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祇園の街から八坂神社や円山公園を通って南禅寺方面へ北上すると、巨大な三門が目に入るはず。この「京都三大門」にも数えられる三門がシンボルとなっているのが、平安時代末期に法然が開いた浄土宗の総本山「知恩院」になります。
春と秋には夜間ライトアップを行なっているため多くの人が集まりますが、それ以外の季節でも、気軽にお坊さんのお話を聞けたりお経読みを間近で見学できたりと、お寺・お坊さんと参拝者との距離が近いことでも知られているのが知恩院の特徴です。
そんな知恩院の見どころや歴史、アクセスなどの基本情報を今回はご紹介していきます。知恩院へ観光をするご予定の方はもちろん、京都旅行の計画だてをしている方もぜひこの記事を読んで、知恩院の魅力を知ってくださいね!
知恩院と開祖法然の歴史
知恩院は、浄土宗の開祖「法然」が建てた草庵を起源とし、江戸時代に本格的に伽藍が建立された寺院になります。
そんな知恩院、一体どんな歴史を辿ってきたお寺なのでしょうか。ここでは知恩院創建に欠かせない法然の歴史とともに追っていきます。
法然の浄土宗開宗
平安時代末期、美作国(現在の岡山県)に生まれた法然。12歳で比叡山に入ると、その後長らく天台宗の教えのもとで修行に励みます。そして43歳のとき、唐時代の高僧「善導」が記した『観経疏』を読んで「専修念仏」の思想に開眼、浄土宗の開宗を決意します。
比叡山を降りた法然は岡崎の地に草庵「白河禅房(現在の金戒光明寺)」を建てると、夢の中で善導との対面(二祖対面)を果たします。ますます浄土宗開宗の意志を固めた法然は、東山吉水(現在の知恩院があるところ)に草庵「吉水御坊」を建て、念仏の教えを広め始めました。
浄土宗の教え「専修念仏」
「専修念仏」とは、「いかなる者でも「南無阿弥陀仏」の名を唱えれば極楽往生できる」という思想です。念仏さえすれば”誰でも”往生できるという思想は、当時の日本においては画期的でした。
法然の教えは民衆に広がるだけにとどまらず、公家や貴族にも伝わります。その中で、関白「九条兼実」もまた専修念仏の徒となり、兼実の要請から浄土宗の教えを『選択本願念仏集』に記すと、さらに浄土宗の教えが広まっていきました。
「専修念仏」を唱える法然は、日本仏教史上初めて一般の女性にも広く布教を行った人物でもあり、国家権力との関係を断ち切り、個人の救済に専念する姿勢を貫いていったのでした。
島流しと晩年の法然
しかし当然、法然の専修念仏の広がりをおもしろくないと思う人たちもいます。それが、興福寺や比叡山延暦寺のいわゆる旧仏教教団の僧侶たちでした。彼らは朝廷との結びつきが強く、朝廷もまた、浄土宗が国家体制を揺るがす存在になりかねないと危惧していました。
そして、後鳥羽上皇によって「承元の法難」と呼ばれる、法然の弟子4人が死罪、法然や弟子の親鸞ら7人が流罪とされた事件が起こりました。
本来であればここで仏教との道を絶たれるはずだった法然。幸いにも、浄土宗の教えに帰依していた九条兼実の計らいによって、本来は土佐国だった配流先が讃岐国に変更となり、さらに10ヶ月という短期間で放免されることになりました。
流罪先であった讃岐国でも布教活動を行なっていた法然。4年後に京都の吉水御坊に戻り、その翌年、80歳で没しました。
法然の死後
法然の死後、吉水御坊に法然の廟が建てられました。しかし10年余り経った頃に、延暦寺の衆徒によって破壊されてしまいます。それでも法然の弟子である「勢観房源智」によって再興され、四条天皇から「華頂山知恩教院大谷寺」の寺号を下賜されるにまで至ります。
その後、何度かの焼失を乗り越えながら、時の天皇にも認められて少しずつ勢力を拡大していった知恩院。転機が訪れたのは江戸時代でした。
知恩院の江戸時代の発展
江戸幕府を立てた「徳川家康」が浄土宗徒だったことから、江戸時代に入ると幕府の保護を受けることとなった知恩院。家康の指示のもと寺の敷地が拡大され、諸堂が造営されていきました。
2代将軍「徳川秀忠」の時代には、現在の知恩院のシンボルとなっている三門が建設されました。その後、火災によって一度はほぼ全焼してしまいますが、3代将軍「徳川家光」の時代ですぐに再建され、現在の大規模な伽藍がほぼ完成しました。
徳川幕府による積極的な保護は家康の浄土宗信仰をきっかけにしたことではありますが、「二条城とともに京都における徳川家の拠点とするため」や、「立地的に京都御所を見下ろすことで徳川家の威勢を誇示し、朝廷を牽制するため」といった、政治的な目的もあって保護下に置かれていたとも考えられています。
現在の知恩院
その後は衰退することなく勢力を維持した知恩院。一度、浄土宗から分派した時期もあったものの、現在は浄土宗の総本山として開祖法然の草庵の跡地に伽藍を展開しています。
また、知恩院は一般の方に多くの催し物を開いていることでも知られています。春と秋にはライトアップを行なっていますし、「ミッドナイト念仏」と題された念仏の公開や、隣接する「和順会館」に宿泊しつつお坊さんの案内で境内を参拝できるプランなど、仏教や浄土宗に気軽に触れることができる様々なイベントが開催されています。2011年から2020年には9年にも及ぶ大改修を行い、月に一度修理現場を無料で公開していました。
法然が描いた「万人が仏(真理を悟った人)になる方法」を今なお体現しているのが、知恩院ということですね!
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知恩院の見どころ
では次に、知恩院へ行ったら必ずみておきたい見どころをご紹介していきます!
三門
掲げられている「華頂山」の額が目印となっている知恩院の「三門」。1621年(元和7年)に江戸幕府2代将軍徳川秀忠の命を受け建立されました。
思わず振り返ってしまうほどの大きさを誇る知恩院の三門は、高さ24メートル、横幅50メートル、屋根瓦約7万枚、五間三戸・二階二重門・入母屋造本瓦葺の構造です。日本では最大級の木造の門で、南禅寺三門・仁和寺二王門とともに「京の三大門」に数えられています。
一般的に寺院の門は「山門」と書かれるのに対し、知恩院の門は「三門」と書きます。悟りに通じるためには「空門」「無相門」「無願門」という3つの解脱の境地があると考えられており、知恩院の三門がこの「三解脱門」を表していることから名付けられたと言います。
上層部の楼上内部は仏堂となっており、中央に宝冠釈迦牟尼仏像、脇壇には十六羅漢像、さらには知恩院七不思議の一つである白木の棺も置かれており、非常に絢爛な空間となっています。普段は非公開の三門の楼上ですが、ライトアップ開催期間の夜間にのみ登ることができますよ!
男坂と女坂
知恩院の境内は3層構造になっており、三門が立つ下層から本堂である御影堂がある中層へ上がるための階段が、「男坂」と「女坂」になります。
三門からまっすぐに続く急な石段が「男坂」で、山門横にある友禅苑前からなだらかに登っているのが「女坂」です。男坂はその名の通りかなり一段一段が高い階段になっており、足腰に自信がない方は強がらずに女坂を利用するか、山門前から御影堂前まで出ている無料シャトルバスを利用することをオススメします!笑
男坂からは三門を後ろから見ることができ、階段との風景も相まって正面とは違った印象を受けますし、女坂は美しい曲線を描く参道になっており、特に夜間ライトアップの際は幻想的な道となっています。どちらも見どころとしてハズせませんよ!
御影堂(本堂)
浄土宗開祖の法然を本尊として祀っている知恩院の本堂が「御影堂」です。法然の御影を祀ることから名付けられ、「大殿」とも呼ばれます。三門と並び壮大な建築となっているのは、徳川幕府造営の仏堂としての威光を表現しているとも言われています。
毎年4月に法然の御忌大会、12月に御身拭式といった重要な行事が行われる場となっています。
御廟
「御廟」には浄土宗の開祖であり知恩院の起源となる草庵を建てた法然の遺骨が奉安されています。
手前の拝殿では毎月、法然の命日である25日に別時念仏会が行われます。
大鐘楼
知恩院には、高さ3.3メートル、直径2.8メートル、重さ約70トンもの釣鐘を飾る「大鐘楼」があります。その大きさは京都の方広寺、奈良の東大寺と並ぶ大鐘として知られており、隠れた名所となっています。
大鐘が鳴らされるのは、毎年4月の法然の御忌大会と大晦日の除夜の鐘の時だけですが、除夜の鐘は親綱1人・子綱16人の17人で撞く大規模なものになっており、京都の冬の風物詩として知られていますよ!
友禅苑
「友禅苑」は、日本を代表する伝統的な染色方法である友禅染を始めたとされる「宮崎友禅」の生誕300年を記念して、昭和29年に改修・造園された庭園になります。東山の湧き水を引き入れた池泉庭園と枯山水庭園とで構成された昭和の名園で、池の中央に立つ聖観音像がシンボルです。
苑内には、裏千家ゆかりの茶室「華麓庵」と、知恩院の第86世門跡(住職)「中村康隆」の白寿を記念して移築された茶室「白寿庵」があり、日本の和の雰囲気を存分に堪能できる空間となっています。
方丈庭園
知恩院の「方丈庭園」は、名庭師「小堀遠州」と縁のある僧「玉淵」によって江戸時代初期に作庭されたと伝えられる池泉庭園です。小ぶりな空間ではありますがその中に、家光が植えたという「御手植の松」や「青石橋」による庭園構成、臨終の際に念仏を唱えることで極楽浄土へ導かれることを石組・白砂・刈込みで表現したという「二十五菩薩の庭」といった見どころが詰まっています。
また、庭園の奥の階段を登ると「山亭庭園」と呼ばれる茶庭もあり、ここからは東山の街並みを一望することができますよ!
知恩院の七不思議
知恩院には古くから伝わる「七不思議」があることをご存知でしょうか? せっかくの機会ですから、七不思議をすべて見てまわるのも知恩院の楽しみ方ですよ!
壱. 鴬張りの廊下 ~仏の誓い~
本堂である御影堂は集会堂に繋がっており、さらにそこから大方丈と小方丈に行くことができます。そんな御影堂から小方丈へ続く全長約550メートルもの長さを誇る廊下が、一つ目の七不思議。
なんでもこの廊下、歩くと鶯の鳴き声に似た音が出るというのです。しかも静かに歩こうとするほど音が出るようになっており、「忍び返し」と呼ばれる侵入者が来たことを知らせる役割を担っているとされています。また、聞こえる鶯の鳴き声が「法(ホー)聞けよ(ケキョ)」とも聞こえることから、不思議な思いの中で仏の声を聞いているような気がするとも言われていますよ!
【見学方法】
方丈庭園拝観コース「大方丈展示ブース」(集会堂が入り口)
弐. 白木の棺 ~不惜身命~
三門の楼上には、2つの白木の棺が安置されています。棺の中には徳川将軍家から三門造営の命をうけた造営奉行「五味金右衛門」夫婦が自作したという木像が納められています。
金右衛門は将軍からの期待に応える素晴らしい三門を造ることを心に決め、その証に自分と妻の像を三門内部に彫んだのです。金右衛門は見事、圧巻の三門を完成させましたが、工事の予算が超過してしまっていました。その責任を負うために、なんと妻が自刃したと伝えられているのです。
その後、金右衛門夫婦の菩提を弔うため、彼らの木像を白木の棺に納めて現在の場所においたと言われています。まさに夫婦の愛が形となった七不思議なのですね…!
【見学方法】
三門楼上特別公開の際に見学可能。
参. 忘れ傘 ~知恩・報恩~
御影堂正面の軒裏に行くと、骨だけになった傘を見ることができます。この傘が置かれた理由には、2つの説が存在します。
一つ目は、当時の名工「左甚五郎」が魔除けのために置いたという説。
二つ目は、知恩院の第32代門跡「雄誉霊巌」が御影堂を建立する際、このあたりに住んでいた白狐が雄誉霊巌に「自分の棲家がなくなってしまうので、あなたに新しい棲居をつくってほしいのです。それが出来たら、お礼として傘を置いて知恩院を守ることを約束します」と誓ったという説です。
いずれにしても、傘は雨が降るときにさすものであり、何度も火災の憂き目に遭っていた知恩院においては、水と関係がある傘は火災から本殿や伽藍を守るものとして信じられているといいます。そういう意味では、一つ目の「魔除け」というのもあながちズレてはいないですよね!
【見学方法】
境内を自由散策する中でいつでも見ることが可能。
肆. 抜け雀 ~心をみがく~
狩野信政が描いたとされる、大方丈の菊の間の襖絵。描かれた当初は紅白の菊の上に数羽の雀がいたそうなのですが、あまりに上手に描かれたので、雀が命を授かって飛んでいってしまったと言われているのです。
確かに現存する襖絵を見ると、雀などの鳥がいてもいいような奇妙な違和感を感じるはず。もちろんこれは、狩野信政の絵の巧みさを表現したお話とされていますが、とてもロマンがありますよね!
【見学方法】
方丈庭園拝観コース「大方丈展示ブース」(集会堂が入り口)
伍. 三方正面真向の猫 ~親のこころ~
方丈の廊下にある杉戸に描かれた猫の絵。こちらも「抜け雀」と同じく狩野信政の作品なのですが、どこから見てもこちらを正面から睨んでいるように見えるのです!
親猫が子猫を守らんとする姿が見事に表現されており、親が子を思う心、つまり、「いつでもどこでもわたしたちを見守ってくださっている仏の慈悲を表している」と言われています。
【見学方法】
方丈庭園拝観コース「大方丈展示ブース」(集会堂が入り口)
陸. 大杓子 ~仏のすくい~
大方丈入口の廊下の梁には、なんと大きな杓子が置かれています。長さ2.5メートル、重さ約30キログラムもある杓子は当然そう多くあるものではありません。
伝説によると、真田十勇士の一人「三好清海入道」が、大坂夏の陣のときにこの大杓子をもって暴れまわった、だったり、兵士の御飯をこの大杓子ですくって振る舞った、だったりと言われているそう。
そして、「すくう」繋がりで、「すべての人々を救いとる」といういわれから知恩院に置かれ、阿弥陀仏の慈悲の深さをあらわしているとされているのです。
【見学方法】
方丈庭園拝観コース「大方丈展示ブース」(集会堂が入り口)
漆. 瓜生石 ~はげみ~
三門とは別のもう一つの入り口である「黒門」の近くに「瓜生石」と呼ばれる石があります。なんでもこの石は知恩院が建立される前からあると言われ、その名の通り「瓜が生えた」ことに関わる2つの伝説が残っているのです。
一つ目は「誰も植えたおぼえがないのに石のところから瓜のつるが伸び、花が咲いて瓜が実った」というもの。二つ目は「八坂神社の牛頭天王が瓜生山(京都北西部の山)に降臨したのちにこの石のところに現れると、一夜のうちに瓜が生え実った」という説です。
また、「石を掘ると二条城までつづく抜け道がある」や「実は隕石が落ちた場所である」など、とにかく色々な言い伝えが残る不思議なスポットなのですよ!
【見学方法】
三門前の道を三門に向かって左に行くと、黒門と崇泰院がある。そのすぐ近くにあり、自由に見ることが可能。
👉 知恩院の七不思議に興味があるなら!京都のおすすめパワースポットをまとめました
知恩院の拝観情報・ライトアップ・見頃・アクセスなど
知恩院の歴史や見どころ、七不思議は以上になります。最後に拝観料などの基本情報と、季節のライトアップ情報をご紹介します。観光の際の計画立てにお役立てください!
拝観時間
【3~5月・9~11月】
5:30〜16:00
【6~8月】
5:00~16:00
【12~2月】
6:00~16:00
※元旦1月1日は5:30開門
※各所受付は9:00〜
※一部期間は開門時間が変更されるため、早朝に訪問される場合は事前に公式サイトで確認することをお勧めします。
※三門前から御影堂前までの無料のシャトルバスもあり。
運行時間:9:00〜16:00(13:00〜14:00を除く)
【友禅苑】
9:00〜16:00
【方丈庭園】
9:00〜15:50
拝観料
境内は自由散策のため無料
【友禅苑】
大人:300円
小人:150円
【方丈庭園】
大人:400円
小人:200円
【友禅苑と方丈庭園の共通券】
大人:500円
小人:250円
販売は15:20まで
※大人は高校生以上、小人は小中学生
2024年の夜間特別拝観(ライトアップ)
知恩院は各季節で夜間ライトアップも行っています!
春のライトアップ(桜の季節) ※2024年は終了
【開催期間】
2024年3月23日(土)〜4月3日(水)
【拝観時間】
17:45〜21:30(最終受付は21:00)
【料金】
大人:800円
小人:400円
【参拝可能な場所】
三門回廊・女坂・友禅苑・御影堂・阿弥陀堂(外観のみ)・大鐘楼
※知恩院の春のライトアップでは、毎年様々なイベントや特別公開が同時開催されます。詳しくはこちらの知恩院 公式サイトをご覧ください。
秋のライトアップ
【開催期間】
2024年11月14日(木)~12月1日(日)
【拝観時間】
17:30 〜 21:30(最終受付は21:00)
【拝観料】
大人:800円
小人:400円
【参拝可能な場所】
三門回廊・女坂・友禅苑・御影堂・阿弥陀堂(外観のみ)・大鐘楼
※知恩院の秋のライトアップでは、毎年様々なイベントや特別公開が同時開催されます。詳しくはこちらの知恩院 公式サイトをご覧ください。
桜の見頃
4月上旬
紅葉の見頃
色づき始め:11月中旬
見頃:11月下旬
👉 知恩院と一緒にみたい! 隣の円山公園も桜と紅葉の名所として有名です!
アクセス
〒605-8686
京都市東山区林下町400
TEL:075-541-5142
・地下鉄東西線「東山駅」から徒歩8分
・京阪「祇園四条駅」から徒歩10分
・阪急「京都河原町駅」から徒歩15分
・京都岡崎ループバス「知恩院山門前」で下車後すぐ
・市バス12・31・46・201・203・206号系統「知恩院前」下車後、徒歩5分
駐車場
知恩院山内に駐車場がありますが、観光客は利用することができません。近くに円山公園の地下駐車場「京都市円山駐車場」があるので、そちらを利用しましょう。
【営業時間】
24時間営業
【料金】
・普通車:30分ごと260円
・バイク:30分ごと100円
【駐車可能台数】
134台
【場所】
〒605-0073
京都市東山区祇園町北側
👉 風光明媚な嵐山で特別なひとときを…。一度は泊まりたいお勧めのホテルと旅館をまとめました
知恩院の観光地紹介 まとめ
ということで今回は、京都の東山に立つ知恩院をご紹介してきました!
創建のきっかけとなり、今では本尊として祀られている法然の教えを色濃く受け継ぐ浄土宗の総本山。お寺としての見どころはもちろん、ここでしか感じることができない仏教体験もあるはずです。
ぜひ知恩院へ足を運ぶ際は、行われている行事もチェックしてみてください! いつもとは少し違った京都観光を楽しめるきっかけになるはずですよ!
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コメント一覧 (2件)
[…] 〒605-0035京都市東山区粟田口三条坊町69-1TEL : 075-561-2345・地下鉄東西線「東山駅」から徒歩5分・市バス5・46・100系統「神宮道」下車後、徒歩3分・円山公園から徒歩10分(知恩院からすぐの北隣) […]
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