”や”特殊な儀式”といった儀礼を用いる」のが、密教の特徴とされているということ。

「悟りを開く」というのは仏教のすべての宗派にいえることですから、「悟りを開く修行の際、仏像や曼荼羅を使ったりヨーガや儀式をするのが密教の特徴」と簡単に言い表わすことができるでしょう。一般的に言われる「秘密仏教」というのは、この修行方法が一部の人にのみ開示されてきた、あるいは大衆からはそのように見えていたことからイメージされたものだと個人的には感じます。「密教」と「〇〇教」という形で名前はついていますが、「あくまで大乗仏教の一宗派である」というのが重要なポイントです。

また、密教の中にも2つのタイプが存在し、性行為を導入したヨーガ、すなわち「性的ヨーガ」や、「血・骨・皮を用いた儀礼」を必須要素とするタイプと、そうした性的ヨーガや血肉を用いた儀礼を必要としないタイプがあります。仏教における密教を「タントリズム(Tantrism)」と呼ぶことがありますが、この場合は前者のタイプを指します。

今日における密教は、主に日本チベット(インドのラダック地域を含む)ネパールブータンで信仰されています。このうち、真言宗と天台宗の一部から成る日本密教は、原則として性的・血肉を必要とする要素(タントリズム)を含みません。一方、 チベットとネパールの密教はタントリズム色が色濃いですが、性的ヨーガは現在では実践されていません。

※英語で密教(秘密仏教)を言う際、”Tantrism”以外だと”Esoterism”が用いられることが多いそうです。”Esoterism”は「秘教」と訳される言葉であり、「秘密仏教」「秘密宗教」と一般的に認識されている密教らしい訳ともいえるかもしれません。

禅仏教との違い

密教と同じく大乗仏教の一宗派として展開される、禅仏教(禅宗)との違いにも触れておきましょう。

実を言うと、禅仏教も神秘的な体験として「禅定(瞑想)」は重要視しており、それどころか、禅定(瞑想)なしでは成立しないとも言えます。しかし、禅仏教では「象徴」を基本的に使用せず、「儀礼」を行うこともあまり重要視しません。ここが禅仏教と密教の違いであり、密教の特異な点とも言えます。

こうした違いは、寺院内部に形として現れています。密教寺院の内部には、「象徴」である多くの如来や菩薩の彫像が置かれ、壁画や人物画、幾何学的で色鮮やかな曼荼羅が多く描かれていたり飾られています。対して、禅寺院の内部はいたって簡素です。仏菩薩の種類はごく少なく、鮮やかな色彩とも縁がありません。象徴や儀礼を重視しないのだから、当然、象徴や儀礼にかかわる視覚的な装置が見当たらないわけです。

また、神秘的な体験においてあらわれる様々なビジョンを、密教はおおむね良き象徴として肯定するのに対し、禅仏教は悪しき象徴たる「魔境」として否定します。瞑想中に浮かぶことを、”素直に感じたこと”と捉えるか”邪念”と捉えるかの違いと言えるでしょうか。ここにも、神秘を追う過程、すなわち悟りを開くまでの過程に違いがあるのです。

ちなみに、密教でない大乗仏教を、密教を信仰する人々は「顕教」と呼びます

👉 大乗仏教と上座部仏教の違いについて、詳しくはコチラ!(Coming soon!)


密教成立の歴史

それでは、ここから密教がどのように成立してきたのか、その歴史をお話していきます。密教成立の歴史を知るほど、密教とはどのような宗教なのかがより理解できますよ!

ヒンドゥー教の隆盛と仏教の衰退

密教とはどういう宗教?密教成立の歴史:ヒンドゥー教の隆盛と仏教の衰退

紀元前6世紀ごろ、バラモン教によるヴァルナ制(カースト制)を否定し、儀礼や身分に囚われることなく自己の解放、すなわち悟り(解脱)を目指したガウタマ・シッダールタ(ブッダ)が創始した仏教。はじめはバラモンによる身分格差をよく思っていなかった多くの人々に受け入れられ、紀元前3世紀のマウリヤ朝のアショーカ王、紀元後2世紀のクシャーナ朝のカニシカ王による保護も相まって、生まれ故郷であるインドを中心に隆盛します。

しかし、仏教が成立してから約1000年が経った頃の5世紀、インドでは長らく続いてきた仏教とヒンドゥー教の拮抗状態が崩れ、ヒンドゥー教が優勢になりつつありました。その原因はいくつか挙げられます。

仏教が劣勢となった理由①:知的水準が高い人向けの宗教だった

仏教はブッダが成立させて以降、どちらかといえば知的水準の高い人々を主な布教の対象としてきました。教育が十分に行き届いている人々は都市部に多いですから、必然的に仏教は都市型宗教となっていきました。そうなると、人口が多い農村や一般庶民層への浸透はどうしてもおろそかになりがちです。単純に、農村部の一般庶民の知的水準では、仏教の布教対象にならなかったという面ももちろんあるでしょう。

その点、ヒンドゥー教は信仰における知的水準は関係なく、支持層がとても幅広かったのです。

仏教が劣勢となった理由②:信仰を始めるハードルが高かった

仏教は基本的に出家が必要な宗教です。そのため、信仰を始めるための敷居が高く、どうしても僧院中心の活動にならざるをえません

一方、ヒンドゥー教は出家などは不要で誰でも信仰が可能です。また、寺院へ参拝することはありますが、日常から家の中でも簡単にお祈りができます。

こうした違いも、農村や一般庶民層へヒンドゥー教の方が浸透しやすかった要因です。

仏教が劣勢となった理由③:現世への関心が薄かった

仏教はその信仰や思想の関心・方向性が死後や来世に強く向いているため、現世での問題への関心が薄く、激変する現実に対して対応能力を欠いていました。時代が変わり、人が変わっているにも関わらず、かつての信仰の形をそのまま維持し続けたというわけです。

その点、ヒンドゥー教は現世でのご利益を求める傾向も強く、現世を肯定的に捉えるため、時代の変化に対する対応能力がずっと高かったのです。

“結果的に”という面もあるかとは思いますが、その時代に求められる信仰の形へヒンドゥー教は柔軟に変化し、それが人々にも受け入れられやすかったということですね。

仏教が劣勢となった理由④:庇護する権力がなくなり、後援の商人も没落していった

かつてはアショーカ王を筆頭に強大な王朝が仏教を長らく庇護してきましたが、この時代、すでにそうした権力は存在しませんでした。

また、異民族の侵入と東西交易の退潮は都市の衰退を招き、各地の僧院を後援してきた大商人たちも没落していきました。インドの政治と経済の重心は、ヒンドゥー教が長らく支持地盤としてきた農村社会に移り、この方面に根を張っていなかった仏教は、時代の流れとともに廃れていってしまったのでした。

仏教を再生させようという試みが始まる

密教とはどういう宗教?密教成立の歴史:仏教再生の試み

このように、次第に仏教はヒンドゥー教に対し劣勢を強いられていきますが、もちろん仏教もだまっていません。

仏教を再生させようという大胆な試みが、自分ひとりの悟りではなく多くの人々の救済を目指す大乗仏教の中から現れたのです。彼らはヒンドゥー教優勢の時代に対応するため、大きく2つの方策を考えました。

仏教再生の試み①:ヒンドゥー教を模倣する

一つ目の試みは、ヒンドゥー教の成功に倣い、ヒンドゥー教を模倣することです。

具体的には、ヒンドゥー教が得意としてきた様々な儀礼や儀式を、仏教の教義や修行に合うよう工夫を加えて組み入れたのです。「儀礼」に欠かせない「象徴」という要素、すなわち「儀式」の際に必ず必要になる「道具」も、仏教的な意味に読み替えられ取り入れられました

さらに、一般庶民に人気のあるヒンドゥー教の神々が、くだらないヒンドゥー教を見限ってありがたい仏教に移籍してきたという形をとって、仏教パンテオンのなかに位置づけられました。日本の仏教でもなじみ深い弁財天や吉祥天、毘沙門天などのように名前の末尾に「天」とつく神々のほとんどが、この時期にヒンドゥー教から”輸入”されてきた者たちです。

仏教再生の試み②:修行の中心であるヨーガ(瞑想法)の刷新

ヒンドゥー教に劣勢を強いられていた当時、大乗仏教の教えでは「他者救済」という高尚な理念ばかりが掲げられ、どうにも頭でっかちのようになっていたと気づいたのです。そのため、「理念を実践するための心身の開発」を怠ってきた「大乗仏教そのものの刷新」がなされたのです。

「理念を実践するための心身の開発」では、新たな修行法が次々に試みられました。

ブッダが創始して以降、仏教は「行(修行)」の宗教です。仏教における修行で最も重要なのは、「ヨーガ (瑜伽)」、すなわち、呼吸法やイメージ操作などによる身体技法を駆使する「瞑想法」です。ブッダ自身も、 菩提樹下におけるヨーガによって悟りを開いたのです。とすれば、仏教が求める理想の心身は、まずはこのヨーガの実践なくして得ることはできません

おりしも5世紀、インドのヨーガは一大変換点を迎えていました。性欲に代表される生命エネルギーを抑制して寂静たる悟りの境地をめざす旧来の「寂静の道」から、むしろ生命エネルギーを活性化し、さらにそのエネルギーを純化することで悟りに至ろうとする「増進の道」への転換がなされていたのです。

密教の誕生

密教とはどういう宗教?密教成立の歴史_教え・特徴

ヨーガ転換期の影響を受けて、大乗仏教の改革者たちは「霊(精神)と肉(身体)の関係」の再構築を進めていきます。そして、「霊の変革は霊のみによっては不可能であり、肉の変革こそが霊の変革を可能にする」と結論付けたのです。「健全な肉体にこそ、健全な精神が宿る」といったところでしょうか。

この考え方こそが「密教」の根本となり、大乗仏教における最後の分岐として「密教」が生まれたのでした。

もっとも、5世紀に誕生したばかりの「前期密教」は呪術による現世利益が中心で、悟り(解脱)に至るための手段としてはまだだま不十分でした。この点が十分に達成されるのは、6〜7世紀の「中期密教」が登場して以降の話になります。


各時代における密教編纂の歴史

それではここから、密教が成立して以降、どのようにして密教が変化してきたかをみていきましょう。

中期密教

密教とはどういう宗教?密教編纂の歴史_中期密教の成立と特徴

まずは、悟り(解脱)に至るための手段として形となった「中期密教の特徴を、成立したての際の前期密教と比べながらみてみましょう。

前期密教中期密教
目的除災招福を中心とする現世利益悟り(解脱)に至る
修行法印相・真言・観法(瞑想方法の一種)がそれぞれ別個印相・真言・観法を統合することで身体・言葉・心を一体化し、「本質的には、究極の仏たる大日如来と自分は同一である」という悟りの境地に至る組織的な修行法が完成した
理念「仏説」とはいうものの、もっぱら現世利益を求めるだけで理念は希薄だった大乗仏教の理念が「象徴化」されることで組み込まれた
説法釈迦如来が説法する形式をとる真理そのものの人格化ともいうべき大日如来が説法する形式をとる
その他起源を問わず、仏教に取り込まれた様々な神々を整理し体系化して、仏・菩薩・明王・諸天などから構成される「曼荼羅(マンダラ)」が、修行や儀礼のための霊的な道具として用いられるようになった。
前期密教と中期密教の違い
※曼荼羅とは?

曼荼羅(マンダラ)とは、密教の経典にもとづき、主尊を中心に諸仏諸尊が集う楼閣を図示したものです。また、曼荼羅は聖域であり、 悟りの境地であり、仏教世界の構造を示した図であり、小宇宙でもあります。「仏たちが住む場所であり、そこは聖域であり、悟りの境地であり、仏教世界そのものであり、一つの宇宙でもある」ということですね(このあたりは宗教の世界観なので割り切ってください笑)。

悟りに⾄る上で瞑想の修⾏は⽋かせません。密教における瞑想は「仏の世界と⼀体になること」「究極のホトケたる大日如来と自分とが、本質的には同一であると悟ること」を⽬指しますが、何の⼿がかりもなく仏の世界を想像することはできません。そこで、「教本」「テキスト」のような役割として⽤いられるのが、諸仏諸尊が住まう地を表現した曼荼羅なのです

なお、曼荼羅の歴史は1500年前にまでさかのぼります。インドでは、密教が成立する5〜6世紀頃から曼荼羅が描かれていたとされています。そして、密教の発展とともに、曼荼羅もまた大規模になり洗練されていったのでした。しかし、現在のインドには仏教が滅亡する前のマンダラは残っていません。

密教とはどういう宗教?曼荼羅(マンダラ)とは何?_中期密教・後期密教の特徴

中期密教の経典

上記に挙げた中期密教の要素を盛り込むことに成功したのが、日本密教では最重要の経典とされてきた『大日経(だいにちきょう)』と『金剛頂経(こんごうちょうきょう)』です。 時期でいえば、「大日経』が7世紀の前半に、「金剛頂経」はそれより半世紀ほど遅れた7世紀の後半に、それぞれ成立しています。

このうち、『大日経』は大乗仏教と本格的な密教の間を橋渡しした経典といえます。密教経典として見た場合は、修行法が十分に解説されていなかったり曼荼羅が未完成であったりと、不徹底なところがまだ残っています。しかし、大乗仏教の基本理念である他者救済の思想についてはとても色濃く、ここに『大日経』の『大日経』たる所以があると言われています。

その点、遅れてできた『金剛頂経』は、修行法についても曼荼羅についても本格的な密教経典といえます。その代わり、象徴的な表現が非常に多く、理解するのはかなり難しいと言われます。それでも、以後の密教は『金剛頂経』が中心となって展開していきます

なお、日本に伝わってきた密教はこの中期密教までで、以後に展開した密教は、少なくとも公的には日本には伝わっていません。逆に、中期密教以降こそがチベット密教が継承してきた領域となります。つまり、『金剛頂経』までか『金剛頂経』以降か、それこそが日本密教とチベット密教を隔てる分水嶺となっているのです。

また、『大日経』と『金剛頂経』は、同じ密教の経典ではありますが別系統の宗教思想に属しています。『大日経』が発展して『金剛頂経』が誕生した、という関係性ではありません。加えて、インドでは『大日経』はさして評価されず、ほとんど展開せずに消え去ったそうです。対して『金剛頂経』は非常に高い評価を受け、その後の密教が進むべき方向を決定したほどです。密教が『金剛頂経』を中心にして展開していった理由も、このあたりの事情に由来するのですね。

後期密教

密教とはどういう宗教?密教編纂の歴史_後期密教の成立と特徴

中期密教、特に『金剛頂経』は、他者救済を中心とした大乗仏教の理念を非常にうまく”密教化”しました。しかし、肝心要の「究極のホトケたる大日如来と自分とが、本質的には同一である」と体得するための修行法の開発は、まだまだ不十分だったのです。

また、「悟り(解脱)に至るための手段の確立」を目指した結果、中期密教は再び僧侶向けに複雑化してしまい、結局、インドの大衆層への普及・浸透ができず、ヒンドゥー教優勢の時流を変えることができていませんでした。

密教だけの特有の発想で、かつヒンドゥー教がいまだ手を着けていない領域はないか?

この問いの果てに密教が辿りついたのが、「性」とりわけ「性行為」という領域だったのです。あらゆる時代のあらゆる宗教が避けてきた領域でしたが、密教を信仰する人々は性行為を「性的ヨーガ」として修行に導入しようと試み、現実に実践したのでした。彼らは、ヒンドゥー教が忌避してきた領域にあえて踏み込むことで、仏教の劣勢を回復しようとしたのです。

この、性行為を修行に導入した密教を「後期密教」と呼び、欧米の学界では「タントリズム」や「タントラ仏教」と呼ばれます。この段階以前の経典を「スートラ」と呼ぶのに対し、後期密教の段階に達した経典を「タントラ」と呼びます。

「スートラ」はもともと「糸」や「紐」を意味しました。そこから「教えをつらぬく糸」、つまり「綱要」という意味に転じ、さらに「経典」という意味にまでつながったとされています。

対して「タントラ」の語源については諸説あります。有力なところでは、「連続」や「相続」を意味する言葉から転じ、後期密教の経典を意味するようになったといわれています。「タントリズム」は、このタントラに「教え」を意味する「イズム」をつけて派生させた造語です。いまでは後期密教にかぎらず、性行為を修行に導入したインド系の宗教すべてに対して用いられることも多いです。

なお、チベットでは、前期密教であろうが中期密教であろうが密教経典はすべて「タントラ」と呼ばれます。

※密教が性行為を導入したことには、ヒンドゥー教シャークタ派におけるタントラやシャクティ(性力)信仰の影響もあると言われています。また、ヒンドゥー教には、シヴァ神信仰などにおいて「性器崇拝(シヴァ・リンガの信仰)」も見られますが、総じて「性行為」を悟りのための修行と結びつけることに関しては消極的でした。

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最終期の密教

密教編纂の歴史_後期密教の成立と特徴_チベット密教と最終期の密教

インドにおける後期密教の時代は、8世紀後半に『秘密集会ひみつしゅうえタントラ』が「ブッダは、あらゆる如来たちにとってあらゆる真理の源泉である複数の女性たちの性器のなかにおられた(=女性たちと性的ヨーガを行じておられた)」という衝撃的な文言を掲げて登場した瞬間にはじまり、 13世紀の初頭、イスラーム勢力によるインド仏教の滅亡とともに幕を閉じました。その間の約500年で、後期密教は3つの方向に展開を遂げました。それが、父タントラ・ タントラ・双入不二そうにゅうふにタントラです。

成立した時期からいうと、父タントラ系の『秘密集会タントラ』が8世紀後半で最も早く、次いで母タントラ系の『呼金剛(ヘーヴァジュラ)タントラ』が8世紀末から9世紀、双入不二の『時輪金剛(カーラチャクラ)タントラ』が11世紀頃と考えられています。これら3つのタントラはそれぞれ別々の経緯をたどって成立したようで、内容にはかなり大きな違いがあります。

父タントラは、ブッダとその性的パートナーが性的ヨーガを実践して曼荼羅を生成するプロセスを追体験する修行が中核となっています。つまり「聖なる存在をこの場に引き出してこよう」という考え方です。どういう方法で追体験するかは、実際に性的ヨーガを行うこともあれば、観想のみによることもあったようです。

母タントラは、修行者の身体を霊的に変容させ、ブッダと合一させる修行が中核を占めます。つまり「修行者自身が聖なる存在そのものになろう」という考え方。そのために、性的な要素を極限まで拡大させ、パートナーとの性的ヨーガを通じて脈管やチャクラといった霊的器官を駆動させるテクニックが、さまざまに開発されました。

双入不二タントラは、「父タントラと母タントラを統合しよう」という目論見から誕生しました。 その点で最も完成されたタントラといえますが、当時の政治社会情勢から、イスラーム教徒との最終戦争、そしてインド仏教の復興と平和の到来を予言するなど、特異な面も多々みられます。

このように展開を遂げた後期密教でしたが、「戒律との相克」という難問を抱えていました。特に母タントラは、呪殺や黒魔術的・オカルト的な要素まで取り込んでいたので問題が多かったといいます。こうした問題を解決に導く人材も時間も、インド密教は持ちえませんでした。それは、後継者たるチベット密教の手にゆだねられることになるのです。

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密教が広まった地域はどこ?

では最後に、密教が広まった地域についてお話ししていきます。

かつての密教地域

密教とはどういう宗教?密教が広まった地域_かつての場所_インドネシアのボロブドゥール・中国の唐時代

密教の故郷はインドです。しかしインド密教は、インド仏教の滅亡とともに13世紀初頭のころに滅亡してしまいました。原因は、イスラーム勢力による侵略、およびヒンドゥー教との抗争に敗れて吸収されてしまったことにあります。

一応この段階ではヴィクラマシーラ大僧院のような大拠点が壊滅しただけで、民間ではまだ密教を信仰する人々がインドにも残っていたそうです。しかし、そうした人々も時代の勢いには抗うことができず、15世紀にはほぼ完全に消滅したと考えられています(東インドのベンガル地方などには極端にヒンドゥー教化した密教があったともいいますが、その影響力は微々たるものにすぎなくなっていました)。

また、インド以外の地域でもかつては密教が栄えていました。インドネシアのボロブドゥール遺跡はその証拠であり、カンボジアなどでも密教が盛んに信仰された時期があったのです。唐時代の中国でも密教は人気があり、日本密教はこの中国密教が本家になります。新羅や高麗時代の朝鮮半島にも似たタイプの密教が輸入され、かなりの勢力をもっていました。しかし、これらの地域の密教は時代を経ると尽く滅び去ってしまいました。

現在の密教地域

密教とはどういう宗教?密教が広まった地域_現在の場所_日本・チベット・ラダック・ネパール・ブータン

現在に至るまで密教が勢力を保っているのは、チベットならびにインドのラダック地域ネパールブータン、そして日本です。地域を大観すれば、チベット高原およびヒマラヤ山系の一帯と、遠く離れた日本列島ということになります。

このうち、ネパールの密教については2つのタイプが存在します。一つはインド密教の流れにくみする密教。このタイプの密教は、基本的にインド密教が栄えていた頃の状態をそのまま伝えています。ただし、近年では衰退の傾向が甚だしく、滅亡するのも時間の問題だという悲観的な意見もあります。もう一つはチベット密教です。このタイプの密教は、1950年代のチベット動乱により故郷を追われてネパールに亡命を余儀なくされたチベット人たちがもたらしたもので、いまやネパール本来の密教をはるかに凌ぐ勢力となっています。

そして、インドのラダックの地域とブータンの密教は、完全にチベット密教といってさしつかえありません。特にインドのラダックは、現在でもチベット密教の文化と伝統が色濃く残る地域として知られています。

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密教について まとめ

密教とはどういう宗教?教え・特徴・歴史・他の仏教宗派との違いを簡単にわかりやすく解説します!

ということで今回は、仏教の一流派である「密教」についてお話ししてきました

特に「チベット密教」と呼ばれる分野の後期密教は、かなり際立った特徴を持っていると解釈いただければと思います。対して日本に伝わってきた真言宗や天台宗といった密教は、あくまで大乗仏教の一宗派ということを感じやすいのではないかと思います。

ひとくくりに「仏教」といっても様々あり、さらにその中で枝分かれした「密教」の中でも種類があるというのが、人がうみだした宗教の面白いところではないかと個人的には感じています。

今回、密教について興味を持たられた方は、ぜひ日本の真言宗や天台宗はもちろん、チベット密教についても理解を深めてみてほしいと思います。興味深い世界があなたを待っていますし、新しい知識の扉を開くこと間違いなしですよ!


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