みなさんこんにちは! 旅行観光情報サイト「旅狼どっとこむ」の旅狼かいとです!
今回ご紹介するのは、京都有数の紅葉の名所「東福寺」です!
あまり旅行に馴染みがない方は「東福寺」と聞いてもあまりピンと来ないかもしれません。逆に、一度でも秋の京都を観光しようとネットで調べたり観光本を購入したことがある方なら、「東福寺ね!」となるのではないでしょうか!
何を隠そう、ここ東福寺こそ、”京都No.1″といっても過言ではないほどの紅葉スポットなのです!!
そんな東福寺の見どころはもちろん、紅葉の見頃や特別拝観・ライトアップ情報、拝観料やアクセスなどの観光地情報をお届けして行きます。東福寺に行こうと計画している方は、ぜひこの記事を参考にしてみてください!
東福寺の歴史
まずは、知っておくと観光をよりおもしろくすること間違いなしの東福寺の歴史からみていきましょう!
創建
鎌倉時代にあたる1236年(嘉禎2年)、当時の摂政であった九条道家が、京都に九条家の菩提寺として、奈良の二大寺院である「東大寺」と「興福寺」に倣って大寺院を建てようと計画したことが東福寺の始まりとされています。もともとは「法性寺」というお寺の巨大な伽藍が建っていたこの地に、東大寺から「東」の字を、興福寺から「福」の字を取った「東福寺」という名の寺院を実に19年もの歳月を費やして建立したのでした。
開山(初代住職)として招かれたのは、宋での修行から帰国した禅僧「円爾弁円」です。
宋で臨済宗の修行を積んだ円爾弁円は、「聖一国師」という”国の師”を意味する「国師号」を贈られた最初の人物であり、宋からの帰国後は多くの文献や宋の文化・技術の持ち帰ったことでも知られています。中でも日本の食文化に多大な影響を残している人物で、水力によって製粉する器械の構造図を宋から持ち帰ってきたことで日本で製麺を可能とし、さらには、今では日本最大のお茶の産地となっている静岡茶の原種を宋から伝えた、日本で初めて作られたまんじゅうを食べた、ともいわれています。
完成、焼失、隆盛
そんな円爾弁円を迎えた東福寺は、当時は天台宗・真言宗・禅宗の三宗兼学の寺院として建設が行われ、法堂や五重塔、東福寺最大の見どころとなった高さ五丈(約15m)の本尊の釈迦像とそれを安置する仏殿が建ちました。九条道家が望んだ通りの大伽藍が完成したのでした。
しかし、1319年(元応元年)2月、大火災で伽藍は全焼し、本尊の釈迦如来像も焼失してしまいます。すぐに再建が進むものの、再び方丈や仮仏殿が焼失。しかしこの期間に、東福寺は京都五山に列せられ、室町幕府の援助も得ています。
その後、無事に禅寺として復興した東福寺。当時は「新大仏寺」とも呼ばれ、後村上天皇の祈願所になるなど信仰を集めて栄ます。
京都が戦火に呑まれた応仁の乱の際をはじめ、以後もたびたび一部焼失の憂き目に遭ったものの、その度ごとに、足利義持や豊臣秀吉、徳川家康といった時の権力者たちの保護・援助を受け、東福寺は京都最大の禅苑としてあり続けたのでした。
1976年(昭和51年)に韓国沖の海底から引き揚げられた沈没船(新安沈船)から「東福寺」や「十貫公用」などの字が見られる積荷や木簡が発見されたことから、東福寺の造営料を名目として鎌倉幕府公認で派遣された唐船(寺社造営料唐船)が存在していたと考えられており、ここからもいかに東福寺が信仰を集めていたかが伺えます。
※創建当時の高さ五丈(約15m)の本尊・釈迦像とニ丈五尺(約7.5m)の脇侍・菩薩像はいずれも現存しておらず、『東福寺縁起』や戦国時代に来日した宣教師ルイス・フロイトなどが残した資料などによるところがほとんど。一部の説では、ここまでの大きさはなかったとも言われています。
明治以降の東福寺
明治時代に入って神仏分離令が出されると、70か院近くあった塔頭が25か院になり縮小。さらに、1881年(明治14年)12月に起きた大火によって、身の丈五丈の本尊・釈迦如来像と仏殿、法堂、方丈、庫裏などの主要な建物が焼失してしまいました。現在の東福寺には「巨大な仏手(現存部分の長さ2メートル)」が保管されており、これは旧本尊像の左手部分のみがこの明治の大火災の際に救い出されたものと考えられています。日露戦争の際には寺域が接収され、ロシア軍捕虜を入れる捕虜収容所として使用された歴史もあります。
その後、1917年(大正6年)より仏殿と法堂を兼ねた本堂が建てられ、塔頭の万寿寺から釈迦如来像を移して本尊とし、1934年(昭和9年)に完成。現在の本堂、方丈、庫裏などは明治大火以降の再建ではありますが、国宝の三門をはじめ、東司(便所)、浴室、禅堂などは焼け残ったため、中世の建物がいくつか現存しています。
このように、明治時代に大きく規模が縮小した東福寺ではありますが、それでも、『妙心寺は「算盤面」、建仁寺は「学問面」、東福寺は「伽藍面」』と称されるほど、東福寺は今なおその大きな伽藍が特徴として挙げられます。
「伽藍」とは寺院の僧侶が集まり修行する清浄な場所のことで、寺院敷地内にある建物群のことを「七堂伽藍」と呼びます。そして、東福寺は禅宗の寺院としては最大規模の七堂伽藍を誇るのです。
こう考えると、江戸時代までいかに栄えていた寺院だったかが想像できますよね!
東福寺の見どころ
では次に、東福寺に行ったら特に注目したい見どころをご紹介します。
三門
国宝に指定されている東福寺の「三門」。
境内の最も南に立つこの三門は、1405年(応永12年)〜 1425年(応永32年)頃、室町幕府第四代将軍の足利義持によって再建されたものではありますが、禅寺の三門としては日本最古にして最大です。
大仏様、禅宗様、和様という3つの異なる建築様式が用いられており、5つの柱と3つの入り口がある「五間三戸」という造りが特徴の二階建て構造となっています。
二階の楼上内部には、東福寺の僧でありながら水墨画の開祖とされる画聖「吉山明兆」の手による天女や飛龍の極彩画が描かれ、宝冠釈迦如来や十六羅漢などの仏像群が並びます。普段は拝観できませんが、毎年3月14日~16日の涅槃会の時などに特別公開されます。
ちなみに涅槃会の際には、京都三大涅槃図のひとつに数えられる明兆の傑作『大涅槃図』も本堂(仏殿兼法堂)で公開されます。
方丈(常楽庵開山堂)と東福寺本坊庭園
禅宗寺院における僧侶の住居を指す「方丈」。東福寺では、本堂の北側・境内の中心部に位置し、国指定名勝に登録されている「東福寺本坊庭園」で有名です。
現在の東福寺の方丈は明治の大火災で焼失後、1890年(明治23年)に再建されたもの。庭園は、1939年(昭和14年)に作庭家・重森三玲の手により、鎌倉時代の風格を基調にして作られたものになります。
そんな東福寺本坊庭園最大の特徴は、広大な方丈の東西南北に四つの庭が配されている点。かつては「八相成道」にちなんで「八相の庭」と呼ばれていた場所で、方丈の四周に庭園が置かれているのはここだけです。
「一切の無駄をしてはならない」という禅宗の教えから、「本坊内にあった材料はすべて廃棄することなくもう一度再利用する」という方針のもと作庭されたこの東福寺本坊庭園。鎌倉時代の庭園に見られる質実剛健な風格と近代芸術の抽象的構成を融合させた枯山水庭園となっており、石と苔を組み合わせた市松模様や特徴的な石の使い方は、ここでしか見ることのできない不思議な空間を生み出しています。
※方丈拝観の際には、写真右手の庫裏から入室します。
通天橋
東福寺には3つの特徴的な橋があり、総称して「東福寺三名橋」と呼ばれます。
そんな三名橋の中でも特に有名なのが、1380年(天授6年)に建てられたとされる「通天橋」です。
楓の木々が広がる境内の渓谷・洗玉潤を渡るため、本堂と開山堂をつなぐために架けられた“修行の橋”ですが、今では京都屈指の眺望を誇る写真スポット。秋の紅葉が見頃となる時期には、渓谷から通天橋を見上げた写真はもちろん、橋からの眺めはまさに紅葉の絨毯と呼べるほどの絶景となりますよ!
ちなみに東福寺では、秋の紅葉がここまで人気なのに対して、春の桜はほぼ目にすることができないという珍しいお寺でもあります。
その理由は、東福寺の僧でありながら水墨画の開祖とも言われる画聖「明兆」の一言にあります。
明兆の作品のひとつである『大涅槃図』が、室町幕府4代目将軍の足利義持の目にとまりました。明兆は絵の褒美として桜の木々を送られたのですが、「後世に遊興の場になる」と言い、植えられた桜を伐採してしまったのです…! そして代わりに、境内に三葉楓の木々を植えたのでした。
この明兆の行いの結果として現在の東福寺は紅葉の名所となったわけなのですが、これはこれで「遊興の場」にはなっていますよね(笑)。現代の東福寺の様子をみた明兆がいったいどう思うかは知る由もありませんが、これだけ美しい紅葉を観られるようになったのなら明兆も笑顔になってくれるはずですよね…!
臥雲橋
「臥雲橋」は、境内の一番西側にある木造の橋。地域の方の生活道路ともなっているため、拝観料がかからずに通ることができます。
紅葉の見頃の時期は臥雲橋からの風景も非常に見応えがあるので、要チェックの見どころです!
※秋の特別拝観期間は、通天橋ならびに臥雲橋の上での撮影が禁止されることがあります。
偃月橋
「偃月橋」は、1603年(慶長8年)に再建された木造の橋廊です。方丈の東側にあり、塔頭寺院の龍吟庵や即宗院へ行くための橋です。
明治の大火を逃れた数少ない場所であり、桟瓦葺きの単層切妻造の屋根が特徴です。普段は訪れる人が少ないですが、日本百名橋にも数えられる東福寺の隠れ名スポットです。
東福寺の観光案内
では、東福寺の拝観時間や拝観料、今年のライトアップや特別拝観、紅葉の見頃について、アクセス・行き方といった観光地情報をご紹介します。
拝観時間
4月1日~10月31日
9:00~16:30(受付終了は16:00)
11月1日~12月1日
8:30~16:30(受付終了は16:00)
12月2日〜3月31日
9:00~16:00(受付終了は15:30)
拝観料
境内散策のみの場合:無料
通常期(秋季以外)
通天橋・開山堂
・大人:600円
・小人:300円
※小人は「小中学生」を指します。
東福寺本坊庭園(方丈)
・大人:500円
・小人:300円
共通拝観券:通天橋・開山堂+東福寺本坊庭園
・大人:1,000円
・小人:500円
秋季の特別拝観(紅葉時期)
2024年の拝観期間
11月9日~12月1日
特別拝観料
通天橋・開山堂
・大人:1,000円
・小人:500円
東福寺本坊庭園(方丈)
・大人:500円
・小人:300円 (通常期と同じ)
国宝三門 特別公開
・大人:1,000円
・小人:500円
※拝観時間:9:30~16:30(入場は16:00まで)
※紅葉時期は、通天橋・開山堂+東福寺本坊庭園の共通拝観券は販売しない。
※秋の特別拝観期間は、通天橋ならびに臥雲橋の上での撮影が禁止されることがある。
※秋の特別拝観期間は、御朱印の手書きはない。
東福寺にライトアップはある?
紅葉の名所として人気の東福寺ですが、夜のライトアップの開催は2024年までありません。東福寺の観光は日中に楽しみ、夜は別の名所を巡りましょう!
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紅葉の見頃・観光のオススメ時間
例年の紅葉の見頃
色づき始め:11月上旬
見頃:11月下旬
観光のおすすめ時間
朝一番
アクセス
〒605-0981
京都府京都市東山区本町15丁目778
電車・バスの場合
・京阪「鳥羽街道駅」から徒歩8分
・京阪本線ならびにJR「東福寺駅」から徒歩10分
・市バス(88、202、207、208系統)停留所「東福寺」から徒歩4分
自転車・バイクの場合
自転車・50cc以下のバイクは、境内の所定の場所に駐輪可能。
自家用車の場合(駐車場)
東福寺境内の禅堂南側の駐車場、または、東福寺北駐車場を利用する(どちらも無料)。
・名神高速京都南ICより約4㎞
・名神高速京都東ICより約7㎞
・阪神高速8号京都線ICより約1㎞
※紅葉の期間(10月25日~12月10日)は、駐車場は閉鎖されます(秋季の特別拝観の時期の前後も含まれるので注意が必要です)。
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紅葉の見頃の時期に東福寺へ行ってみた! モデルコースにもどうぞ
それでは最後に、僕が秋の紅葉が見頃となった時期に東福寺へ行った際の様子をお届けしていきます! 東福寺へ行かれることを検討している方は、ぜひここの写真でイメージを膨らませてみてください!
通天橋の麓へ!
通天橋からの風景 “紅葉の絨毯”
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東福寺の観光案内 まとめ
ということで今回は、秋の京都観光で絶対に行っておきたい紅葉の名所「東福寺」についてご紹介してきました。
実際に行ってみたところでは、今回は紅葉、しかも通天橋にフィーチャーしてご紹介してきましたが、見どころの見出しでお届けした通り、東福寺には他にも名所がたくさんあります。
ぜひみなさんも、京都へご旅行の際はこの京都随一の伽藍を誇る東福寺に立ち寄ることをお忘れなく! 特に紅葉の時期は、あなたの想像を上回る絶景が待っていることだけは保証しますよ…!!
👉 東福寺と合わせて行きたい! 隣駅の伏見稲荷大社について詳しくはコチラ!
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