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今回ご紹介するのは京都の「八坂神社」です。毎年7月に行われる祇園祭の舞台であり、かつての花街であり今日の観光名所である「祇園」の街発祥の神社でもあります。朱色の楼門がとても印象的なパワースポットですが、意外と見どころや歴史を知らないという人も多いのではないでしょうか?
そんな八坂神社の見どころや歴史、駐車場や拝観料といった観光地情報を、この記事ではわかりやすくお届けします。京都へ旅行をする方はぜひこの記事をご覧になって、八坂神社や祇園についてさらに詳しくなってくださいね!
八坂神社ってどんなところ? まずは簡単にご紹介!
地元の人たちからは「祇園さん」という愛称で親しまれている「八坂神社」。斉明天皇の時代の656年に創建されたと伝わっている、京都を代表するスピリチュアルな神社の一つです。
祇園の大通りのちょうどつきあたりに立っており、八坂神社の玄関口であり祇園のシンボル的存在とも言える朱塗りの楼門がとても印象的です。東西南北四方にある門は常に解放されており、24時間いつでも出入りができる珍しい神社でもあります。
祇園造という珍しい建築様式によって建てられている本殿には素戔嗚尊(スサノオノミコト)が祀られており、境内にはそれぞれが病気平癒や商売繁盛、良縁成就といったご利益をもつ16もの摂社や末社が立つパワースポットです。
7月には京都三大祭りの一つ「祇園祭」が行われるほか、隣接する円山公園は、春は桜の、秋は紅葉の名所として知られており、四季折々の見どころがあります。
八坂神社と祇園の歴史
ではここから、本格的に八坂神社の歴史をご紹介していきます。八坂神社の歴史は祇園の街と共にあるといっても過言ではないため、祇園の歴史も一緒に追いかけていきますよ!
八坂神社の創祀伝説
八坂神社の始まりは、656年(斉明天皇2年)に朝鮮半島の高麗から日本にやってきたという「伊利之」が、同じく朝鮮半島にある新羅の「牛頭山」で祀られていた「牛頭天王」(素戔嗚尊と同一視される神)を、この祇園の地にも奉斎したことに由来すると言われています。
牛頭天王は、釈迦が説法を行ったと言われる「祇園精舎」の守護神とされている神様で、別名を「祇園天神」と言います。そのため牛頭天王を祀っている八坂神社は、もともとは「祇園社」や「祇園神社」と呼ばれていました。
残念ながらこの伊利之と牛頭天王のお話は伝説であるとされており、史実として八坂神社の創建と考えられているお話は別にあります。
それが、
876年(貞観18年)に、南都の僧「円如」が薬師千手の像を奉納して祇園の地に神社を建立した。すると同年の6月14日に、天神(祇園神)が東山の麓の祇園林(現在の八坂神社がある場所)に降り立った
という説。
まぁこれも半分くらいは伝説じみている気はしますが…それを言うのは野暮ということですね!笑
平安時代の八坂神社
八坂神社、もとい「祇園社」は、平安時代中期ごろに発展していきます。その契機となったのが、877年(元慶元年)に流行した疫病でした。この疫病を鎮めようと「東山の小祠」と呼ばれていた祇園社に祈りが捧げられると、なんと流行が止んだというのです。
この際に行われた疫病消除の祈祷が、現在の八坂神社の例祭となっている「祇園祭」の原型とも言われているのです。
疫病が鎮まると、祇園社は、民衆からはもちろんのこと、時の権力者である藤原氏や天皇家からの信仰も集めるようになりました。995年(長徳元年)には、国家の重大事や天変地異などの際に朝廷から特別な信仰を受けた「二十一社」に数えられるほどになります。
平安時代後期には、朝廷にも認めらた社殿が鴨川一帯までに広がっていった祇園社。現在「祇園」と呼ばれている街一帯は、祇園社の「祇園」から呼ばれるようになった地名なのです。まさに祇園の街は、祇園社の門前町として栄えた地区というわけなのです。
鎌倉時代以降の八坂神社
以降の武家の時代でも祇園社は、平清盛の田楽奉納や源頼朝の狛犬奉納にはじまり、足利将軍家や豊臣秀吉、徳川幕府まで、武家からの崇敬も篤かったといいます。
祇園社は、歴史上で「南都北嶺」と呼ばれる奈良の興福寺と滋賀の比叡山延暦寺の両者から末社とされていた時期がある珍しい神社でもあります。各時代の幕府からの支配も受けていたという祇園社ですが、室町時代〜安土桃山時代の頃には独立し、経済力をつけていた京都の町衆たちが祇園祭を執り仕切るようになったと言われています。
その後は独自の祇園信仰を続けてきた祇園社。明治元年(1868年)の明治維新の一環である神仏分離令により、「八坂神社」と改名されました。
明治時代から現在に至るまでの八坂神社と祇園の街
「八坂神社」と改名されてからも、地元住民からを中心に変わらない信仰を集め続けた八坂神社。2016年には「山・鉾・屋台行事」の一つとして「祇園祭山鉾巡行」がユネスコの世界無形文化遺産に登録されました。今ではお正月の三が日に初詣で訪れる人が約100万人にものぼり、京都府内では伏見稲荷大社に次ぐ第2位の参拝者数となっています。
一方、八坂神社の門前町である祇園の街は、江戸時代初期に水茶屋を営業したことをきっかけにして、以降花街として発展していきました。本格的に日本の都が東京に遷された明治時代以降は、廃れた京都を立て直そうとこの祇園を中心に街並みが整備され、さまざまな催し物が開かれていたと言います。
現在の祇園には、歌舞伎劇場「南座」や祇園甲部歌舞練場、祇園会館などが立ち並んでいるほか、喫茶店やバー、お土産屋も多く並んでいます。花見小路をはじめ大通りから一歩奥まったところに入れば、現在は料亭や茶屋となっている格子戸の家々が続く道を歩くことができ、今なお京都の歴史を感じさせてくれますよ!
八坂神社の見どころ
それでは、京都へ旅行した際に見ておきたい八坂神社の見どころをご紹介していきます!
西楼門
四条通に面する八坂神社最古の建造物で、祇園のシンボル的存在でもあるのが「西楼門」ですね!
応仁の乱の際に焼失したものの、1497年(明応6年)に再建されました。現在の西楼門の姿は、1925年(大正14年)に移築した際、左右に翼廊を建てたものになっています。
本殿
八坂神社の本殿の下には大きな池があり、そこには東方の守護神「青龍」が棲んでいると言われています。東は太陽が昇る方角であり、「朝」や「誕生」、「始まり」などを意味します。そして「龍」は気の流れそのものとも考えられており、八坂神社の本殿には京都中の「陽の気」が集まると言われているのです。
祀られている主祭神「素戔嗚尊」と「櫛稲田姫命」の夫婦神、そしてその子供たちである八柱の神々と合わせて、開運の効果があるパワースポットとなっています!
舞殿
本殿手前にたくさんの提灯が掛けられた建物があります。これが八坂神社の「舞殿」になります。祇園祭の際に三基の神輿が奉納される場所であり、それ以外でも、結婚式や舞妓による舞踊といった奉納行事なども行われます。
提灯は祇園花街の置屋や料亭から奉納されたもので、毎夜ライトアップされているその様子は、かつての祇園社の雰囲気を存分に味わうことができる幻想的なものになっていますよ!
南楼門と石鳥居
西楼門があまりに有名な八坂神社ですが、実は正門は南の楼門になります。祇園祭の神輿や結婚式の際は、この南楼門から必ず出発することになっているのです。
そして、南楼門の正面に立つ石鳥居が表参道からの参拝者を迎える役割を担っています。八坂神社の表参道は「高台寺」や「清水寺」の方へと続いており、インスタ映えスポットとして人気の「八坂の塔」や、石畳と古民家の街並みにカフェやランチのお店が軒を連ねる「二年坂(二寧坂)」にも向かうことができますよ!
大国主社(縁結びのパワースポット)
「大国主社」で祀られているのは、国造りの神話や出雲大社の主祭神で知られる「大国主命」です。ですが八坂神社の末社として重要視されているのは、大国主命のもう一つの逸話『因幡の白兎』です。
この影響から「大国さん」と親しまれる大国主社は京都でも有数の「縁結びのパワースポット」として知られており、本殿にも劣らない人気を集めていますよ!
縁結びに繋がる『因幡の白兎』については、見どころ紹介の一番最後でご紹介しています。気になる方は読んでみてくださいね!
美御前社(美容のご利益)
祭神である「宗像三女神」が芸事に秀で容姿端麗な三女神であることから、「美容のご利益」があると信仰を集めるのが「美御前社」です。
水の神でもある宗像三女神を祀る社の前には湧き出る御神水があり、「美容水」と呼ばれています。なんでも、数滴肌につけるだけで身も心も美しく綺麗になるとか…!
※宗像三女神:多岐理毘売命、多岐津比売命、市杵島比売命
大神宮社
伊勢神宮の内宮「天照大神」と外宮「豊受大神」を祀るという神力を感じる末社が「大神宮社」です。社の入口には「力水」と呼ばれる御神水があるのが見どころです。
豊受大神を祀る神社には「神様の世界から持ち帰ってきた」と言われる聖水が湧き出ていることが多いため、八坂神社の大神宮社もその一つだと思われます!
👉 豊受大神と天照大神の関係については、コチラの天橋立 元伊勢籠神社の記事でわかりやすく解説しています!
北向蛭子社
「北向蛭子社」は、その名の通り商売繁盛の神様として知られる「恵比寿(ヱビス)」を祀る末社になります。(厳密には恵比寿と同一視される「事代主神」を祀っています。)
地元の方々からは「えべっさん」として親しまれているだけでなく、全国の恵比寿信仰の中でも長い歴史を持つお社とも言われています。名前に「北向」と入っているのは、全国的にも珍しい北向きの社であることから。
毎年1月10日には「初えびす」が行われ、北向蛭子社の近くには出店が並び多くの参拝客で賑わいますよ!
疫神社
八坂神社の祭神である素戔嗚尊を助けたとされる「蘇民将来命」を祀るのが「疫神社」です。
蘇民将来は、旅をしていたスサノオに貧しいながらも粟で手厚くもてなし宿を貸したことから、「後年、疫病が流行しても「茅の輪」をつけて「蘇民将来の子孫なり」といえば災厄から免れる」と約束された人物です。
この神話から、疫神社は疫病退散のご利益があると人気を集めているわけですね!
『因幡の白兎』ってどんなお話?
見どころ紹介の最後に、八坂神社にゆかりのある物語として語られる『因幡の白兎』をご紹介します。
出雲国に大国さま(大穴牟遲神 = 大国主神)という神様がいました。大国さまには多くの兄弟(八十神)がいましたが、大国さまは兄弟から嫌われていました。
ある日、兄弟の神様たちは因幡の国に八上比売という美しい姫がいるという噂を聞きます。そして、みんなで会いに行って求婚しようと決められました。 大国さまもついていくことにしましたが、兄弟たちの荷物が入った大きな袋を背負わされ、一番後ろでとぼとぼと歩いていきました。
一向は因幡の国の気多の岬まで来ました。そこで兄弟神たちは、体の皮が剥かれて泣いている一匹のうさぎを見つけました。兄弟神たちはそのうさぎに「海水を浴びて風にあたるとよい」と意地悪をしました。うさぎは騙されているとは全く思わず、言われるままに海に飛び込み、風当たりのよい丘の上で風に吹かれていました。すると、海水が乾いて傷がもっとひどくなり、さらにヒリヒリと痛み出してしまいました。
前よりも苦しくなって泣いているうさぎのところに、後からついてきた大国さまが通りかかりました。大国さまはうさぎを見つけると、どうして泣いているのかわけを聞きました。
うさぎは言いました。
「わたしは隠岐の島に住んでいたのですが、一度この国に渡ってみたいと思っていました。でも、できれば泳がないで渡る方法はないかと考えていたのです。するとそこにワニザメ(和邇)が来たので、わたしは彼らを利用しようと思いつきました。わたしはワニザメに、「自分と君たちの仲間とどっちが多いか比べよう。そのためにできるだけ仲間を集めてきて、この島から向こうの岸まで並んでおくれ。わたしがその上を踏んで走りながら数えよう」と提案しました。ワニザメたちはわたしの言うとおりに背中を並べはじめてくれたので、わたしは数を数えるふりをしながら向こうの岸まで渡っていきました。しかしもう少しというところで、わたしはうまく騙せたことが嬉しくなって、つい騙していたことを言ってしまいワニザメを怒らせてしまったのです。 ワニザメたちはその仕返しだと言って、わたしの皮を剥いでいったのです。それからわたしが痛くて泣いていると、先ほどここを通られた神様たちが私に、海に浸かって風で乾かすとよいとおっしゃりました。なので言う通りにしたら、前よりもっと痛くなったのです。」
大国さまはその話を聞くと、うさぎにこう言いました。
「それはかわいそうに。すぐに真水で体を洗い、それから蒲の花を摘んで敷き散らして、その上に寝転んで花粉をつけるといい。そうすれば皮は戻り、必ず癒えることだろう。」
言われたうさぎはその通りにしました。すると、体から毛が生えはじめ、すっかり元の白うさぎに戻ったのでした。そしてうさぎは大国さまに言いました。
「あなたの兄弟神たちは、八上比売を得ることは絶対にできないでしょう。」
白うさぎに言われたことがイマイチ飲み込めなかった大国さま。
それでも、兄弟たちから随分と遅れて因幡の国に到着します。その頃、兄弟神たちは八上比売へと求婚をしていました。しかし八上比売は「あなたたちの言うことは聞かない」と求婚をまるで受け付けません。かわりに大国さまを見ると、
「袋を背負われるあなた様が、私を自分のものにしてください」
と言ったのでした。
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八坂神社の祭神とご利益
では、気になる八坂神社の祭神とご利益をまとめていきます!
祭神
中御座(主祭神)
素戔嗚尊 (スサノオノミコト)
東御座(素戔嗚尊の妻)
・櫛稲田姫命
・神大市比売命
・佐美良比売命
西御座
・八柱御子神:素戔嗚尊の8人の子供の総称
・稲田宮主須賀之八耳神:櫛稲田姫命の父母神
※八柱御子神は以下の八神
八島篠見神、五十猛神、大年神、大屋比売神、抓津比売神、宇迦之御魂神、大屋毘古神、須勢理毘売命
明治時代前の主祭神
ちなみに、明治時代に行われた神仏分離以前の主祭神は以下の3柱でした。
【中の座】
牛頭天王 :素戔嗚尊と同一視された習合神
【東の座】
八王子:八柱御子神と同一視される牛頭天王の子神たち
【西の座】
頗梨采女 :牛頭天王の妃とされ、櫛稲田姫命と同一視される女神
ご利益(摂社・末者を含む)
厄除け・災難除
縁結び
商売繁盛
美容
家内安全
学業成就
安産
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八坂神社の拝観情報・アクセス・祇園祭について
最後に、八坂神社の拝観料やアクセス、駐車場などについてご紹介します。
拝観時間と拝観料
楼門は常に解放されており、境内は自由散策のため無料
社務所は9:00〜17:00
祇園祭の日程(例年同じ日付)
祭りそのものは、7月1日(金)~31日(日)の1ヶ月をかけて様々な催し物と共に実施される。
前祭宵山(宵々山):7月14日~16日
後祭宵山:7月21日~23日
前祭山鉾巡行(祇園祭最大の見どころ):7月17日 9:00〜
後祭山鉾巡行:7月24日
屋台露店は、前祭宵山の時期の7月15日~16日。この際、四条通の八坂神社~堀川間が歩行者天国となる(例年18:00〜23:00)
アクセス
〒605-0073
京都市東山区祇園町北側
TEL:075-561-6155
・京阪電車「祇園四条駅」から徒歩約5分
・阪急電鉄「京都河原町駅」から徒歩約8分
・市バス100・206番系統で「祇園」下車後すぐ
・JR京都駅から車で約15分
駐車場
八坂神社専用の駐車場はありませんが、隣の円山公園の地下駐車場「京都市円山駐車場」がすぐ近くで便利です。普通車134台分が完備されています。
【料金と営業時間】
24時間営業・300円/30分
※12月31日21:00~1月1日7:00は入出庫できませんのでご注意ください。
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八坂神社の観光地紹介 まとめ
ということで今回は、京都の八坂神社をご紹介してきました。祇園の街発祥の地という歴史や、数多くの摂社と末社、伝説に由来するご利益が盛りだくさんの神社でしたね!
祇園を観光する際は、ぜひ摂社・末社の場所と名前を確認しつつ、八坂神社へのお参りもお忘れなく! しっかりとパワースポットの力をいただいていきましょう!
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